【ドッソレスホリデー考察】ボリバルを巡る対立と、すれ違いの狭間に(アークナイツ)
【注意】この考察は非公式であり、ネタバレや個人の見解、推測を含んでいます。2022年2月時点の情報を元に執筆しているため、今後の実装次第で公式設定とはかけ離れた考察となる可能性がある点を予めご了承ください。
フミヅキ夫人様
拝啓
この度は休暇中にドッソレスの街へご招待いただき、ありがとうございます。当初この街には圧倒され、本音を申しますと、龍門を出たことへの罰かと思ったほどです。しかし休暇を終えて振り返ってみると、結局はそれほど悪いものではなかったと気づかされました。
ここで見たものは、私を悩ませもしましたが、考えさせもしました。また、ここで思いがけない人と再会し、このような機会がなければ、正直なところ、彼女とはなかなか交わることができなかったと思います。
自分にとって最高の休日とは言えませんでしたが、長く記憶に残るようなユニークな休日だったと思います。
最後に、ウェイ・イェンウ様にもよろしくお伝えください。
敬具
チェン・フェイゼ
(大陸版遊龍チェン紹介文和訳)
アークナイツは日本でのサービス開始から2周年を迎えました。イベントに先立って特設ページが設けられた他、長時間に渡る生放送、新宿の東西通路における巨大なサイネージ広告など、運営からも2周年にかける本気度を感じることができます。
さて、季節を大いに先取りした今回のイベントでは、船の爆破や大乱闘といった派手やかな演出の裏側に、退廃的な都市ドッソレスが抱え持つ複雑な事情が編み込まれていました。
『潮汐の下』のテーマが「繋がり」とするならば、『ドッソレスホリデー』のテーマは「すれ違い」。どこまでもすれ違っていく人々の中で、それぞれの思惑を解きほぐし、登場人物たちが抱え持つ内面に焦点を当てることが本記事の目的となります。
ボリバルの地政学
ドッソレス。又の名を、ボリバルの黒い心臓という。ボリバル最上の酒、コーヒー、砂糖の他に、年に一度のウォーリアチャンピオンシップが際限なく湧き上がる富と、快楽や名誉を追い求める者たちの目を惹きつけて止まない。
再探泰拉 DISCOVERED TERRA 2.0
今回のイベントでスポットライトが当たったのはボリバルの『黒い心臓』と呼ばれるドッソレス。
酒・珈琲・砂糖といった嗜好品の数々を各国に輸出し、外貨によって経済の血液を循環させる様は、まさしくボリバルに無くてはならない中枢都市であり、同時に退廃的な快楽を生み出す文化は人々を堕落させ、酸欠に陥りそうなほどドス黒い空気感を纏っています。
地政学とは、 地理的な位置関係により政治的或いは軍事的に、対象となる地域や経済に与える影響を指す言葉ですが、アークナイツでも現実同様にテラの世界地図から分かる位置関係が、度々各国家のパワーバランスや文化を解き明かす鍵となることがありました。
ボリバルはクルビアと密接しており、シナリオ中でも明かされた通り、クルビアからの侵略を受け、リターニア・クルビア・トゥルーボリバリアンという三つ巴の状況が形成されています。
ドッソレスホリデーに登場したパンチョという名前から想起させる歴史上の人物は、パンチョ・ビリャ(1878-1923)。メキシコ革命の指導者の一人であり、農民解放を掲げてブルジョア革命を指導したことから、映画や小説で取り上げることが多く、メキシコの国民的英雄です。
クルビアをアメリカとするならば、数々の嗜好品を生み出すボリバルはプランテーションを有した南米を想起させ、後述するように現実世界の歴史と様々な点でリンクしています。
ボリバルのロゴは太陽をイメージさせるデザインとなっていますが、かつて南米で巨大な文明を築いたインカ帝国では太陽神インティが信仰されていました。また、インカ帝国は黄金の帝国としても名高く、ドッソレスの三つ目の太陽が純金像と言及されていることからも、関連性が見いだせます。
時系列整理、ボリバルと南米史の共通点
ボリバルの歴史については、エルネストから語られています。文章にすると長くなるので、年表としてまとめました。
