脱学校の地図なき航海(雑記)
学校に行かないことを選ぶまででこんなことを述べました。
地図なき航海といえば、いちばん始めに思い起こすのはやはりコロンブスでしょうか。当時は不可能だと思われていたヨーロッパやアフリカから西に向かう航海に、持ち合わせたのが勇気だけだとしたらただの無謀でしたでしょうが、優れた観察力と想像力とを持ち合わせていたコロンブスはアフリカ大陸西側の諸島からさらに西へ飛び立つ渡り鳥たちを見て、西への航海は可能だと考えたと言われています。
(今の科学では北回帰線付近に貿易風が吹いていること、貿易風は偏西風のコリオリ力を受けて生じている西に向かう気流であること、偏西風は赤道付近の熱膨張した空気が北極へと向かう、やはりコリオリ力を受けて生じている東に向かう気流であること、が明らかになっています。けれども当時の科学ではまだ明らかになっていませんでした。)
コロンブスは渡り鳥から着想し、当時はまだ常識でなかった貿易風を利用し、西への航海を可能にしました。
僕は今、学校に行かないことを選ぶのは脱学校の一部で、脱学校は脱成長の一部かもしれない、と感じています。しかし、今の僕の力量に基本的な情報や根拠を不足しており、感覚だけを頼りに話を進めるとなると、地図なき航海を挑戦するには無謀、挑戦する人を応援するには無責任だと思っています。
現在の学校の状況は客観的に見てどんなか。そもそも現在の学校の仕組みはいつごろにどんな風にできてどのようなところを目指していたのか、その目指したところと今の状況はどこが適合しどこが不適合しているのか、それはなぜか。もし仮に脱学校するとしたら一体どこに向かうのか、何が必要なのか、それは理にかなっているのか、何を根拠にそれを説明できるのか。そんな問いが残っています。
そこでいったん戦後教育を見ているところです。それは脱学校という地図なき航海を可能に近づけるためのささやかな試みです。
僕は渡り鳥をさがしています。同じようにさがしている方は、きっとたくさんいるでしょう。このnoteで、ときにつながり、ときに共有し、ときに切磋琢磨できたらいいなぁと思っています。
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