2000年大河ドラマ「葵 徳川三代」第一回プロローグ
太陽!歴史蘊蓄話
葵 徳川三代 第一回「総括関ヶ原」
2000年大河ドラマ「葵 徳川三代」第一回プロローグ
第一回のみ、1時間25分。
延長バージョン。
およそ通常45分の倍。
この2000大河ドラマのプロローグ。
第一回から第五回までの一部シーンから。
まずは、名シーンのピックアップ。
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豊臣家から離れようとした家康と
豊臣恩顧家臣の三成が、
袂を分ち、それぞれの己が大義名分を正当化し、
関ヶ原の大戦(おおいくさ)に
如何に向かっていったか?
また何故、こうなって行ったのか?
主な登場人物の紹介。
家康、淀、三成、小江、秀忠。
第32回「家康の死」、また
第48回「さらば秀忠」までの主要人物。
「葵 徳川三代」は、
大河ドラマ超大作とも捉えられ、
更にかつてない秀作と筆者は考え、
2023年大河とは全く製作手法が異なります。
皆さんに、これをお比べ頂こうと。
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2023年大河「どうする家康」は
小和田哲男先生の時代考証なるも、
登場人物を演じた俳優が若すぎて、
面白くなかった。
また現代語が多すぎる。乱発しすぎる。
時代考証よりも、
脚本そのものが、出来がどうかな?と。
また終盤には、かなり端おった展開。
淀は大坂城で 大筒による負傷で死んでは居らず。
淀が千姫や、他のおんな侍女を助けただろうか?
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ここからは、暫くは
太陽!歴史蘊蓄話として、
お聞きください。
茶々 (いずれ淀) は、
織田信長の血を引いている鉄の女です。
信長の隠れ子かも知れない、が。
三姉妹と言うが、
実は茶々は信長の愛人であり、
世間を欺いて妹として、偵察の為に
浅井(あざい)家に潜りこませた間者か?。
連れ子だった可能性が高い。
即ち、愛もなく信長に政略結婚で
嫁がされた不運のおんなです。
この怨みは女として、如何許りか?
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◆浅井家の文書(もんじょ)、
「浅井三代記」には、
長女である茶々のことは一切記載されておらず。
即ち、突然に歴史上に現れた女だったと
伺える。茶々の誕生の記述が一切無いのだ。
もっと云うと、浅井家の菩提寺には
茶々の位牌も無いのである。
また、次女お初が
「初姫」と名付けたのもどうかな?
これは戦国の世では珍しからざる事ではあるが。
徳川家でもそうだ。
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成長したその茶々に横恋慕して、
奪いとったのが、
信長よりも、女好きで殺人マニアの秀吉。
信長よりもかなりの大虐殺を繰り返している。
何かと言うと、殺したがる御仁だ。
田舎者が、プライド高い者に殺意を向けたがる。
過去人生の積み重ねた悔しさが
職位を上げる毎に、殺戮行為に瞬時に置き換わる。
しかも殺し方が異常である。
生命を奪いとる前に、
鼻を削ぎ、耳たぶを切り取り、
血まみれで、生命乞いをする者を斬り殺す。
嬲り殺している。
皆様、想像してみてください。
この殺し方を。
福島正則も、この残忍な殺戮行為をする。
「討ち取りし鼻が届いています、その数凡そ600」と
正純が、家康に報告するシーン。
秀吉子飼の武将だけに、殺し方も真似ている。
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その秀吉を側室の松の丸。
彼女は同じ側室茶々に恨みを抱く。
醍醐の花見の席の争奪戦で、
茶々に怨みを抱く。
彼女の名前は「京極竜(たつ)子」。
かなりの美女だったらしい京極竜子(松の丸殿)は、
秀吉お気に入りの側室の一人で、
淀殿のいとこ
(母親の京極マリアが浅井長政の姉)にあたる。
筆者の推測では、
秀吉に恨みを抱いた、斎藤福(のちの春日局)と
松の丸が、徐々にヒソを飲ませて
秀吉を弱体化させ毒殺させた、と考える。
秀吉の、小便を垂れ流し、
のたうち回った死に方から、そう思える。
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◆ひょっとして、
秀忠の夫人小江(三姉妹の三女)も、
春日局に殺された可能性もあり。
これは、家光を小江から守らんが為。
ひょっとして家光は、
お福の我が子だった可能性もなくは無い。
家康がお福に産ませた嫡男だった?
