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「マウントとは?」対話カフェそもそも レポート#15

【開催日時】
2023年6月10日(土)
12:45~14:45
@池袋会場

第15回のテーマは「マウントとは?」です。

誰かにマウントをとられたことはありますか?
知らず知らずにマウントをとってしまったことは?

おおよそ『自分が上であるとアピールするウザイ言動』をマウントと呼ぶようです。

ネットで、マウントにまつわるお悩み相談をよく見かけます。
多くの人がマウント人に悩んでいるようです。

なぜ、人はマウントをとりたがるのでしょう?

そもそも、マウントとは何なのでしょうか?

今回の対話のレポートをまとめました。

マウントについて思うこと

まずは「マウント」についてのイメージを挙げてみます。

「女性ならみんなやっているイメージ」

「無自覚にしてしまったり、されたりする」

また、マウントについて問いも挙げていただきました。

はじめの問い

「なぜマウントをするのか?」

「マウントは人にどのような影響を与えるのか?」

動機と、与える効果が気になるようです。

問いに進む前に……マウントの定義について、ある程度の共通認識を持つため、次の問いを立てました。

あなたの思う、マウントとは?

「由来のひとつかもしれませんが、格闘技の用語で使われていました。倒れた相手に馬乗りになるのを『マウントポジション』と呼びます。圧倒的優位な体勢みたいです」

「今回の対話をTwitterでつぶやいたとき、Twitterのリプライで送ってもらったのですが、野生動物には本能で、動物同士には必要なものだそうです」

「野生の世界では当たり前のことなんですね」

「考えてみたんですが、同じ基準があるからこそ、上下関係、マウントが成立すると思うんですよね」

「同じ基準というのは?」

「自分と相手を比較するための、共通のモノサシがないと、マウントにならない。例えば『お金持ちのほうが良い』というモノサシが自分と相手で共通している。それではじめて『自分はこれだけ稼いでいる』というマウントが成立する」

「なるほど。じゃあ『恋人がいるいない』についてのマウントも、『恋人がいた方が良い』ってお互いが思っていないとマウントにならないわけですね」

マウントしている内容が、相手にとって羨ましくないなら、マウントにならない?

マウントが起きやすい基準とは?

「少し気になったのですが、マウントが起きやすい基準って何があるんでしょう?」

「勤めている会社の規模とか」

「学歴マウントは多そう」

「以前カラオケで、原曲キーで歌おうとしたら『マウントとらないでくれる?』って言われたことがあって。マウントしたつもりは全くなかったんですけど……」

「その人は『原曲キーで歌えますマウント』に捉えたんですね」

「さっきも出ましたけど、恋人がいるいない、とか」

「結婚してからだと、子どもの受験を成功させたとかもありそう」

カラオケのように、細かいところでもマウントは発生してしまうようです。

マウントは同じコミュニティで起きやすい?

「マウントは、お互いに近い存在、同じ共同体にいるからこそ起きると思います」

「共同体の中での『お山の大将』でいたい、という動機なのかもしれない」

「大学のときに、『FXで稼いで、大学で一番の金持ちになる』と言っていた人がいて……『自分はワンクリックでこんなに稼いだ』とか自慢していたんです。今思うと、『大学の中で一番』というのは、まさにお山の大将だったな、と」

「ビル・ゲイツを超える、とはならないですものね」

「確かに、さっきの原曲キーマウントの件で、Mrs. GREEN APPLEのボーカルが来て目の前で歌われても、それでマウントとは感じないはず」

「あまりにもかけ離れた存在が相手だと、マウントは成立しないんですね」

自分と近い存在が原曲キーで歌うからこそ、原曲キーマウントが成立する。

こだわりやコンプレックスがマウントのテーマになる?

「こんなに稼いでいる、ということでマウントを取るのは、その人にとってお金儲けが人生で大切なことだから、なのかも」

「その人にとってのこだわりや、コンプレックスがマウントのテーマになっている気がします」

「恋人がいるのが当たり前のコミュニティだったら、恋人がいるマウントは成立しないですよね。その代わり、恋人のステータスとか、そういうことでマウントが起きる。マウントの内容が細分化されていく」

マウントとは何か?についてある程度深まったところで、はじめに出た問いを改めて考えてみます。

なぜマウントをとるのか?

