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「ありのままの自分とは?」対話カフェそもそも レポート#34

【開催日時】
2024年3月30日(土)
12:00~14:00

第34回のテーマは「ありのままの自分とは?」です。

ディズニーアニメ「アナと雪の女王」にて、高らかに歌われた「ありのままの姿」。

本当の自分、と言い換えてもいいかもしれません。
私たちはいろいろな自分を持っていて、使い分けて暮らしているようです。

その中に「ありのままの自分」があるのか?
いったいどんな自分なんでしょうか?

10代・20代で対話したレポートです。


はじめの問い

まずはテーマについて抱いている問いや、思うこと挙げていきます。

「ありのままにはレベルがある。どこまでありのままでいいのか?」

「子どもと接していると、子どもは「ありのまま」だと感じる。大人になるとありのままじゃなくなるのか?」

「年上の人と話していたとき、気を遣ってしまって話の食い違いを訂正できなかった。その自分はありのままなのか?」

「気遣いを持った時点で、ありのままではなくなるのか?」

「ありのままでいられる、信頼できる相手はどれくらいいますか?」

「一般的に、なんでもさらけ出せることが「ありのまま」とされているが、それはありのままではないのでは?」

「場に合わせる自分も「ありのまま」で、社会性を持っているということではないか?」

「ありのままは人によって違う。ありのままはひとつなのか?」

「相手によっていろいろな自分を使い分けていたら、友人から「いろんな自分、そのすべてがあなただよ」言われてモヤモヤした。心地よい自分こそがありのままではないのか?」

「ありのままの自分」にまつわるエピソードと、これらの問いが挙がりました。

自分がありのままでいられる、信頼できる人はいますか?

自分をさらけ出すことができる、信頼できる相手はいるのか? 聞いてみました。

「飼っている犬の前だと、自分をさらけ出せる」

「誰の前でも、ありのままでいられる。信頼して話せる友人は一人くらい」

「自分も、誰の前でも同じようにありのままでいられる。誰にも話さないと決めていることがあって、実際に誰にも話したことはない。そういう意味で、信頼できる人はいない」

では、「ありのまま」とはどんなことなのか、掘り下げてみます。

何をもって「ありのまま」と言える?

どんなとき? 何があれば?

「体感として、リラックスして話せるときにありのままと感じる」

「子どもはありのままという話があったけど、周りの空気に合わせている子どももいる。自分が何を言うかと、自分が何を言わないか、を選べることが大事」

「飲み会とかで恋愛話を一人一人言わないといけないような空気は嫌。話したいときに話したいことを話せるくらいの気持ちが持てるのが信頼関係」

「深刻な悩みを持ったまま、隠している気もなく関われるのが、ありのままでいられる関係」

「相手との親密度は関係ない。SNSで愚痴を書き込むのもありのままなのかも。話すことを自分で選べるのが大事」

「どんな話をしてもいいよ、どっちで受け入れるよ、という姿勢を示してくれる人ならありのままでいられることなのかな?」

「もしかすると、他者との関係性の中に、ありのままの自分のモノサシがあるのかもしれない」

「聞いていて、相手がありのままでいるためには、自分は何をしたらいいんだろう?という問いが浮かびました」

「それを探りながら人付き合いをしているけど難しい。わかってくれるだろう、じゃなくて、きちんと気持ちは言葉で言ったほうがいいと思う」

「ありのままでいてほしい、と思うのはなぜですか?」

「相手にはリラックスしていてほしいと思うからです」

「相手がありのままになってくれたら、自分もありのままでいられるから、というところもあるのかな、と思いました」

「それもあるし、自分がありのままでリラックスしているので、相手にもそうであってほしい、申し訳ない、みたいな気持ちです……自己満足なのかな?」

「私は、ありのままとは何なのか本当にわからなくてここに来た。ありのままを計るには、相手との関係性が必要という話を聞いて……私は本当に相手のことを考えたことがなくて、相手がどう思ってるか考えない。だから自分のありのままがどれなのかわからないんだ、と腑に落ちました」

「家で一人でぼんやりしてるのがありのままだと思ってたけど、それがここで挙がってこないのは、それはありのままではないのかも?」

「自分も相手の気持ちに無頓着だけど、自分はありのままだと感じる。自分がリラックスできるかどうかだけを考えているので……自分の考えは皆さんと違うのかな?と思いました」

「リラックスできること、自分の力を発揮できていると感じられることが、自分がありのままでいられる条件。他者は関係ないです」

「ありのままじゃない、と感じることはありますか?」

「過度なストレスや、強い刺激とかが加わりすぎると、ありのままでなくなる気がしました。自分の許容量を超えてしまったとき」

「普段の生活の割合としてどれくらいありのままですか?」

「9割5分くらい、ありのままだと感じています」

「私は悩ましくて……常にいい人でありたいのに、一部の人に対して冷たい態度をとってしまう。自分でもよくないとわかっているけど、それもある意味、ありのままの自分ですよね。冷たい態度の自分が本当の自分で、笑顔を努めている99%の生活が嘘なのかな?と思うこともある」