ここは大河ドラマでは、
描かれてはいない。確証がないから。
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これを知っていた家光は、
お福を真の母のように、
何事に於いても、その言動を奉るようになる。
それどころか、秀忠よりも
真の父?家康を終生崇拝していく。
となると、
明智家の血を引いている事になりは
しませんか?また織田家、浅井家の血も
引いてますね。いずれ小江の血筋は、
現在の天皇家にも繋がります。
これをご存知でしたか。天皇家はこれらの
家の子孫なのです。
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また、いずれ家光は、父秀忠とは異なり、
「我こそは生まれながらの将軍である」と
公言して憚らなくなる。
最終回 第49回「名君づくり」にて。
家光が名君となるのは、
40歳を当に過ぎてから。
この徳川家光を、単独で主人公にした大河ドラマが
今まで有りません。
そうなれば、
家光と春日局は、セットですから、
出来れば、筆者としては、柴咲コウに
春日局を演じて貰いたい。
若いチャラチャラした現代の女優は御免被る。
しかも 歴史に何の勉強もしていなさそうな。
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二人とも秀吉を怨んでいた。
福は父を秀吉に殺された恨み。
これを終生忘れずに、家康に近づき、自ら
ひょっとして愛人になり、
ひょっとして家光を
産んだ可能性もありや、無しや。
家康を陰からサポートをし、
豊臣家をこの国から葬った立役者かも知れない。
江戸城に来た時に、
父の元主君、明智光秀に再会。
光秀は、天海僧正に名も姿も変えていた。
名前を代えた元父の主君に
江戸城で「お久しぶりです」と
お福は挨拶したと云う。
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要するに既知の二人だったのだ。
福の父であった「斎藤利三(としみつ)」。
その父の主君であった明智光秀と
本能寺急襲をした。
「斎藤利三」は明智五人衆の一人です。
共に二人を攻めた秀吉。
その捕らえられ磔になった
父「斎藤利三」を、秀吉軍によって
殺害された恨みを抱いた。しかも終生に亘り。
実はお福は、まだ幼少期であり、
おそらくは、四歳〜五歳くらい。
その磔された父を
幼い目で目の当たりにしたと伝わる。
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自ら近づいた家康の軍事力を利用して、
豊臣家をこの国から取り潰すために、
一致協力したのではないか?
この数年前からの出来事を考えて
思い起こしてみると、家康が豊臣家に対しての
並々ならぬ気持ちは、如何許りであったか?
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この豊臣家をどのように潰していくか?
この時の家康は58歳。
家康にとっても、もうあと(時間)が無い。
自分の目の玉の黒い内に、豊臣家を
早く葬らなければならない。
古狸の黒い罠が、張り巡らされていく。
じわじわと簡単には断ち切れない根っこが
次第に広がり始める。
豊国寺の開眼供養を
差し止める理由を考えたのは、実は
天海僧正だった、という映像になっています。
あの女狐のプライドをズタズタにしていく作戦が、
じわじわと描かれる。
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即ち、明智光秀が、
かつてのライバル豊臣秀吉に対しての、
数十年後の復讐を為したと考えるならば、
この歴史描写は面白く。
その天海僧正は、
108歳まで、生き永らえたと云う。
前回の時代考証をされた小和田先生。
先生が担当された「麒麟がくる」の最終回。
死んだ筈の光秀が、通りを歩いているシーン。
これを覚えていらっしゃる方々は、
吃驚した筈です。
大河ドラマ初で、光秀はその後
生きていた描写を初めてやりました。
光秀は背が高く、髪の毛はフサフサだったのも、
史実とは異なりました。
史実では、禿げていた光秀を
信長は「禿げ鼠」と揶揄し、暴言を吐いてます。
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ここからは、↓↓
信長が光秀を金柑と呼んだというのは、
16世紀末に書かれたとされる『義残後覚
ぎざんこうかく』の話が基ではないかと。
「庚申待(こうしんまち)」という特別な日の夜、
信長が家臣を集めて徹夜で酒宴を開いた。
途中で光秀が小用に立ったところ、
信長は広間にあった鑓の鞘を引き抜いて
光秀を追いかけ、
『金柑頭、なぜ席を立つのだ』と、
光秀の首に鑓の刃先を当てて詰問した。
光秀は弁解したが、信長はなかなか
許さなかった。信長は座興のつもりだったが、
光秀は、信長が自分を亡きものにしようという
本心の表れと感じ、この辺りから
謀反を考えるようになった、と云う。
讀賣新聞「今につながる日本史」
より一部抜粋。
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元にもどるが、
要するに、淀は「どうする家康」で描かれた、
大坂城に叩き込まれた大筒による負傷で
死んでは居らず。
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2000年大河ドラマ「葵徳川三代」では、
登場する台詞は、ジェームス三木氏の脚本。
即ち現代では使わないようになった文語体表現。
現代では、どのような意味でありしか。
太陽!歴史蘊蓄話では、
この台詞を主体に、ストーリーと歴史の詳細を
探索仕らん。
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まずは、ここまでの蘊蓄と、
関ヶ原の戦いのプロローグ。
第一回「総括関ヶ原」
初回のストーリーに
登場する文語体を現代では、
どのような意味でありしか。
2000年大河ドラマ「葵 徳川三代」
この2000大河ドラマのプロローグ。
第一回から第五回の一部シーンから。
まずは、名シーンのピックアップ。
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ここで、登場した台詞の数々。
家康の台詞
1.もっけの幸い
「もっけの幸い」とは、思いがけず、
偶然やってきた幸運、といった意味です。
漢字は
「勿怪の幸い」「物怪の幸い」と書きます。
でも、「幸い」はいいとして、
「もっけ」ってなんでしょう?
