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脳が一部死んだお陰で、無痛症的になった。

気分転換にひたちなか市のサザコーヒー

何かの転換だと感じると、ここに来る。
大きな大きな転換点の土地だからだ。

人生、いいとか悪いとかは判断しない。
”今ここ“があるだけなので。

ただ、ひたちなか市に赴任した時の状態は
事故の後遺症満載

身体はぐしゃぐしゃだ。
頸髄、胸椎、腰椎が潰れており、背中は鉛の様。
四六時中、全身に痛みがある。

脳はすでに一部死亡してた
五感が希薄

吉祥寺生まれの吉祥寺育ちの自分にとって、茨城県ひたちなか市は…何もない…空と海と田んぼ、畑…

そんな土地に見つけたサザコーヒーは救いだった。

ここで味覚を取り戻した。珈琲の苦味が原始の脳を活性化した。

絶望失望で一杯だったが、ここでの生活は楽しかったのだと思う。

事故は友人からもらったAE86で信号待ちしていたところBMWが40kmで突っ込んできた。

ICUで三日三晩…あーーーこれは死ぬなあ……死ぬぞ…これは…

だった。

結局死ななかったが、その後が酷かった。

意識朦朧。記憶も思考も出来ない。出社しても仕事が出来ない。
「働けこの猿があ!」
と、NTT研究所の研究者から罵倒され
会社でも「怠け病」と罵られ

鬱状態だし記憶が飛ぶし言葉もうまく話せなくなり
人間関係はことごとく崩壊していった。

脳が一部死んだお陰で、無痛症的になった。

心身共にだ。
しばしば、タフだと言われる事があるが心身共に無痛症的なだけだ。

んで、人間を信じるとか、人は優しいとか、思いやりがあるとか、そりゃ、嘘だ。

無いね。

そんなものは無いのだ。

それは期待しすぎでしか無く、半死半生の自分を罵倒する人はいたが、助けをもとめても必要な知恵を持つ人はいなかった。

愚父にいたっては「金を置いて出ていけ」とな。
「出ていけ」だと。自分の親がこれだもんなあ…そんなもんだ。

仕方ねえ…

と、ひたちなかでの生活に浸った。

期待も希望もありゃしない。
出来ることをして給料分は働こうとした。

絶望と失望、死亡した脳、壊れた脳、頸髄損傷だとしても、日々なるべくちゃんと生活した。

不思議とセルフネグレクトは無かった。

偶然出会った人達と交流し、回復に良さそうなものに触れにいく。

期待せずにいる。

これが全てだ。

物事にジャッジを括り付ける知能は壊れてしまったので、現象を観照する様になった。

死亡した脳と壊れた脳…

僅かに使えそうな脳の部位を見つけて、その脳を中心に神経回路を組み直し続けた。

その地道な再生の経緯の中に、書庫2本分の研究資料の写経や、そこで得た知識により特許発明が生まれたりした。

たまにここに当時の自分と対話をしに来る。

当時の自分にとって今の自分は

希望だ。

死んだ脳の中から、まだ使えそうな脳を中心に神経回路を組み直しした。

これが希望の正体だ。

自分の外には無い。
意図ー意識により作られる新しい神経回路に希望が宿るのだ。

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