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🟠「2000年 葵 徳川三代」蘊蓄GOES ON! 第4蘊蓄 そのC

第4 蘊蓄話 そのC 各シーンの解説。
The Battle of Sekigahara, 1600

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ここは木曽山中。
かなり窶れた、ぼんやり秀忠が
率いる徳川本隊38000人。
狭い山麓では遅々として進まず。
落伍者続出。それでも休憩も取らさぬ大将。
見るに見かねた同動の榊原康政が、忠告。
「暫く御休息を」。

榊原康政

◆38000人が、如何に多くの軍勢だったか?
今回の戦闘に参加したのは、
小早川秀秋勢も、15000人。
宇喜多秀家隊も、17000人。

かつて、18年前。
1582年に本能寺に討ち入りした、
明智光秀隊も、13000人。
これらの、倍以上の軍勢である。
ともすれば3倍である。
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この38000人が、
当地に到着して来なかったことが、
家康の算段を狂わせたのだ。
あの、うっかり、ぼんやりの20歳は
口ばかりの息子。
現代の20歳もそう云う若者が
少なからず。

この男が自分の息子であったことに、
苛つく総大将 家康。
信長命で死ななければならなかった
長男信康とは比べものにはならず。
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秀忠の「秀」は、秀吉から諱を貰っている。
だから、こうなったか?

家康は後半の回で、
秀頼の「秀」ではないぞ!と
三男に向かい嗜めるシーンもあり。

数年後、
この一件(関ヶ原への遅参)で、
いま考えている世継ぎを
三男秀忠で本当に良いのか?

徳川家のために、この徳川家を背負って立つのは、
この秀忠でよいのか?
以降、迷うこととなる家康。

しかも、現在は秀忠の世継ぎはなく、
未だ女子ばかり。やっと1604年に
秀忠の嫡子「家光」が誕生する。

成人したその家光にさえ、
「あなたは我が父とは思わず」と
言われてしまう、情けなさ。
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先程の休憩について。

戦国の御代には、
「労働基準法」など無かったのだ。
大将が休め、という時だけ、休めるのだ。

これが、現在の大相撲の「水入り」と
同様に、休め、と言われるまでは
戦い続けなければならないのだ。
決着が付くまでは休んではならないのだ。

そこで、疲れている馬上でふらつく秀忠は、
愛妻小江の夢を垣間見る。

「しっかりなされませ!
 戦は始まっておりまするぞ!
 徳川家のお世継ぎとあろう御方が
 何たる醜態!何たる恥辱!
 38000の軍隊を虚しゅうして
 もし敗北とするならば、
 未来永劫の謗(そし)りを受けましょうぞ!」


愛妻小江は、三度目の結婚。
三人目の夫が、この徳川家三男の秀忠。

若い頃の岩下志麻

しかも六つも歳上の姉さん女房。
よって、秀忠は終生頭が上がらず。
他の女への監視が厳しく浮気も出来ず。
このぼんやりは、未だ20-21歳である。
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◆演じた西田敏行は、1947年生まれで、
撮影時2000年には当時53歳。
現在2023年には76歳です。
もっと長生きして下さい。

西田敏行は、以降の大河「功名が辻」で
徳川家康を演じている。

BSテレ東「時代劇☆影武者 徳川家康」で、
家康の死を隠し、代わりに擁立された
世良田二郎三郎元信をも、演じたこともある。
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場面は、家康の本陣では、

「寺沢広高を藤川(台)へ。
 大谷吉継にぶつけよ!」と家康。

「寺沢勢を藤川へ、
 大谷吉継を撃滅すべし!」と正純が伝令を。

「南宮山の山内勢を関ヶ原へ。」

「有馬勢も同じくー!」

正純の伝令を受けて走る馬が、
総大将家康の前を横切る。
これに怒る家康。刀をとって切ろうとす。
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🔴寺沢広高(てらざわ ひろたか)は、
安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。
肥前国唐津藩初代藩主。
豊臣政権の公儀権力が徳川に移ってからは
「秀吉の取次ぎ」から「家康の取次ぎ」として
公的地位を新たにした。
九州の諸大名と繋がりがあった。