漢字でお気づきのかたもいらっしゃるかも
しれませんが、「もののけ」が語源と
言われています。もののけと出会うなんて
予測できないですよね? そこから、
思いがけない・予期できない、と
いった意味が生まれたのだそう。
■もののけ・幽霊・妖怪・お化けの違いって?
ところで、
それぞれの違いを
簡単に説明していきます!
もののけ
人に憑(と)りついて悪さをする霊を
「もののけ」と呼びます。
平安時代の書物には、もののけに憑りつかれて
病気になったり亡くなったり、
といった記述が多く見られます。
死霊(しりょう)や生霊(いきりょう)
怨霊(おんりょう)などを指します。
幽霊
幽霊は、現世に思いを残したまま
亡くなった人の霊です。
姿を見せる相手が決まっていて、
場所や時間に関わりなく、
特定の相手のところに出ます。
妖怪
出てくる場所や時間が
だいたい決まっているのが妖怪です。
カッパや天狗・雪女・やまんばなど、
広く親しまれている妖怪がたくさんいます。
お化け(化物)
お化け(化物)は、
いろいろな「人ではない」もの全体を指す、
比較的あいまいな言葉です。
民俗学では幽霊と区別することもあるようです。
とはいえ、
これらは混同して使われることも多く、
明確に区別していないケースも
よく見られます。
以上は、
日本文化の多様で奥深い魅力をわかりやすく、
さまざまな角度から紹介する、
メディア「和樂web」より、
そのまま引用抜粋しました。
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2.あとで、十ぱ一絡げに葬れば、、
読みは、じっぱひとからげ。
漢字は、十把一絡げ。
◆じゅっぱ、では無い。注意しましょう。
じっぱひとからげ
(本来なら10の束に束ねるべきものを、
一つに束ねることから)
区別することなく同じ扱いにすることをいい、
数は多くても価値に乏しいことにたとえる。
十把一絡げ(じっぱひとからげ)とは、
多くのものや人を一つにまとめて考える、または
扱うことを表す言葉である。
この表現は、個々の違いや特性を無視し、
全体として一括りにする様子を描写している。
具体的な使用例としては、一部の人の行動を
全体の人々に当てはめる場合や、
多種多様な事象を一つのカテゴリーに
分類する際に用いられる。
しかし、この表現は
個々の特性を見落とす可能性があるため、
注意が必要である。また、ネット上では、
一部の意見を全体の意見として扱う
「一部の声を全体化する」現象を指す言葉
としても使われている。
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3.手間も省ける
手間が省ける
読み方:てまがはぶける
別表記:手間がはぶける
作業に費やされる時間または労力のいくらかを
費やさなくで済むさま。より少ない手間で事足りるさま。
人の助力による場合、助かる、と
いった意味合いを込めて述べる場合が多い。
「省ける」は「省く」の可能動詞ですから、
意味は「省くことができる」です。
日本語では
可能動詞の対象は「が格」で表すのが一般的。
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淀の台詞
4.豊臣家ここうの家臣に言い掛かりをつけ、、
即ち、ここうのしん【股肱之臣】の事。
主君の手足となって働く忠実な家来のこと。
また、
いつも身近にいて信頼できる腹心の部下のこと。
初期の家康には、
船越 景直や 本多 正純、そして
その父が 本多 正信。この三名はいつも侍っていた。
侍(はべ)る
➡︎この語から「侍(さむらい)」が生まれた。
動詞。さぶらう。
身分の高い人や敬うべき人のそばに控える。
お仕えする。 また、宮中など尊い場所にいる。
伺候する。の意味。
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三成の台詞
5.家康殿の不忠と専横は、、
不忠とは、
この頃は、家康は秀吉の臣下であり、
豊臣家へのこれ迄の忠義を忘れて
好き勝手極まりない、と三成は感じている。
せん‐おう〔‐ワウ〕【専横】 とは、
[名・形動]好き勝手に振る舞うこと。
また、そのさま。わがまま。「—な領主」
