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台湾で生演奏を聴いて、現代で失われつつある“現実”のありがたみを知る

生の演奏って、最高だと思う。
でも何で“生”の音楽が良いのか、CDとかYouTube(スピーカーとかイヤホン)との違いって何か、あまり言葉にできないでいた。

でも今回台湾でピアノとチェロ(チェロで合っているのか不明)の生演奏を聴いて、ピンと来た。

アレだ!飛行機の離陸前に見せられる「緊急時脱出」系の説明が、“動画”なのと“CAさんによる実演”との違い、とよく似ているのだ。

まぁ、ちょっと説明させてください。

私が長らく乗っていた航空会社さんは、いずれも前方座席のモニターでその説明を流していた。一応ちゃんと見ていたし、同じ会社さんだと3回目4回目にもなれば次のセリフすら分かるレベルであった。
しかし数ヶ月前にあるLCCに乗ったら、いつぶりか分からない程久しぶりに“CAさんによる実演”だったのである。

座席の並びの関係で見えない部分もあったものの、私の脳が「うぎゃ〜!!」となったのが、「これって本当だったんだ!!」という認識が脳内に発令されたからであった。

何だろうー。分かっていた“つもり”だった。
いつかは緊急事態に遭遇する可能性はある。だからその時はこれを着て、ここを引っ張って、ここから空気を入れて、などは“起こり得る”から“必要な情報”なのだと。
でも実際に実演を見た時に、「いや、私分かって無かったんじゃない?」となった。
それくらい、現実として実演を見るのと、動画で平面の情報として見るのでは、脳内処理が違ったのである。

生音楽はそれをさらに超えた。
今回はコンサート会場の一番前の一番真ん中席という、私的には特等席。



演奏者(チェロの女性)が舞台上ではあるが、私から2m程の場所にいて、彼女の息遣い(ブレス)、表情(あんまり見ては悪い気がしたが、本当に近いので入り込む瞬間がよく分かる)、楽器のS字部分の穴から音が出てくることすら分かる近さであった。

そしてピアノとの合奏なので、ピアノ演奏の男性とここぞという時に顔を見合わせた時の表情や、細かい所では弦の一部が切れたりとか(お高い天然の弦を使っている証拠だと思う)、同じ音を出しても音色が変わる感覚とか、とにかく五感への情報量がすごかった。

「現代人に欠けているものってコレなんじゃないかな」と思った。
今の人たちは、誰かが“現実”を録画録音してくれた媒体を、沢山見たり聴いたりしている。だから何となく、色々な場所に行ったり、何かをしたり、聴いたりしたような感覚を自分の中で覚え、その情報が蓄積されて、「自分は人生で何かを成している」的な満足感を得ているのではないだろうか。(素人考えですよ)

でも、実際に死ぬ間際とかに「あれ、私何して来たんだろう。あんまり現実の思い出とか、コレぞ私の人生みたいなのが思いつかない」みたいなことが起こっていないだろうか。

外に出て、色々な経験をして、目の前の現実に対して沢山の感情を抱いて、その“事実”が積み重なるような人生を、私は選択できたら幸せだなと思った。

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