🟤藤川とは、
関ヶ原の西南にある山中村の藤川台に
大谷一族や戸田勝成・平塚為広の諸隊、
合わせて5,700人で布陣する。
この布陣への遊撃部隊とし攻撃せよ、と。

🔴山内とは、山内一豊。掛川城の主人(あるじ)。
「やまのうち」と読む。

山内氏の出自について、
江戸時代後半に作成された『寛政重修諸家譜』に
土佐藩が提出した内容によれば、
藤原秀郷の子孫である首藤山内氏の末裔である。

名前の読みは、
土佐山内氏が祖先であるとする首藤山内氏が
「やまのうち」と訓むことによる。

現に首藤山内氏が苗字の元とした
鎌倉・山内庄(神奈川県鎌倉市山ノ内)の
地名は「やまのうち」と訓む。
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山内一豊は律儀。また真面目で有名な武将。

妻は夫を一廉の武将に押し上げた
「千代」である。
この二人も夫唱婦随の戦国時代では
ラブラブカップルである。
若き時代は羽柴秀吉のライバルであった。

おそらく夫唱婦随の夫婦関係と、
その間の「千代」の積年の内助を表す
象徴的な話として脚色されたものと察せられる。
その一つが以下。

功名が辻(2006年、NHK大河ドラマ 
一豊:上川隆也/少年期:途中慎吾、
千代:仲間由紀恵/少女期:永井杏)
この大河も良かった、いい出来栄えでした。

この「功名が辻」の家康は、
西田敏行氏でした。
かなりの評価を、受けました。
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🔴有馬とは、

有馬豊氏(ありま とようじ)は、
安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。
丹波国福知山藩主、
のち筑後国久留米藩の初代藩主。
久留米藩有馬家2代。

秀吉死後は、
父の則頼と共に徳川家康に接近し、
慶長4年(1599年)正月には家康の命により
淀城の守備に当たっている。
徳川家の御伽衆として遇され、
慶長5年(1600年)6月には
家康の養女・連姫(蓮姫)を娶った。
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「えーーいい!小早川はどうしたあーっ!」

「動きませぬー!」

「再三にわたって使者を遣わしておりますが。」
と影直。

「えーえーいっ!あの小童めがっー!」と、
怒る家康。

15000人の大群を擁しての
小早川秀秋。どちらに寝返るか?
この小童は、迷いに迷いつつあり。
西軍からも寝返りを示唆されていた。
西軍からは、寝返って西軍勝利の暁には、
秀頼成人するまでは「関白に奉る」と。
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方や、
痺れを切らした三成は、
「小早川は、何をしている!?」
「もう一度狼煙を上げえ!」

更には家康本陣は、
「景直。松尾山に大筒を放て!
 出馬の催促じゃあ!」

景直とは、近習の船越景直である。

映像画面では、
信長と同じような黒の鉄兜を被った武将。

🟠此れが「問鉄砲」である。

しかしながら、この2000年以降、
実際には「問鉄砲は無かった」のでは?
と云うその後の研究がなされ、
小和田先生もその意見に同調されている。

更には、小早川秀秋が山を降りて
大谷吉継隊に激突して行ったのは
午後ではなく
午前中であったのでは?と。云う研究もされ
数人の歴史研究者からの意見がある。
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大筒を放たれた小早川陣。

「まさなり。どう云うことだ?」と小童。
「痺れを切らしたモノと心得ます。」と正成。

「誰が?」
「兎も角、陣触れを!」

このまさなりは、
あの正成であり、春日局の夫である、
稲葉正成の事である。


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この稲葉正成も、
優柔不断の我が大将に
どうにも我慢が出来無かったこの頃である。

小早川が狂い死んだあと、
小早川家を出奔する。
この後に、浪人となった正成。

妻の斎藤福はますます仕官先も見つからない
そんな夫を支えながら、
生活が苦しくなっていくのだ。
ここは「春日局」大河ドラマをご覧下さい。
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「出陣じゃ!
 我が敵は、大谷吉継なり!」