まず、イベリアによるボリバル領土化宣言について。以前、『潮汐の下』に関する考察記事にて、イベリアのモデルとなった国がスペインであることに触れました。
15世紀後半、世界に先んじた航海技術を有したスペインは南アメリカ大陸へと進出し、原住民から豊富な資源を収奪します。高度な海洋テクノロジーを有したというイベリアによるボリバルの源石鉱脈発見、そして領土化宣言は大航海時代のスペインを想起させる出来事です。
当然、長きに渡るスペインによる支配への反発は南米各地で発生しました。ボリバルという名前に着目するならば、「解放者(El Libertador)」という異名を持つ、シモン・ボリバル(1783-1830)は南米大陸のアンデス五ヵ国を独立に導き、統一したコロンビア共和国を打ち立てることを画策した革命家でした。近代においても彼の名前が持つ影響度は高く、1999年にベネズエラ大統領がボリバル革命と銘打って、政策を推し進めたことは比較的記憶に新しい出来事です。
次いで、リターニアによる統治。ウォルモンドの考察記事では、リターニア(LEITHANIEN)がオーストリア=ハンガリー帝国のオーストリア帝冠領を示すツィスライタニエン(Cisleithanien)と同じ綴りである他に、フランスやドイツ語を示す言葉が各所にちりばめられていることから、漠然とした「ヨーロッパ」という概念の集合体をモデルにしていると結論付けました。
歴史を紐解くと、スペインやポルトガルの他にも、ヨーロッパ各国が南米へと進出しており、世界の覇権がスペインから欧州のフランスやドイツといった別の国に移ったことから、欧州をモデルとするリターニアによるボリバル統治とも歴史的事実の結びつきが窺えます。
メキシコの歴史からその関係性を紐解くならば、スペインによる支配が300年続いた後、現地民による独立運動を経て、フランス干渉戦争が勃発(1861-1867)。首都を陥落させたナポレオン三世はオーストリア=ハンガリー帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の弟マクシミリアンをメキシコ皇帝として送り込み、第二次メキシコ帝国が成立しました。
そして、クルビアによる侵略とトゥルーボリバリアンの結成について。
1865年に南北戦争を終えたアメリカ合衆国は、フランスの息のかかったマクシミリアンと敵対関係にあるフアレスの後ろ盾になり、皇帝マクシミリアンは1866年に銃殺されました。
フアレス大統領時代に設立された地方警察は当初盗賊の取締や警備活動を主とした組織でしたが、次第に政敵の威嚇といった独裁政権を盤石にする組織へと権限を拡大。その後、第29代大統領となったディアスは地方警察によって農民の弾圧を行いました。
先述のパンチョ・ビリャはディアスの独裁政治に異を唱えた一人であり、多くのメキシコ国民の支持を得ながら生涯に渡って革命運動を繰り広げました。パンチョはメキシコへの政治介入を行うアメリカに対しても抗議し、アメリカもビリャを討伐するために12,000人もの遠征部隊を派遣します。
アメリカの遠征は結果的に失敗に終わり、ビリャは故郷で農園主として平和に暮らしたものの、最期は正体不明の暗殺犯により銃撃を受け、その怒涛の生涯を終えます。国民から英雄として扱われたパンチョですが、メキシコ革命史上ではしばらく触れられず、正式に革命の功労者として認定されたのは死後43年経った1967年のことでした。
理想と現実
話をアークナイツに戻し、パンチョの行動動機に焦点を当ててみます。
……貴様が何と言おうと、初めから私の望みはただ一つ。戦争の終結によって、ボリバルに平和をもたらすことだけだ。
『ドッソレスホリデー』DH-9 龍威鼠心
彼の信念を公共電波で発信した宣戦布告を要約すると以下の通りです。
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■理想
戦争を終結させること
■問題提起
①連合政府、シンガス王朝の貴族、トゥルーボリバリアンによる内戦が続いている
②カンデラが築いたドッソレスはボリバル経済の中枢を担い、腐敗している(=内戦の助長を招いている?)