「さきほども出ましたが、お山の大将でありたいから」

「コミュニティの中で、優位でありたいから」

「自分の生き方で正しいんだ、と思いたいからかも」

「正しいと思いたい、ということは……裏を返せば、自分の生き方に不安を感じていて、不安に耐えられないから?」

「自分は間違ってないんだ、という気持ちの表れ?」

「それもおそらく、裏には不安がありそうですね」

「ということは、不安を消したくて、マウントをしている。不安を消すために、相手を利用していることになる」

「マウントでは、比較すべき敵は常に他人になるわけですね」

「確かに、自分一人ではマウントは成立しない。対象になる相手がいるからマウントできる」

「不安ということを考えると、さっきの『絶対に負ける相手』とは比較しないのも納得です」

「お金持ちになりたい人が、大富豪と自分を比較しても、不安は消えない」

「『恋人がいるマウント』=『私を愛してくれる人がいますアピール』だと考えると……それって他人から愛されていないことが不安だから、マウントを通して「私は愛されている」って自分に言い聞かせてるのかも?」

「そう考えていくと、マウントのとり合いが起きている場所では、裏では皆が不安でビクビクしていことになりますよね。それってとてもおぞましいと感じます」

マウントと、その人が抱える不安には、深く繋がっているのかも?

どうなればマウントをとらなくなるのか?

「例えば、お金に余裕があっても、マウントをとる人もいれば、とらない人もいますよね。その違いは何でしょうか? また、マウントをとる人は、何がどう変わったらマウントをとらなくなるんでしょうか?」

「恋人がいたほうが幸せ、という価値観があるから、
恋人マウントが起きる。その価値観が消えれば、恋人マウントしなくなるのかも?」

「恋人がいなくても充実した生活を送っている人たち同士なら、恋人マウントは起きない」

「でも、その代わり、『私の方がお一人様生活を充実している』というマウントが発生しそう」

「キリがないですね(笑)」

「『自分らしさ』とか『自分らしく生きる』という価値観がありますよね。その価値観でも、『私の方が自分らしく生きている』というマウントが起きてしまうと思うんです。でも、それは矛盾しているんですよね。それぞれの自分らしさがあって、優劣なんてないはずなのに、競ってしまう」

「いわゆる『みんなちがってみんないい』のはずなのに、競ってしまうのは確かに矛盾ですね」

「これはなぜなんでしょうね?」

「どちらが幸せか、を競っているのかな」

「私たちは、幸せという価値基準から逃れられないのでしょうか……?」

突き詰めると、私たちは幸福度の競い合いをしている?

「幸せ」という価値基準

「幸せであることは良いことであると、ほとんどの人が思っていますよね」

「米津玄師のKICK BACKでも『幸せになりたい』って言ってましたね」

「幸せには、個人で完結する幸せと、他人から得られる幸せがあると思うんです。美味しいもの食べて幸せ、は個人で完結している。マウントは他人がいないと成立しないから、他者から得られる幸せと繋がっていそう」

「承認される幸せなんじゃないでしょうか。恋人がいて幸せだと、他人に承認されたい」

「承認されることが幸せだから、承認欲求があるわけですね」

「『より幸せなほうが勝者』みたいな価値観を、実は多くの人が抱いているのかも?」

「簡単に解決策が見つからないテーマだからこそ、マウント行為が人にしみついているのかもしれない」

恋人、お金、幸せ……どれも簡単には解決策が見つからないものばかりです。

マウントをやめたきっかけの話

「学生時代、周りの友達が聞かないジャンルの音楽、アーティストを聞くことで、周りに対してマウントをとっていたんです。でも、あることをきっかけに、そういった行為自体に価値がないと気づいたら、マウントをとらなくなった。虚しいことをしているな、と思ったんです」

