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青天の霹靂から2年 後編


最後の試合の3ヶ月前からお世話になっていた。

元世界チャンピオンの上原康恒さんには、
この事は、早くに連絡していた。

東京にいる時は、
弟子のように寝泊まり飯まで
何から何までお世話になっていた。


試合以降に、移籍の話も固まっていた。



夢が目の前まで来ている実感があった。



しかし、


この一件で、全てが変わった。




入院後、

2度目の電話で、


上原さんの奥さんに




諦めな!

あんたには、
良い夢見させてもらいました!

有難う御座いました!





不意打ち食らったというか、

一本取られた。



そんな感覚だった。







急性硬膜下血腫





即ち、引退を指す。



脳出血があるボクサーに試合の認定
ライセンスの更新は認めない。

これがJBC、ボクシングコミッションの規定



ジムの会長には、
タイトルの返答は直ぐにはしなかった。

出来なかったのが正しいニュアンスかな、、


現実を受け入れる事はできない。

やはり納得がいかない。



タイトルマッチがどのような経緯で来たかは、

知ってる範囲でも書かないが、


常に、頭を過るのは、


『次、試合をすれば寝たきりになるか死ぬ』



この言葉が残っていた。





しかし、死んでもいいから



ボクシングがやりたい。



悩みに悩んだ。
もはや、何が正解なのかすら分からなかった。



生きるとはなんだ。



好きな事をしたいだけなのに、


首元にナイフを突きつけられている気がした。




診断を受けた病院の看護師さんは元々同僚で、
入院中、顔を見に来てくれて
色々、話を聞いてくれていた。

その人に、電話で事情を話すと




セカンドオピニオン行ってみれば?
やる事やってダメならしょうがないじゃん。




そこからセカンドオピニオンへ



脳の出血は、時と共に脳が吸収していくので



最初の診断から最後の診断まで1ヶ月を要した。


その間は、


生きてるか死んでるのか分からない

地獄のようだった。





事を話した僅かな人のところへ度に行った。



どうしていいか分からなかったんだと思う。




上原さんと同じく最後の試合になる3ヶ月前くらいから
お世話になっていた広島のお好み焼きの
店主の中本さんにも事は話していた。

この人は、広島でアマでボクシングして
オリンピック選手までなって
プロでも日本上位ランクまで行った人だった。

ジムでボクシングを教えてくれる人おらず、
広島にいる時は、中本さんの所に頼って
キックボクシングジムのストライカーを間借りして
練習に付き合って頂いていた。


この練習もまた地獄だった。


16戦しているが、
初めて練習と減量がキツすぎて
苦しくて泣きそうになった。


後から、、
あれだけやったんだから辞めても良いと思えたのも事実



脳出血があった後に


この人にも色々言われたが、


最後には、


もう、諦めろよ。



切なそうな声で言われたのを
今でも鮮明に思い出す。


胸に突き刺さった言葉だった。



後、家族ぐるみでお世話になった方にも
大変、助けて頂いた。
その人達と繋がりがなければ辞める事は、
決心出来なかった。

意気地なしで、往生際の悪い自分が
腹が括れたのは、この家族の存在が大きかった。

もう1度、ボクシングが
出来るなら死すら受け入れる。
安い言葉に聴こえるかもしれないが、
最後は、本気で思った。





セカンドオピニオンで、
病名の事実は、変わりません。
と打ち捨てられたらキッパリ辞める。
中途半端な事を言うようだったらやる。
そう決めて病院に向かった。





セカンドオピニオンでの最終診断




待合室で座った時、





ここで人生が変わるんだ。




何故か、そう思った。




異様に脈が速くなるのが分かった


緊張していた。


落ち着く事すら出来なかった。



ただの診断を聞きに病院に来ただけなのに
めちゃくちゃ緊張したのは初めてだった。




診察室に入ると、


医師は、








『この診断に間違いはありません。』







何かを聞く事も言うこともなかった。



終わったんだ。





こうして、引退を決めた。







改めて思っても、
色んな人に出会い支えられ助けられた
現役の生活だった。

時間が経って思える事だが、

やり切ったボクシング人生だった。 



自分だけの為だった事が、
1人じゃどうにもならなくなって
沢山の人に助けて頂き
色んな物を背負って戦った。

初めて知った事は山ほどあった。

ボクシングには沢山の事を教えてもらった。



感謝しかない。


良い青春だった。


全ての物語がハッピーエンドで終わる事はない。



これを凄く痛感した。



しかし、




まだ、終わってない。




今、色々とご縁に恵まれ

時々、キックボクシングのジムで
トレーナーをしている。


自分が生き抜いた過去が誰かの為になるなら、


そんな感覚で、お仕事をさせて頂いている。



違う形でも、

自分が成せなかった夢を
叶えてくれる人が出てくるのを楽しみに、、



長くなった 笑


青天の霹靂編



以上!



あざした!

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