■解決手法
・パンチョ主導の元、ドッソレスの街を占領する
・カンデラを失脚させ、ボリバルへの愛国心というイデオロギーを持つ民主導で政権を担う
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問題提起①については、ボリバル国民であれば皆が周知するところです。しかし、問題提起②についてはカンデラに対するパンチョ個人のモラル感との乖離を声高に叫んでおり、カンデラに対する恨みつらみのある人間以外には響きにくい内容です。
革命において多くの市民を扇動するためには、共通の敵を作り出し、それを打倒することによって平穏が築けるというストーリーを演出する必要があります。しかし、宣言内容では現政権の「悪人」としての側面を浮き立たせるのに定番ネタ、汚職やスキャンダルといった糾弾は一切無く、支持する側からすると疑問符の残る内容です。
それは本来、最大の理解者であるはずの息子エルネストでさえも計画への不信を招く結果となりました。
それでも一定の兵力を保てたのは、リターニアの後ろ盾があってこそです。
カンデラ:
いいか? ……君が戦っていたものは、決して私ではない。だから君は私に負けたわけではないんだ。
君は失敗した。それだけのことさ。
心底忌み嫌う都市で十数年を過ごした末に、君は三政府を憎みながらも、私を打倒するため、その一つから援助を受けることにしたのだろう。
どれ、当ててみようか? きっとリターニアの誰かだろうな。……私にはその名前まで推測することができてしまうが、今の問題はそこではない。
パンチョよ、教えてくれ。君は、どういうつもりだったんだ? 貪欲極まりないあの連中に、助けを求めるなんてな。
『ドッソレスホリデー』DH-9 龍威鼠心
カンデラは、パンチョがリターニアの人間によって唆されて今回の事件を起こしたことを正しく認識しています。
人間は理解できないものに対して本質的に恐怖を覚える傾向にありますが、事の仔細を理解するカンデラにとって、今回の事件は恐怖するに足るものではありませんでした。
自身を亡き者のしようとしたパンチョに対し、カンデラは非難するどころかパンチョに対して同調の姿勢を示しています。
ドッソレスホリデーのシナリオだけでは共感しがたいパンチョの動機ですが、問題提起①ボリバル内で戦争が続いていること…つまり、ドッソレスの外では毎日のように多くの人間の血が流れ続けていることを踏まえればこそ、ボリバルの戦争を終結させるという、パンチョと共通の理想をカンデラが持っていることは発言の端々から窺い知れます。
カンデラ:
私に言わせれば、君のような奴は、「統一」だの「独立」だの、そういう言葉に対して、非現実的な期待を抱きすぎなんだよ。
何せ君たちときたら、仲間同士を結びつけるだけの「信念」の存在を盲信し、団結の象徴なんてものを追い求めてばかりいる。
だがな、実際のところ、ボリバルは一度として独立を果たしたことなどないだろう。国家として存在していた歴史すらもないというのに、信念や象徴の元に団結するなど――到底無理な話だ。
ボリバル国内で人生の多くを過ごしてきたパンチョと異なり、カンデラはテラ世界各国を歩き回り、独自の考えを抱くようになりました。ボリバルにおいて当然と考えられてきた既存の概念を打ち壊し、より現実的な新たな展望を持つ逸材としてカンデラはドッソレスの街を率いています。
彼女が推進するパラダイムシフトについていけるのは、エルネストのようなボリバルの若い世代なのかもしれません。
親子の溝
アークナイツ2周年記念サイトのインタビューページには、D.D.Dの右下に英文の手紙が仕込まれています。
チームBは失敗した。彼らの事後処理にまた一日かかってしまった。また新たな作戦を考えなければならない。
カンデラさんを甘く見るなと俺は何度も言った。彼らは、バーや公園を占拠するようなものだと考えていたが、それは間違っていた。ドッソレスは、純粋なエンターテイメント性だけでは成り立たないのだ。ボリバルという土地では、そんな単純なものは長くは生き残れないのだ。