徳川本隊の陣

「殿!」と正純。
「小童か?」
「山が動きました!」

ここで、家康は大笑いす。
やっと、黒田長政を呼んで
最初に仕掛けた(内応)の罠に、
輿に乗った白兎が飛び込んだか?と。

この場合の白兎は大谷吉継。
罠に貶めるように、小童を扇動したのは
小童の重臣、この稲葉正成。

この黒田長政の親戚であった稲葉正成にも、
いずれ、豊臣恩顧の諸侯が死に絶えてから、
家康は大名に取立てるのだ。
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その肝心な小童、小早川秀秋隊。
15000人が、怒涛の如く大谷吉継陣に
突っ込んでいく。
「皆殺しじゃあーー!」

それを察知した大谷隊。
「小早川勢が攻めて参ります!」

大谷吉継は、
「おのれー!」
自軍に軍配を向ける。

「敵は小早川あーー!」
しかし、逃げていく将兵もいる。
戦う将兵数の差を感じて、このままでは
自分も危ないと悟る、西軍の兵たち。

最早、西軍で戦うことは得策ではないと、
悟っていたのか?
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「小早川!?
 気は確かかあー?!」と三成。

そこに、機をいつにして、
伝令が駆けつける。

「殿おー!
 脇坂安治が寝返りましたあー。

 朽木元綱、小川祐忠、赤座直保も  右に同じ。
 都合4000の裏切り者が!
 平塚勢、戸田勢と交戦中。
 御免!」

これは、
西軍の、平塚為広・戸田勝成の事。

味方同士の相撃滅を仕掛けているとの報告。
即ち、仲間同志の生を賭けた殺し合い。
三成の陣営の戦力はこれで、さらに減少する。
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午後一時。石田三成勢、苦戦。

いよいよ、三成は自滅の道を突き進む。
左近が居ない今、
誰も助けに来ないのだ。

家康からすると、
敵の中の味醂にさらにスパイスを塗し、
東軍に寝返らせ、敵の本拠地を潰しに掛かる。
そのスパイスされた味醂(小童)は、
戦後、その三成本拠地を全滅させたあとに、、

用済みになったこの小童小早川秀秋は、
翌年からは、徳川家武将たちから
四面楚歌に追い込まれる。
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これも、小童の性格を解っている家康が
皆に命じた、上記四面楚歌作戦。
ドラマでは、それが良く窺える表情が。

数年後は、酒を狂ったように浴びて、
何の咎もなく、家中で侍女や家臣を斬り殺し、
発狂していき、自暴自滅に追い込まれる。

これも、用済みの家臣は最早不要。
「さっさと狂い死ね!」
と云う家康の狸芝居が現実になる。

自分で自分を自滅するように
仕向けていく古狸の策謀が、ここでも。

この19歳の小童は、22歳で狂い死ぬ。
また、徳川政権初のお家取り潰しにもなる。
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ところが、
秀秋の叔母である「おね」も、
実家の木村家を取り上げられるのだ。
ドラマでは、かように描かれるが、
家康の真意は、どこにあったのか?

豊臣に関連した一族郎党は、
一切、徳川が収める世には、不要だと
考えたか?
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おね、も豊臣一族だから、な。
おねに家康が味方している振りをしていたのは、
最初だけ。大坂城炎上前におねが、
助けに行くシーンで。

もうすぐ豊臣が潰れる。
すると最早おねも用済み。
おねの出身、実家木村家。
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新たな時代を創るのに、そこには
鬱陶しい女狐と、正室おね、その実家木村家も
要らないと云うことか?

