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悪人の「くらし」と内なる声

前回見たような獄中でも揺るがないソローの強い姿勢はどこからくるのでしょうか。ひょっとすると前回の記事の3つ目に引用した、ソローの従う「自分よりも次元が高い法」によるものかもしれません。ではその「自分よりも次元が高い法」とは何でしょう?

ソローはこう言います。

内なるかすかな、絶えずささやきかける声に耳を傾け、自らの真実の声が指し示すままに進もうとすると、自分はどれほど過激な振る舞いに及ぶのか、不安になります。けれども、人はそのように進むことで、確信を深め、原則を重んじる自分の道を開きます。健康な人が聞いたかすかな内なる声にもとづく意義の申し立てが、ついには人類の論争の方向を変え、習慣をも変えるかもしれません。私は、内なる声に従ったために道を誤った人を知りません。たとえそのために、しばらく体の調子を乱したとしても、人は悔やみはしないでしょう。法の上の法の理想に生きたのですから。
『ウォールデン 森の生活』 小学館文庫

法の上の法は、内なるかすかな、絶えずささやきかける声として聴こえてくるといいます。

ん・・。なんか以前に近いテーマを取り上げた気がします?
あ、これです。 静かなるか細い声を聴く、なるほど。
内村にソローの影響もあったのでしょうか?

内なるかすかな声・・それを僕は聴くことができるのか。そんな声に従うことができるのか。険しい道であろうとも、己を崩すことになろうとも、進むことができるのか。進まねば、本当の自由や歓びを得ることはできないのでしょう・・。

先にある歓びとは?

日々、新たに昼と夜を歓びを持って迎え、暮らしから花やハーブの芳香が香り立ち、そして、光り輝く永遠の価値を持つしなやかな生き方を貫けたら、それは大いなる人生です。あなたは、あらゆる生き物が楽しく見える、絶えず歓びを見出すものを作りました。
同書

しかし僕たちはこの歓びを見つけるのが下手だとソローは言います。

私たちは、自分で手にしたものに最高に価値がある、と気づくのがへたです。そのため私たちは、身近なものの価値を疑い、しばしば評価しません。けれど、身近のものこそが、私たちが接する一番の現実です。おそらく、人それぞれに最高に真実に感じられ、最高の驚異と思われる事実は、他人に伝えようとどう努力しても伝えられないのでしょう。私が日々の暮らしで手に入れている最高に価値ある真の収穫は、朝夕の空の彩りのように、手にもできなければ、描きあらわすこともできません。私が手に入れた小さな星屑や虹のひとかけらも、その価値を人に伝えるのは至難です。
同書

内なる声に耳を傾ける
内なる声に従う
その難しさ、険しさの先に
きっと自由と歓びがある
そんなことをソローは教えてくれています

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