「学生時代は結構、そういうマウントとりがちですよね。『自分だけはわかってる、気づいてる』的な」

「マウントを取らなくなってから、『自分で自分のことを認められていなかったんだ』と気づけたんです。だって、本当にやりたいことなら、マウントもアピールもする必要ないですよね。やりたいことをやっていれば、それで満足ですし」

「比較対象が他者ではなく『昨日の自分』であれば、マウントが起きないはず」

友人の評価を意識しすぎた海外旅行の話

「学生の頃、海外旅行に行ったときの話なんですが……。旅行中、何をするかを決めるとき、「帰国してから友人にアピールできるか」を気にして、行動を選んでいたんです。後になって、他人の評価や視線を常に気にして、やることを決めていたと気づいたんです。『あれは本当に自分のしたかったことだったのか?』と、あとから悟りました」

「帰国後にマウントを取れるどうか?を考えて行動していた、と」

「旅行中、自分のやりたいことはできていかなった、ってことになりますね」

「アピール目的でやってしまうことって、結局はかりそめのことなのかな。本当に自分がやりたいことは、自然に続くし、そもそもそれでマウントとりたいとは思わない」

本当にやりたいことであれば、マウントとは無縁になる?

再び、どうなればマウントをとらなくなるのか?

「マウントしがちな人は、どうなればマウントが少なくなるんでしょう?」

「抱えている不安が消えない限り、マウントはとり続けてしまうのかも……?」

「恋人マウントなら、『恋人がいないと可哀想』という価値観から変わらないといけない」

「私も昔は恋人がいるマウントをしてたんです。でも、今はしなくなった。恋人がいてもいなくても、今の自分を好きと思えるようになったら、変わったんです」

「恋人マウントって、自分で自分を愛せていないことの証明なのかも?」

「じゃあ、どうやったら自分を愛せるの?ってなりますね」

「難しいですよね。誰もが簡単にできることじゃないから、恋人マウントがなくならないのかも」

価値観を変えるのは難しい……。

マウントは悪いこと?

「マウントは悪いこと、みたいな流れでここまで来たんですけど、マウントは本当に無くすべきなのか?とも思ったんです。マウントを取られたことによって、とても強い意欲が湧き、たくさんの作品を残した作家もいる。マウントがなかったら、その作品は生まれてないのかな、と」

「反骨精神の良さ、というのもあるのかも」

「反骨精神よりも、恨みつらみが上回るとしんどそうではありますね」

「アーティストは良い作品を残せば本望かも」

「誰かのマウントを、みんなで受け入れることで、その人のメンタルを少し救っている役割もあるかも」

「周りが許容できるなら、メンタル的なヘルスケアとしてマウントが機能している良さもあるのかも?」

残り時間が少なくなったので、今回の対話を振り返っていただき、簡単な感想や、新たに浮かんだ問いを伺いました。

今回の対話を振り返って

「マウントはなぜ無くせないのか?をもう少し深掘りしたいなと思いました」

「対話の前は、マウントはなくなれば良いのに、と思っていたんですが……。反骨精神であったりとか、100%悪いとも言い切れないのかな、と思えてきました」

「ここまで対話してきて、さらに問いが生まれてきました。マウントしてしまう自分の気持ちや価値観が、今すごく気になります」

このあたりで時間いっぱいとなりました。

第15回の板書

ファシリテーターの思うこと

マウントについて対話を進めるなかで、いくつか気になるキーワードが出てきました。

価値観。
不安。
幸せ。

マウントという行為について、少し見え方が変わったような気がしています。

そうまとめると、「マウントのことをよくわかってるマウント」みたいになってしまうのかも?と、考えがぐるぐると……。

とは言え、誰かのマウントになるかも?と怯えてしまうと、何も発信できなくなってしまいます。

自分のやりたいことに夢中になれたら、それが一番かな?

参加してくださった皆様、ありがとうございました!

次回の開催案内

次回は2023年6月24日(土)開催。
テーマは「生きている価値とは?」です。
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