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世界のへりにて人間の家畜化を考える

先日、noterのSuzuki Takeshiさんにお会いしました。

noteの活動は最近めっきりないSuzukiさんですが、元気に過ごされているようでした。というか、目がキラッキラに輝いていました✨あんなにキラキラした瞳の方は珍しいくらいです。



お茶の水の喫茶店にて



さて、会ってどんな話をしたかといいますと、多岐にわたるのですが、主に教育、地球との共生、社会への冷静なまなざしでした。

その社会への冷静なまなざしのひとつに、人間の家畜化という話題があがりました。その話と最近読んだ花森安治の文が重なったので、引用してみます。

 考えてみると、家畜の境涯も、ラクということなら、たしかにラクである。
 犬だとしたら、主人が帰ってきたら、尻尾を振って出迎え、ちんちんといわれたら立ってみせ、怪しいやつと見たら吠えていたら、それで、あたたかい寝場所と三度の食事は保証されるのである。汚れたとおもえば、毛を洗ってくれ、体の具合がわるいとみれば、医者に見せてくれる。飼い主によっては、立派な首輪をつけてくれたり、しゃれたチャンチャンコを着せてくれたりする。
 そのかわり、その首輪には、ガッチリとクサリがついている。そのクサリは、飼主が握っている。なにひとつ、自分のしたいことはできない上に、飼主が、もう飼うのをやめたといえば、とたんに投り出されてしまう。その日から野良犬になって、食物をじぶんで探して歩かなければならないし、寝る場所を見つけて歩かなければならない。
 いくら、見かけは、ラクのように見えても、そんなみじめな境涯におかれているのは不当であって、理に合わない、

『一戔五厘の旗』 花森安治

政府や大企業に依存できれば、安心、安定、安全。
安定した収入があり、「あたたかい寝場所と三度の食事は保証される」
社会保障も充実していて、「体の具合がわるいとみれば、医者に見」てもらえる
「そのかわり、その首輪には、ガッチリとクサリがついている」

と、人間が家畜化されているように見えなくもないという話です。



僕自身に、家畜化が進んでいるな、と感じています。自営業をやめて、サラリーマンになってはや15年。もうどうやって自営業をしていたのかわかりません。国や企業に依存してくらしてきました。それで上手くやってきたのです(つもり)。

でももしここに激しい円安が起こり、飼主がエサをくれないような状況になったらどうなるのでしょうか。首輪はクサリにつながれたままですし、飼い殺しをただ待つような状況になるかもしれません。

対策としては、容易ではなさそうですが、野生の力を呼び起こすのがいいのかもしれません。次回につづきます。

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