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東京STATION

東京駅の雑踏が好きだ。

行き交う人々の歩みのリズムは様々だけど、
此処にいる誰もが皆「目的地」を持ち、
揚々と、或いは寡黙に、
緻密にプログラムされたダイアグラムと、
誰にも忖度しない時間の流れに翻弄されながらも、
愚直に“前”に向かって歩み続ける
『命のサウンド』。

東京駅の雑踏の解釈を求められたとしたら、
僕ならきっとこんな風に記すだろう。

目的地に向かって進む。

目的地で待つものが、常に「LUCK」とは限らないだろうけど、
目的地があることは、実はとても恵まれたことであり、
幸せなことなんだな、と、
東京駅に来ると、そう思う。

東京駅に纏わる思い出は沢山ある。
帰省、出張、出迎え、夏休みのポケモンスタンプラリー、などなど。
出張帰りの新幹線ホームでペルーのフジモリ大統領(当時)と出会した時、
何処の誰かも解らないまま握手をし、とりあえず、
「いつも見てます!」
と笑顔で伝えた僕のエピソードは、
いまでも友人たちの間での語り草だ。

さて、そんな東京駅に纏わるマインドグラフィティの中で、
最も忘れがたい出来事について書き留めておく。

それはいまから17ヶ月ほど前のこと。
2019年11月6日の出来事である。

以下、その日に書いた日記を転記する。

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東京ステーションホテルでの打ち合わせを終え、
東京駅を背に、薄暮迫る皇居を臨み深呼吸。

さて、会社に帰ろう。

歩き出した僕に、一人のインド人紳士が声をかけてきた。

「君の眉間に素晴らしいパワーが溢れているのが見えるんだ。」
「おそらくこの1〜2年は苦しいことが続いていたんだろうね。」
「でも今年から来年にかけて、君にはとても素晴らしい出来事が待っているよ。」
(的なニュアンスの英語。。)

そして彼は何かを走り書きした紙端を丸め、喜ぶ僕の掌に握らせこう続けた。


彼:「好きな色は?」

僕:『White』

彼:「1から5で好きな数字は?」
僕:『Three』

彼:「君の願いは?」
僕:『Peace』

そして彼は、僕の掌の中で丸まった紙端を開いて見るよう僕を促した。

‘ 3 white ’


な、なんと!
広げた紙端には、僕が伝えた数字とカラーの走り書きが!



驚く僕に、彼は言う。

「君は自信がなさそうな表情をしてた。」
「でもね、もっと自分を信じ願うんだ。」
「2020年は君にとって本当に素敵な一年になるはずだよ。」

『あ、僕はいま神と語り合っているんだ!』

黄昏色に染まり始めた東京・丸の内の雑踏の中で、
僕は本気でそう思った。

お礼を言って握手をし、彼の手を離そうとしたとき、
「神」は僕の手を強く握り直し、こう言った。

「Donation.」(志 Please!的な?)

品の良い横長の財布を開き、声なき声で「神」は僕にそう告げた。

『 Sure! I do. 』

僕は1000円札を1枚取り出し、彼の財布に入れた。

迷いはない。
だって彼は「神」なのだから。

「 Two more. 」  と、彼。

そうだよな。
神に1000円なんて失礼すぎるな。

そう思うのと同時に、なんかちょっぴり釈然としない思いが心をよぎった。


信仰心に欠ける自分を憂いながら、僕は彼に頭を下げた。

『I'm sorry, I don't have any more cash.』
『Can i use Apple pay ?』
.........................................................
永遠にも感じる数秒の沈黙。
..........................................................

「.....OK. 」
「Have a goo life. 」
「See you 〜」

彼はクールな笑顔を僕に向け、もう一度二人で固い握手を交わし、
「神」は悠然と人波の中に消えていった。

会社に戻り、僕は考えた。

やはり僕はもう2000円を「神」に捧げるべきだったのではないか? 
若干の後悔の念に苛まれながら、今この文章を書いている。

いやいや、欲張るのはやめよう。
1000円分の幸せは約束されていると信じよう。

彼の最後の言葉「See you 〜 」が脳裏にこだまする。

訳すなら、専ら
『じゃぁ、いいですぅ〜。』
というところだろうね。

そんなわけで、今夜はカレーにする予定。

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と、日記はここまで。

いま、改めて僕は思う。

この出来事からの約1年半。
世界はコロナに翻弄され、
僕たちの生活は「負」の変化を余儀なくされている。

「この世に生き残る生き物は、最も力の強いものか。
そうではない。最も頭のいいものか。そうでもない。
それは、変化に対応できる生き物だ。」

ダーウィンが語ったとされるこの言葉が何度も頭をよぎり、
そしてその度、生き残る“術”がいかに非効率で難しいことなのか、
を悟る毎日。

そんな不確実な時代にあって、いまのところ僕は、
公私ともに著しい変化に憂慮すること無く、
比較的穏やかに毎日を過ごすことができている。

痛みを避けられず、或いは痛みを和らげるために日々戦っている方々を思うと、
やるせなくてため息が出る。

コロナ禍の世界。
今の自分の現状を「LUCK」と呼ばずになんと云おう。

現在地は「目的地」ではなく「通過駅」ではあるけれど、
この平穏があの日 東京駅で “神” に捧げた1000円分のご利益だったとするならば、僕は充分「元を取った」と言えるのかも知れない。

ともあれ、あの日の神が「Apple Pay 加盟店」の神様じゃなくて、
ホントよかった。

〈備忘録〉
「この世に生き残る生き物は、最も力の強いものか。そうではない。最も頭のいいものか。そうでもない。それは、変化に対応できる生き物だ。」
上記の言葉はダーウィン自身の発言ではなく、米国の経営学者レオン・メギンソンがダーウィンの考えを独自に解釈して論文中に記した言葉だそうです。念の為。

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