父の執着とその手下の無能さには、もう耐えられない。カンデラさんと一緒に行った方がいいんじゃないかと思ったりもする。しかし… 今回は少なくとも、壮大な計画の中で、俺は彼の側に立つことを選ぶ。
正しい事だといいが。あるいは…俺が間違ってる事を願うばかりだ。
(筆者による和訳)
文面から、手紙を綴ったのはエルネスト(テキーラ)であることが分かります。パンチョは理想を掲げる英雄としての側面を持つのに対し、エルネストの独白からはリアリスト(現実主義者)としての側面を垣間見ることができます。
現実の歴史に目を向けてみると、メキシコ合衆国第54代(1994-2000)大統領のエルネスト・セディ―ジョは1980年代からの潮流であるメキシコにおける民主化を推し進め、法による支配を徹底した他、核不拡散・核軍縮に関する国際委員会委員を務めるなど国際的な思考の持ち主です。
アークナイツにおけるエルネストもまた、カンデラの右腕として働くうちに、彼女がボリバル外のテラ世界から得た俯瞰した視点を学び取り、作戦の進行と共に肉親のやり方に疑問を抱くようになりました。
エルネストは手紙の中で「incompetent(無能)」という強い批判の言葉を用いています。「無能」とは、先を見据えず目先のことばかり気にした行動を起こす短慮への批判でしょうか。この言葉からは、自身が学んできたことと、周囲が認識している状況への乖離、その差を埋められないことに対する憤りと諦観が感じられます。
一般的に、砲弾の怒号を聞きながら戦争の経験を得てきた元軍人と、戦争を直接経験しなかった戦後世代には、大きな価値観の違いが見られます。銃弾飛び交う戦場で寝食をともにしてきた仲間を失った経験を持つ軍人にとって、戦後に「国交を結んだから仲良くしましょう」という主張は、どれほど頭で理解しようとも気持ちの面では受け入れがたい、古傷を抉る刃物のような言葉です。
パンチョ:当時、私の後に続く者たちは幾人もいた。最後の戦いには三千人もの兄弟たちが身を投じ、皆死んでいった。……兄が命まで張って私を救出しなければ、私はあの日銃殺刑に処されていたことだろう。
『ドッソレスホリデー』DH-7 ビーチでの攻防
ましてや、戦争によって三千人もの同胞たちを失っているパンチョからすれば、カンデラのような退廃的な経済政策で三者の関係性を受け持ち、国を救うなどといった政策は彼の価値観に背く手法でしょう。
パンチョの立ち絵から、彼が重度の鉱石病に冒されていることが分かります。
先の短い自身の未来を鑑みて、生きているうちに何とか亡き友たちのために現状を変えようと、そして要人たちの集うウォーリアチャンピオンシップこそが、残された最期のチャンスだと信じて行動した結果が今回の顛末なのかもしれません。
対して、戦後世代とまで歳が離れていないにせよ、軍人ではなく子供として戦争の現実を目の当たりにした在りし日のエルネストは、戦争に対して強い忌避感を覚えたことがプロファイルに記載されています。
少年時代から戦争を目の当たりにして、その残酷さを知っているからこそ、自分も記憶の中の軍隊たちみたいに、死体や破壊を戦果にするようになりたくなかったのだろう。
(テキーラ 第四資料)
エルネストにとって、戦争とは身近な人を自分から奪い取る「嫌な出来事」です。彼の第ニ資料には、父パンチョが愛国心によって「トゥルーボリバリアン」に参加したこと、母と自分を置いて家を離れたこと、父がいない間に母は病気を患い、幼いエルネスト一人を残して亡くなってしまったことが明かされており、いかばかりの寂寥感を与えたのかは彼の胸中を察するに余りあるものがあります。
そんなエルネストにとって戦争とは対極にあるドッソレスという享楽の街とボリバル外の多くを見てきたカンデラという女性、そして今回巡り合ったユーシャとチェンの存在は計り知れないほどの影響と羨望、そして”外”への関心を与えました。
……いいよなぁ、チェンさんは。自分が何をするべきなのかとか、それをどうやればいいのか、とか……全部わかってんだから。