「実家がしゃしゃり出て来たら」
ろくな事にはならないと、
家康は考えていたのだろう。
ドラマ中に、こう云う上記の台詞もある。

ここからは
狸親父「家康の思う壺」が描かれていく。
2023大河ドラマ「どうする家康」では
全く描かれていない家康の狂気の沙汰。

あとは、女狐とその息子の始末を
どうするか、だ。

松潤では難しかろう、演技でしょー。
歳を経て、人生経験を重ねていないと
こう云う演技、芝居は出来まへんで。

2023「どうする家康」より
2000「葵  徳川三代」より


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では、ストーリーに戻って、、

場面は、小童が大谷吉継陣に総攻撃。
15000人が大谷吉継隊に、更には
先程の寺沢勢も加勢するのだ。

即ち上記の5700人にぶつかるのだから、
たまったものではない。
ほぼ2.5倍の戦力で畳み掛けられれば、
大谷隊は勝てないのだ。

ここで、
もう一人の重臣、蒲生郷舎。
(がもうさといえ)
旧名は(よこやまきない)
演ずるは、ゴリ竜雷太。

「織田有楽斎!見参!」
ここは、すでに蘊蓄済み。
↓↓↓
第4 蘊蓄話 Aにて、
🔴見過ごしてしまう名場面019で
解説しております。

三成のもう一人の重臣が殉死してしまう。
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ゴリは、太陽!で、1982年撮影。
第525話「石塚刑事殉職」で
拳銃で四発撃たれて死ぬシーンを撮影済み。

1982-1600年。
382年前の関ヶ原において、
今度は槍で射抜かれてしまう。
死ぬシーンは、上手いね。
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徳川陣。
「コレで良い。これでよい。」
小童も。
「突っ込めー!皆殺しじゃあー」

そして、大谷吉継隊は壊滅、敗退。
大谷吉継は、
「最早これまでじゃあ。
 五助!介錯して直ちに首を埋めよ。」

「成りません。」
「解らんのか?この面相を敵に晒すのは
 恥辱じゃあ。憎っくきは小早川秀秋。
 三年のうちに祟りを成してくれーん!」
と自腹を刺す。

介錯した五助とは、湯浅五助。
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このシーンの後に、
ドラマでは描かれなかったことを
下記に。ここで、少し読書を。

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戦さで武勲を証明すると言ったら、
敵の首級(しゅきゅう、しるし)にまさる
ものはありません。
だから立身出世を望む者は誰でも、
よりよい大将首を求めて
戦場を駆けずり回ったものです。

しかし、中には目先の功名以上に
信義を重んじた者もおり、自分の命も
落としかねない極限状況だからこそ、
その偽りなき心映えは
後世に讃えられたのでした。

今回はそんな一人、
天下分け目の関ヶ原合戦
(慶長5・1600年9月15日)で活躍した
湯浅五助(ゆあさ ごすけ。隆貞)と
もう一人、
藤堂仁右衛門(とうどう にゑもん。高刑)
のエピソードを紹介したいと思います。

我が首級と引き換えに……
五助との約束

湯浅五助の生年および出自は不詳ながら、
豊臣政権下の重臣・大谷刑部吉継
(おおたに ぎょうぶよしつぐ)に仕え、
重く用いられました。

関ヶ原合戦に敗れた主君・吉継は
切腹に際して、癩(らい。ハンセン病)に
よって病み崩れた顔を敵に晒さぬよう
五助に遺言します。

「……御意」

吉継の介錯(斬首)を済ませた五助は
その首級を抱えて戦場を離脱、
ここなら見つかるまいと首級を埋めたのですが、
敵の追手である藤堂仁右衛門に
見つかってしまったのでした。

「そこに埋めたは、
 大谷刑部が首級(くび)なるか!」

最早これまでと観念した五助。
しかし一縷の望みに賭けて、
仁右衛門へ取引を持ちかけます。

「藤堂殿……我が首は差し出すゆえ、
 どうか主の首級はお見逃し下さらぬか」

仁右衛門にしてみれば、
吉継の首級を諦める代わり、
五助の首級だけは確実に手に入る、
悪い話ではありません。

もちろんこの場で五助を討ち取れば、
首級は2つ手に入るのですが、
何せ五助は手強いですから、
返り討ちにされてしまい、手柄どころか
自分の命さえ失います。

かと言って、一度引き返して
増援を要請すれば五助は討てるし、
覚えた吉継の首級も掘り返せるでしょうが、
自分の手柄としては
限りなく評価が低下してしまうでしょう。

一番よいのは、五助を討ち取ってから
約束を反故にすれば、完全ノーリスクで
首級が2つ手に入る……この一択です。

(そうとも、平時に友を欺くは恥なれど、
 戦場にて敵を欺くは武略であろう)

