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【時事抄】 シャープ TV用液晶製造から撤退

ついにシャープがテレビ向け液晶パネル製造からの撤退を決めました。シャープにとって液晶事業は、70年代前半に電卓用として白黒液晶の実用化に成功して以来続いた、会社にとって祖業に近いものだったと思います。

70年代まで職場の女性は算盤(そろばん)を使って事務計算をしていたそうです。70年前半まで商社勤めをしていた我が母は家の中でも算盤を使って家計簿をつけてました。私の小学校時代には学校に算盤の授業がありました。電卓の普及によって世界が一変したのです。

計算機しかり、テレビしかり。アップル創業者のスティーブ・ジョブス氏はMacやiPhoneが世界を変えたと豪語してましたが、シャープもまた世の中の風景を何度も一変させた企業でした。

日本経済新聞の記事を見てみます。

<要約>
シャープは経営再建に向けた構造改革として、テレビ向け液晶パネル工場の稼働停止を決めた。09年に約4300億円を投じて設立した子会社、堺ディスプレイプロダクト社の採算割れが続いていた。

2023年3月期に連結最終損益の赤字が2000億円を超え、堺の工場を中心に液晶関連で1884億円の現存損失を計上していた。大型テレビ用パネルは高級機種が有機ELにシフトし、量販機種は中国パネル製造大手の造る割安な液晶パネルが市場を席巻する。

00年代半ばまで日本の電機産業をけん引したテレビ向けパネルは、韓国勢につづき中国勢が参入して価格競争が激化し、日本企業の撤退が相次いだ。ソニーは12年に韓国サムスン電子に製造合弁会社の全株式を売却。パナソニックも16年に生産をやめ、テレビ用パネル製造工場を国内に持つのはシャープだけだった。

シャープ自身、16年に台湾の鴻海精密工業の傘下に入り、堺のパネル工場は一時、鴻海創業者の郭台銘氏の投資会社が株式の過半を取得したが、22年6月にシャープが再び子会社にしていた。9月末まで生産を停止し、工場の他社への貸し出し、早期退職の募集も検討する。

また一部社員をソニーグループ傘下の半導体工場に出向させることも検討している。半導体産業は技術者不足が深刻で、不振を極める液晶パネル製造から成長分野の半導体製造へ人材の移動を促す。

(原文1104文字→578文字)


シャープ液晶事業が凋落した原因は、多くの人が語っています。外部要因を挙げれば資金力に長じた強力な競争相手の出現、技術トレンドの激変、円高や資源高、各国税制の違い、等々。内部要因ならば堺工場投資の無謀、リーマンショック直後の稼働開始という運の悪さ、運営の稚拙さ(ソニーを怒らせた)、一部社員の傲慢。ただまあ、「勝てば官軍、負ければ賊軍」で、今のシャープにはどうしてもマイナス面の話題が集まりやすいのは否めません。

00年初頭に液晶テレビで躍進したシャープは、「選択と集中」の好事例とメディアや経営学者が非常なる好感をもって取り上げていたのです。主力の亀山工場には、サムソン社員らしき韓国人が工場を見下ろす山中に身を潜め、人やモノの出入りを観察してノウハウを収集していたそうです。

そこには多くの若者が集まりました。90年代後半から00年代前半にかけて、日本企業はバブル崩壊にダメージから新卒採用の門戸を閉ざし、当時から「就職氷河期」と呼ばれたこの時期、液晶製造関連が雇用の受け皿でした。

そのころ新卒採用された若者たちが、いま40代、50代を迎えています。液晶パネル製造一筋に取り組み、いよいよこれから表舞台という年代に達したとき、知識や経験を役立たせる舞台がなくなってしまう。名門企業だけでなく、従業員一人一人も「構造改革」を迫られているのだと想像します。

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