「自分にもありのままじゃないと気づけたときがあって。ある友人と離れることになったとき、楽に感じた。いなくなって初めて、「今までありのままじゃなかったんだな」って気づいた」

「ありのままだと深く感じたとき、今まではありのままじゃなかったんだ、と気付かされることがある」

「今の自分はありのままだと思っているけど、そうじゃないかもしれない、ってことですね」

「今のを聞いて、自分は自分がありのままと思い込んでいるのかな?と思いました。ありのままになりたいという思いがあって、自分はありのままだと思い込んでいるだけなのかもしれない」

「ありのままの自分になりたい自分は何なんだろう、ってなりますね」

ありのままでありたいと思う自分は、ありのままなのか?

ありのままになりたいと思っているならば、ありのままではない?

「こうなりたい、と思う自分のイメージがあるとき、それはありのままなのか? たとえば、好きな髪型にしたら、知人から「髪型が変だよ、元々の地毛でありのままで行きなよ」と言われた。でも、好きじゃない地毛の髪型より、作り物だけど好きな髪型のほうがありのままだと感じる」

「作り物だけど自分が好きなことは、ありのままと言えるのか?」

「自然に出てきた願望なら、それはありのままの自分だと思います」

「誰かの模倣とかでなければ、ありのままの気がする」

「その自分が好きかどうか?に関係があると思う。出てきた願望が叶えられないケースがありのままではないとは思う。たとえば変な校則で髪型を制限されるとか」

「ありのままとか自分らしさが言及されるときは、ありのままじゃないときで……そういうのが損なわれているときこそ、本当の自分とは?が浮かび上がってくると思っていた。ありのままだと思っていたことが、本当はそうじゃないのかも?という気づきがあるのは新鮮に感じました」

「ありのままじゃなくなるとき、ありのままを知るんだ、と。それはジェンダーの話にも関わっていて……女性の肉体として生まれてきたけどズボン履きたい人が「女子に生まれたからありのまま女性らしくしろ」と言われるのは、ありのままじゃない気がする」

「私は女性らしいファッションをしていて、自分が女子であることに疑いは持ったことはないけど、何かで性別を選ぶとき「その他」があれば絶対その他にします。決められてる感が嫌なんです。ありのままってそういうことなのかな、って思います」

「自分で選択してる感覚が、ありのままなのかな」

「男性か女性か、二択に振り分けられるのは、ありのままと感じられない」

「態度、服装、話したいことを自由に選べると、ありのままの自分を感じる」

「ありのままとは、自分が自分であれる感覚。社会性って面で考えると、場に応じて自分を演じる、それも自分なのか? 相手で決まるという話もあったけど、自分が自分を見る視点でのありのままってどうなるのか?」

「自分で自分を見つめたときに、自分らしさ、ありのままを感じられるか?」

「髪型とかの話にも繋がりますね」

「自分で自分を見たときにしっくりくるのがありのまま」

ありのままって良いことなの?

「気になってたんですが……ありのままの自分は良いもの、ってことが大前提であるってことですよね? ありのままは素敵な自分で、それに向かって行くもの、みたいなのが大前提にあるのかな、って。でもありのままってマイナスのこともあるはずなのでは?」

「ありのままの自分イコール理想の自分なのか、皆さんに聞いてみましょう」

「ありのままは「理想の姿」なのか「原始的な姿」なのか」

「同じ言葉でもふたつの概念がありますね」

「ありのままとは理想の姿でそれに近づくことが素晴らしいと捉えているか、もっと自分の核でありマイナス面もある原始的なものと捉えているか、どちらですか?」

理想の姿として捉えている
→2名

原始的な姿として捉えている
→2名

どちらもある
→2名

「僕は今とてもびっくりして……ここに来た時点では「ありのままっていいこと」で、世界中の人がありのままだったら幸せなのにな、みたいな感覚でいたんですが、驚いた」

「アナ雪では「ありのまま」をポジティブに歌っていましたよね」

「両方ある、と言う方はどんな感覚ですか?」

「自分は同じ場所にそれらがあります。たとえば創作のときにはこのふたつを結びつけないといけない。結びつけられれば、本能からワクワクする作品になると思う」

「自分は本や音楽が好きなんですが、そういうのはこのふたつが混ざっているのを「いいな」って感じてる感覚があります」

「場によって使い分ける自分は、理想の自分? 原始的な自分?」

「自分は、どれも理想です」

「私は、どれも原始的です。感情はそのまま出す」

「自分を取り繕わない?」

「取り繕ってるときもあるかもしれない。理想の自分のほうも、自分が肯定できたならOK。取り繕ろう自分も好き、と思えたらありのままになっちゃうかも。なので、ありのまま=原始」