『ドッソレスホリデー』DH-8 ゴールを目指せ
だって、二人はほかの国から来た人だしさ。……こことは違う場所になら、もっと違う方法もあるのかもって思うようになったんだ。
『ドッソレスホリデー』 DH-ST-4 変わらぬ双日
「このまま放っておくのは、ちょっともったいないと思っただけ」と口にするユーシャに後押しされ、チェンは報告書と共にエルネストとラファエラの推薦状をロドスに提出します。
義兄妹のすれ違い
ラファエラの父はかつて、パンチョの戦友でした。幼い頃に母を亡くしたラファエラにとって、トゥルーボリバリアンに所属する将官や兵士、そしてパンチョから可愛がられたという原体験はエルネストと対をなすものであり、彼女にとっては身の回りの人々の幸せが、彼女の”世界”にとっての幸せとも捉えることができます。
パンチョやテキーラはラファエラを紛争から遠ざけておきましたが、ラファエラにとって二人はかけがえのない存在であり、その二人が真剣に取り組むことに彼女自身も関わることは、家族として当然のことでした。
彼女の捉える戦争は決して軽いものではなく、ボリバルにおける戦火はいとも容易く彼女の”世界”を壊してしまう悪であり、そんな悪と戦うことは彼女にとっての自明とも言える正義の行いです。
家族以外の者がいない時、ラ・プルマはパンチョのそばであれこれ聞くのが大好きだった。その度にパンチョは彼女の頭を撫でながら、理解が及ばずとも聞きたい話をゆっくり語ってくれる。彼女はこの時間が一番好きだった。
(ラ・プルマ 第四資料)
彼女のプロファイルで描写されたパンチョからは、ボリバルにおける英雄ではなく、不器用ながらも正面から子供と向き合う父親の姿が浮かび上がります。
皮肉にも、血の繋がった親子であるパンチョとエルネストは袂を分かち、義父の心情を深く理解するラファエラはエルネストとすれ違う形となりました。
そしてパンチョの件のせいで、二人の兄妹仲にも明らかに距離ができてしまった。
(ラ・プルマ 第四資料)
ロドスに来てから義兄妹が共通して信頼を寄せるのはドクターであり、ドクターを通じて再び交流が持てるであろう希望がラファエラの第四資料に描かれています。
二人の確執
ドッソレスホリデーでは数多の分断、すれ違い、溝が描かれてきました。その中でも、特に強調されていたのがチェンとリンの確執です。
チェンは、リン・ユーシャから投げかけられた言葉に対して怒りの炎を燃やし、言葉に先行して手が出ます。
ユーシャ:
「会ったこともない人たちに対して、関心を向けてるフリをするのはやめなさい」って意味よ。
あなたにはこの都市に関することについて、首を突っ込む資格は一切ないし、私を非難する資格だってないんだから。
『ドッソレスホリデー』 DH-ST-2 インターバル
人は関心の無いことについて怒りの感情を示すことはできません。己の心の中にある「斯くあるべき」という価値観が満たされないとき、感情はエネルギーを纏いながら波となり、周囲に伝播します。
チェンがユーシャに対して怒りの感情を向ける背景は、6章『局部壊死』の最後に明かされた、ウェイとのやり取りからその一端を探ることができます。
チェン:
お前はスラムを浄化しようとスラムそのものの破壊を画策した! あそこにはあれだけ多くの龍門人が、我々を信じていた龍門人が、今までずっと支えてくれた龍門人がいたというのに……。
(中略)
……お前の許可がなければ、あのリンだってこんなことをするはずがない!
『局部壊死』6-18 お前だけが知っている
ウェイは、感染者の亡骸を排水システムに遺棄するよう、明確ではないにせよ仄めかすような指示をユーシャへ出しました。チェンが排水システムで見たのは感染者の無残な姿であり、この出来事がユーシャに対する不信感を生んでいます。
もっとも、父である鼠王と影衛、そしてユーシャはそのままの指示を実行した訳ではなく、レユニオンとは無縁の感染者を逃していたと取れる発言が8章で明かされています。
鼠王:お主がまた罪を犯すのを、彼らが黙って見過ごすとでも思うたか?