「……相分かった」

が、仁右衛門はそうはしませんでした。
五助から首級を受け取った仁右衛門は、
吉継の首級はそのまま
真っ直ぐ帰陣したのでした。

「仁右衛門よ、でかした!」

豪傑と名高い湯浅五助の首級を奪ったとあって、
主君の藤堂高虎(とうどう たかとら)そして
その盟主たる徳川家康(とくがわ いえやす)は
大喜びです。

◆藤堂仁右衛門は、高虎の甥である。

「……して、大谷刑部の首級はいかがした?」

病み衰えて目も見えず、
歩くこともできないため
輿に担がれながら指揮をとっていた吉継が、
一人で逃げ延びることは不可能です。

もちろん他の家臣たちが介助すれば
逃げられないこともないでしょうが、
大敗を喫した吉継が、
命を惜しんで生き恥を晒すとも思えません。

となれば、切腹してそれを介錯した五助が、
首級をどこかに隠したと考えるのが妥当です。

「左様。仁右衛門よ、
 何か知っておるのではないか?」

家康のご機嫌を損ねぬよう、
高虎も答えを促します。
あり得ないこととは思いながら、
万に一つ、仁右衛門が利敵行為などしていれば、
どんなお咎めを受けるか分かりません。

しかし仁右衛門は、
事の次第を正直に答えます。

「いかにも刑部の首級について、
 その在処は知っております。
 しかし五助と交わした約束ゆえ、
 何人たりとも明かせませぬ」

「何だと!」

「たとえ敵といえども、
 信義に悖る振る舞いは武士として末代の恥。
 罰するならばいかようにもなされませ」

どれほど説得しても
頑として譲らない仁右衛門の心意気に、
呆れるやら感心するやら……とうとう
家康は吉継の首級を諦め、
仁右衛門に褒美として
槍と佩刀を与えたということです。

佩刀とは、はいとう。
即ち、腰のもの。腰におびた刀のこと。

こうして大谷吉継の首級は
見つからずじまいとなりましたが、
五助との約束を守り通した
仁右衛門はもちろん、
その強情を許してやった家康の度量は
相当のものでした。

自分の命と引き換えに
主君の名誉を守る者、その想いを汲んで
命がけで約束を守る者、
それらの心意気を受け入れる者……
かつてこういう日本人がいたことを、
次世代に伝えていきたいものです。

※参考文献:
•参謀本部『日本戦史 關原役補傳』
元真社、1893年6月
•大日本人名辞書刊行会 編
『新版 大日本人名辞書 下巻』
大日本人名辞書刊行、1926年6月

JapaaanMagazineより抜粋。

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Wikipediaより。

藤堂 高刑(とうどう たかのり)は、
安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。
藤堂高虎の家臣。本姓は鈴木氏で、後に藤堂姓を賜る。
仮名は仁右衛門。室は織田信清の娘(藤堂高虎養女)。

天正5年(1577年)、
近江国で鈴木弥右衛門と、藤堂虎高の娘(藤堂高虎の姉)
の子供として生まれた。
天正19年(1591年)に増田長盛を烏帽子親として元服した。
叔父・高虎に仕え、
翌年(1592年)の朝鮮出兵で初陣を果たし、
敵の船を奪い取るなどの手柄を立てる。

関ヶ原の戦いでは大谷吉継の家臣・湯浅五助を討ち取った。

慶長20年(1615年)に
大坂夏の陣に先鋒の一人として参加したが、
5月6日、八尾・若江の戦いで
長宗我部盛親隊の猛攻撃を浴びて
藤堂隊が壊滅状態に陥った際に、多くの将兵と共に、
高刑、氏勝、良勝、桑名吉成ら重臣も戦死した。
享年39。

墓は大阪府八尾市本町の常光寺にある。
子孫は、伊勢津藩の藤堂仁右衛門家として
代々城代家老(番頭)を務めた。

____________________

ストーリーに戻ります。

さらに、宇喜多秀家隊。
➡︎➡︎ 支離滅裂に。

西軍では、
宇喜多隊17000は、戦意消失。
小早川隊15000は、裏切り。
この両隊で少なくとも30000人超が
居なくなる。また近くの四隊も、裏切る。

さらに大谷吉継隊もほぼ全滅。
元々逃げ腰の小西行長勢も戦場から逃亡。

石田三成側は、二人の重臣をも失い、
てんでんバラバラとなる。
もうこうなると、戦いどころではない。
鶴翼の陣を敷いても、
皆を指揮する大将次第である。
コントロール出来なければ、絵に描いた餅。
実戦経験不足の大将のイメージ通りに
行くわけが無いのだ。
____________________