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6.おめおめと此れを見過ごさんか、
おめ‐おめ の解説
[副]《動詞「怖 (お) める」の連用形を重ねた語》
恥ずべきことと知りながら、そのままでいるさま。
また、恥とも思わないで平気でいるさま。
「今さら—(と)帰れない」
「よくも—(と)来られたものだ」
また、上記の「見過ごさんか、、」の
○○○か、とは、
若しくは、または、と言った反語。
次に続く語句が、本音を言わんとす。
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7.豊臣家の行末は、荒波に翻弄される
小舟の如くあらん。
これは、解説するまでもなく。
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8.子々孫々まで、足掻けられるは必定。
「足掻(あざ)く」は、
手足を振り動かして激しく抵抗する様を表す動詞です。
この他にも
「活路を見つけようとして懸命に努力する」
など、複数の意味があり。
読み方は簡単では無かるべく。
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小江の台詞
9.殿方が、戦を為さるのは、
古今東西の習い故、致し方御座いません。
古今東西の意味は、
「古今」と「東西」の二つの熟語に分けて
考えると。「古今」には「昔から今に至るまで」と
いう意味があり、転じて時間の流れを表す。
「東西」は文字の通り「東と西」を意味だが、
同時に「あちこち」という意味も持っています。
よって、古今東西が指すのは、
これらの意味をあわせた
「あらゆる時間とあらゆる場所」
「あらゆる時間やあらゆる場所」ということとなる。
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10.されど、豊臣家と事を構えるは、
おこの沙汰に御座ります。
おのこ、即ち男、ではない。↓↓です。
おこの沙汰
読み方:おこのさた
別表記:烏滸の沙汰、をこの沙汰
烏滸がましい、の烏滸です。
ばかげていること。いかにも愚かである様子。尾籠な話。
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秀忠の台詞
11.秀忠はこの宇都宮で、立ち腐れかっ!
たち‐ぐされ
【立(ち)腐れ】 の解説
[名](スル)草木などが立ったままで腐ること。
また、建物などが手入れをしないために
荒れ朽ちてしまうこと。
この時秀忠は、若干20歳もしくは21歳。
まだ初陣もなく、父家康から
関東の居留守を命ぜられ、かなり苛立っていた。
その辺の思慮なき若者風の芝居。
西田敏行の実年齢とは、
相当にかけ離れている。この時、西田敏行は
53歳?です。それが、20歳過ぎを演じている。
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ここで、オープニング。
動画では、異なる音楽が流れる場合もある。
これは、無視してください。
映像中程の、
殺陣、武術指導のテロップ。
林 邦史朗
この方は、太陽にほえろ!
第一話「マカロニ刑事登場!」にて、
武術指導とともに、
擬闘、俳優も兼任。
密造拳銃の悪役ボスを演じ、遊園地にて、
鬼係長 石原裕次郎に対峙し、
太陽!では初の勧善懲悪シーンの芝居で、
裕次郎が、初めての大立ち回り。
この時の裕次郎は36歳。
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「葵 徳川三代」で、家康を演じたのは、
かつて最高視聴率を獲得した、
「1987独眼竜政宗」以来
二回目家康役の津川雅彦。
流石は名優。こんな俳優は
もう出て来ないだろう。
この2000年大河ドラマ「葵 徳川三代」では、
徳川家康は、かなり豪気で短気な武将として
性格設定されていた。
しかし、反面思慮深く、
家臣を大切にしている。特に譜代家臣は。
豊臣恩顧の武将には、そうでもない。
まあ 藤堂高虎、黒田長政、伊達政宗以外は。
この伊達政宗は、いずれ「天下の副将軍」とも
言われた。水戸光圀ではおまへん、よ。
7152字
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