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食と信どちらかを捨てるとき

前回、人はパンだけで生きるものではない

パンのあるなし、飽食の時代かそうでないかの次元があって、その一つ上の次元に人間性を求め、それに従って生きていくことが望まれている。

成長社会から脱成長社会になったとしても、どちらでも人間性を追求することが、僕たちに望まれているのではないでしょうか。

とお伝えしました。


近い話で今回は論語を引用してみようと思います。

子貢、政を問う。子の曰わく、食を足し兵を足し、民をしてこれを信ぜしむ。子貢が曰わく、必らず已むを得ずして去らば、斯の三者に於いて何れをか先にせん。曰わく、兵を去らん。曰わく、必ず已むを得ずして去らば、斯の二者に於いて何れをか先にせん。曰わく、食を去らん。古えより皆な死あり。民は信なくんば立たず。

顔淵:7

子貢が孔子に政治について問いました。食糧と兵と信頼とを十分にしたいね、と孔子は答えました。ではその三つのうちどれかを捨てねばならないとすれば何ですか。それは兵だね。子貢はさらに問いました。では残った二つのうちどちらかを捨てねばならないとすればどちらですか。食糧だね。

孔子は、食糧と信頼との二つでは、食糧を捨てます。食べないと生きていけないのに・・。


それはこういう理由からかもしれません。

たとい食糧が十分にあったとしても、富める者が貧しき者に分配を全くしない場合、一部の貧しき者は食糧にありつけず、生き延びるために一揆や騒動のような暴力的手段を取ったり、盗みや騙し取るなどの犯罪的手段をとるかもしれません。

信頼がなければ、食糧は争いの種になりうるのです。


これらのことを考えると、食糧にありつくための教育のあるなしの次元があって、その一つ上の次元に人を信頼する・人から信頼される経験をできる教育が求められていると言えるでしょう。



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