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「くらし」とモードとインモラル

僕はこの方の服を一着ももってないけれど、深く感じさせられるものがありましたので、今回は山本耀司の本を採り上げてみたいと思います。

服を作る原点

 父は戦死しました。フィリピンのバギオ東方山地の激戦にて戦死、と書かれた戦死公報が届いただけ。遺骨も何もない。・・・高校生になり、ある従軍日記を読んで、父を意識するようになりました。戦争の末期には輸送船もなくなっていたようで、子供の工作みたいに漁船に濃い緑のペンキを塗って、輸送船に見えるように改造していたと書いてありました。
 父親を乗せた船は戦地に着く前に撃沈されたのではないかとの思いが膨らみ、当時の日本の政府や軍部の横暴、無策ぶりに無性に腹がたった。そして、無念さだけが心に残りました。父は無念のうちに死んでいったのではないか。「お前ら、いいかげんにしろよ」。政府や軍部に対するそんな思いが、このころから芽生えていったのです。・・・父親が生きていたら、ファッションデザイナーにはならなかったと思います。

『服を作る モードを超えて』 中央公論新社

男ものの服を作るにあたり

 まず、サラリーマンが着ているスーツの否定から始めました。社会の真ん中を歩いている人たち、あるいはてっぺんにいる人たちの服は作りたくない。そこから外れたからって、人生に失敗しているわけじゃない。テーマとしてはアウトローがいい。
 男の服は、女性の服とは違い、着る男たちと自分は仲間という感じで作ってきました。だから楽しい。「悪いことを一緒にしようよ」とか、「世の中のモラルからちょっと外れてみようよ」といった気分です。

同書

服作りに必要なこと

服で表現したいと思っていることをあえて言葉で表すと、「道徳的な人よりも、不道徳な人のほうがチャーミングだよね」とか、「生きるということは孤独と友達になることだよね」などです。・・・まじめな生活をしているだけではだめ。会社と家の往復だけをしているような人はインプットが足りないから、新しいものも出てきにくい。ですから、服作りは限りなくインモラルに近いんですよね。まじめで善良なだけの人間には、人をドキッとさせられるような服は作れないと思っています。

同書

かたよった引用をしましたが、読んでいて僕が惹かれたところは以上のところでした。会社と家の往復だけをしているのはダメ。アウトロー、インモラルになろう。なにか、とても大切なものがここにある気がします。それこそ「いのち」のために「くらす」秘訣のようなものが・・

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