「理想と原始はベン図になっているイメージ。重なる部分がある。SNSの愚痴は、原始かつ否理想。憧れへの模倣は、理想かつ否原始」

「理想と原始が重なってるところもある、と」

「いろいろな自分を使い分けているとき、それはこのベン図に散らばっているイメージですか?」

「そこは難しくて……真に原始ではいられないと思う」

「人はそれぞれ生まれた時点で限界がある。国とか経済状況とか。その差があってのスタート。そこからどうやりくりしていくか。だから選択の自由があったほうがいいのは、たかが髪型、たかが洋服でも、選べないのは不自由で傷つく。そのやりくりの結果で生まれるのが、場に合わせたそれぞれの自分。それぞれの場に適応した自分、それしかないんだろうな、という感覚」

「今のお話を聞いていて……さっきのベン図に、社会性の円を書き足すとしっくりくると思います。必ずしも理想と原始だけでは語れない」

「このどこかが大きく損なわれると、生きづらさが生まれそうですね」

「相手・他者の関係とかは社会性の集合に入りそう」

「で、どれがありのままなのかな?ってことですよね」

隠し事をしたらありのままじゃなくなる?

「ありのままって、隠し事がないイメージがあって。隠し事がない自分がありのままですか? 自分にも嘘をついてなくて、相手にも嘘をついていない」

「隠し事とありのままの自分との関係は? 隠し事をしたらありのままじゃなくなる?」

「アーティストとかって、SNSで言いたいこと全部言ったら炎上すると思うんです。本当の気持ちは隠してる。何か思ってても言わない。言わないのが社会性なのかな、と」

「隠している実感があるかどうかが大事だと思う。何でもかんでも言うわけじゃない。自分の大切なことを一人の友人に言ったとして、他の友人に隠しているわけではない。すべてを開示している自分が全部の自分かというとそうではない」

「隠している実感があると、後ろめたさや、話題に気をつけないといけなくなる。でも全部を開示するのは無理だし、開示した通りに理解してもらえるかは相手による。嘘をついているかではなく、嘘をついている実感があるかどうか」

「嘘をついている実感がないのが、ありのままの自分?」

「たぶんその方向なんだと思います。白黒ではない」

「言いたい、かつ、隠してると、ありのままじゃないと感じることが多い。自分の考えを誰にでも言わないのは、論争になるのを避けているから」

「自分は隠し事というか、本当に好きなものは人に言わず、用意した違う回答を言う」

「その理由って何なんでしょうか?」

「たぶん……本当のことを言ったとしても、いつだってわかり合えない。それがダルく感じて。どこから並行線になるかわからないから、軽い話題から「本当のことは言わない」って決めてるのかも」

「自分も同じような経験があるな、と思いました。その作っていった自分もありのままになるのかもしれない」

「となると、その場合、ありのままの自分はどこに?」

「たぶん、理想も原始もどっちもあるな、って。理想の自分を追い求めるのは今がんばってるところ。ふとしたときに原始的な自分が感情をぶちまけてる」

「僕は、好きなものに共感してもらうのは誰もが好きなことだと思っていたので、昔は誰かに迷惑かけていたかも」

「隠し事には度合いがある。人によってどこまで本当のことを言うかは差がある。聞かれたら何でも話します、と言う人は少ないのかな」

「自分は何でも話します。相手次第、相手がどう思うかはコントロールできないからどうでもいいと思ってます。それはそれで楽」

最後に話しておきたいこと

残り時間もわずかとなりました。

「自分の核みたいな部分が、複雑な形をしていて、光の当たり方でいろんな自分になっていくように感じました」

「光とは、具体的には?」

「どこを見たいかとか、状況とか。それによって、いろいろな自分に変わっていく」

「さっきの理想と原始と社会性のベン図、すごい便利だなと思いました。腑に落ちる」

「会社を辞めたときを思い出すと、このベン図で分析できる感じです」

このあたりで時間いっぱいとなりました。

ファシリテーターの思うこと

このテーマに決めたとき、自分から見た自分の話になるのかな、と想像していました。

いざ対話となるとさまざまなキーワードが出てきました。
気遣い。リラックス。不快感。
他者との関係性。
話す自由、話さない自由。
理想の自分。原始的な自分。
社会性。
隠し事。さらけ出す。

それらがあるとき、それらがないとき、ありのままのように感じたり、感じなかったり。

そんな対話の中で、自然とベン図が作られ、改良されていきました。
みんなで作り上げたベン図。
対話ならではのおもしろさだと思います。

参加してくださった皆様、ありがとうございました。

次回の開催案内

次回は2024年4月27日(土)開催。
テーマは「陰キャとは?」です。
詳細はこちらから。

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