ウェイ:つまり、私が彼らに処理を命じた感染者は、ただお前に――
『怒号光明』END8-1 「終幕」或いは「序章」
あくまで排水システムに廃棄されていたのは(戦闘態勢を取ったであろう)レユニオン関係の戦死者であり、ユーシャとチェンの溝はこの勘違いから生まれています。
チェンに対して頑なに真実を語ろうとしないユーシャですが、今回のイベントを通じてチェンは幼馴染の本音を耳にします。
ユーシャ:
……経験豊富な年長者だからこそ、自分自身で積み重ねてきたその経験に固執してしまうこともある……
だからあなたが彼らの後を継ぐとき、先人たちとまったく同じ道筋を辿っていくだけじゃダメなのよ。
自分自身の考えで古いしきたりを打ち破り、あなたにしかできないことを模索しなければならない時が、いつかはやってくるわ。
『ドッソレスホリデー』DH-9 龍威鼠心
ラファエラに語りかけた言葉は、ユーシャ自身の信念を表したものです。命じられるままに行動を起こすのではなく、自らの頭で考え抜いた末に結論を出す。
イベリアにおいて大審問官がアイリーニに問い続けたように、善悪の基準が容易く曖昧になるテラの世界において、龍門であってもドッソレスであっても、国を越えて普遍的に求められる考えなのかもしれません。
チェン:リン・ユーシャ、正直に言ってくれ。あの件について、お前は、私の想像したようなことなど、実際してはいなかった。そうなんだろう?
鼠の少女は返答こそしなかったものの、その言葉を否定することもしませんでした。
変化と成長
今回のイベントで実装された遊龍チェンの回想秘録には、以下のような言葉が記されています。
真に理解できるまで、軽率に物事を評価してはならない。
本編シナリオでのチェンは己の内側から湧き上がる正義感に任せ、感情的に行動する場面が描かれていましたが、対照的にドッソレスでのチェンは一歩身を引いた視点で物事を思考することを意識しています。
長きに渡ってチェンを支えてきたホシグマにとって、ドッソレスでの元隊長の変化は好ましく感じると同時に、恐れを抱かさせるものでした。
明確に価値観が変化したことを捉えてこそ、人は成長を感じ、時に嬉しく時に恐ろしく感じます。
価値観の変化があまりに急激なものであり、見ている人にとって受け入れがたいものになると、「成長」は「変貌」という言葉へと置き換わります。
その変貌の例が、8章でチェンが対峙した姉です。
一体何がお前を、敵はおろか、同胞に対しても冷酷な人間に変えたんだ?
『怒号光明』JT8-2 瞠目の先に「黄昏」
チェンは、自身の変化に対し喜びと恐れとが入り混じった様子の元部下に対して考えあぐねつつも、ひとまずはこれまでと変わらず、歩み続けることを口にし、その回答にホシグマも納得しました。
舞台の外側にいながら、ドッソレスでの出来事を通じてチェンやユーシャの変化を感じ取ったのはウェイとフミヅキです。
本記事の冒頭に記載したチェンからの手紙、そしてユーシャが持ち帰った写真を見て、ウェイとフミヅキは彼女たちの成長を心から喜びます。
ドッソレスを照らす陽光に負けじと輝きを放つ双つ太陽は、眩しくも温かなものでした。
フミヅキ:チェンちゃんは、帰ってきてくれると思いますか?
ウェイ:ああ。いずれ、帰ってくるさ。
フミヅキ:ふふっ、では、その日を楽しみにしていましょうか。
『ドッソレスホリデー』DH-ST-4 変わらぬ双日
参考リンク
チェン:(ロドスのほうは……シラユキに、バグパイプ、アーミヤ、それと……彼女の分か?)
『ドッソレスホリデー』DH-1 思いがけぬ参戦
えて(@vacation_ete)さんによる二次創作。彼女とは、チェンにとってかけがえのない存在。
本記事には入れることができませんでしたが、今回のイベントで登場したミヅキについては、アークナイツ考察ブログ『シキネの資料集』にてまとめています。興味がある方は下記のリンクから。
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