「プロ野球」でも、そうですやん。

最初から巧く行くわけがない。
阪神タイガースだって、岡田はんは、
チームを率いた2005年、2023年と
リーグ優勝はしましたが。
チームを作るのには最低三年掛かる、と
故星野仙一氏もそう曰く。
来年2024年こそがまずは勝負だ。
三連覇くらいはせーえよ!
____________________

これを見た家康は。
伝令からの状況報告を聞いたのだろう。

こうして、
家康の勝ち鬨(かちどき)の声とともに、
西軍の敗走が始まる。
勝運は一気に東軍に傾いたといわれている。

「ええーい!」「ええーい!」と
と呼び掛け、

将兵どもは、
「オー」と呼びに応える。
____________________

「ことは終わった。
 其方達は気儘にしてよい。」

「何を仰せられます。
 最期までお供仕ります。
 この場は引き抜き、佐和山にて
 もうひと合戦!」と。

馬で佐和山に向かう、敗軍の将。


____________________

しかし、薩摩の島津勢。
大将に駆け寄る甥の島津豊久。

「石田三成が逃亡!」

「なんじゃんっち?」

「小西行長も逃亡!
 宇喜多勢は総崩れ、ごわすっ!」と

豊久の報告を受けた、大将、島津義弘。

「さあーてえ。どげんすっかあ?」
「直ちにお引き抜きを!」
「もう遅かあー。東西南北皆敵じゃあ!」

「じゃどん!」と将兵。

「そうは行かん。戦らしか戦もせんと
 逃げ出したっちゅう事になれば、
 武門の名折れ(なおれ)。
 いっそ、家康の本陣に突っ込んで
 相果てようじゃなかかあ!」

◆ 武門の名折れとは、
名誉をきずつけられること。
名をけがすこと。不名誉。なおり。
「武士の—」

◆あい‐は・てる〔あひ‐〕【相果てる】
読み方:あいはてる
[動タ下一][文]あひは・つ[タ下二]
「果てる」の改まった言い方。
死ぬ。終わる。「みずから—・てる」

「承知しましたあ!」と豊久。
____________________

場面は、家康の本陣。
ここに新たな情報伝達が。

「申し上げまーす。」

「なんじゃあ!」

「南宮山の毛利勢が、一斉に山を降りて
 逃亡中!」と馬を降りた伝令。

「毛利勢が?」と家康。

「池田輝政殿、浅野幸長殿の軍勢、これを追跡!
 長束、安国寺、長宗我部の軍勢を
 攻めしつつあり!」

池田輝政
浅野幸長

「執着じゃあ!」と総大将家康。
____________________

その時、本陣に近づく馬隊の接近音。
「正純、影直。」
そして、立ち上がった家康。

さしもの激戦既に終盤。
逃げ遅れて、袋の鼠になりし島津勢は、
大胆にも死中に活路を求めるべく、
東軍の中央突破を試みた。

さしもの、とは「旗指物」のこと。
____________________

突っ込んでくる島津勢に、
井伊隊、本多忠勝勢は
この進行を食い止めようと奮戦する。

しかし、大将島津義弘は
それでも、必死の突入を続ける。

「通すなあっー」

家康の眼前まで迫るも、
これを横切って、瞬時に退去し始めた。
____________________

次は、
世に云う「島津の退(の)き口」から。

第4 蘊蓄話 D

佐和山城陥落、おりんの自決。

光成の父
おりん
小西行長 と 安国寺恵瓊
三成41歳で打ち首

「三成の打首(斬首)」まで。

これにて、
第一話「総括関ヶ原」から
第十三回「三成最期」までの
ピックアップされた各回の名シーンを。
ごらん頂きたく。

三成復元頭部
江守徹

9401字


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