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1分と140文字に切り取られた世界

いま僕らが見ている世界は、切り取られたものばかりだ。

発言は140文字に収めなくてはいけない。
1分以上の発言は、小さくカットされ、まとめられる。

短く、小さいものはラクだ。かんたんだ。
すぐに伝播する。
スマホは大容量のギガになっても、やっていることはパケットのまま。小さく、小さく。
伝わる速度は上がったかな。

それで生きやすくなったかは、わからないけど。

140文字に切り取られた発言は、文字のインパクトが先走る。
1分に切り取られた動画は、とりあえず状況を把握できた気がする。倍速で見たって構わない。

その背後にどんな文脈があるかは、伝わる過程で抜け落ちる。
あるいは、独自の解釈を付け足して広まることもある。
個人も発信できる時代、なにか言わなきゃ損だ。

その一言に、どんな真意があるのか。
ゴミに見えても、実は一理あるんじゃないのか。
見方を変えれば、学びにもなるんじゃないのか。

そういうことを考える余裕は、僕らにはない。
だってしょうがない。
僕らは忙しいし、疲れてるんだもん。
仕方ないよ。

ああ、もっと幸せになりたい。

そう思いながら、スマホをスワイプして、マウスをスクロールして、テレビをザッピングする。
流されていく情報たちに、流されていく僕ら。
情報過多の時代だ。

電車の中、ベッドの上、喫茶店の片隅。
はあ、疲れたなあとか思いながら、今日も似たような風景が流れていくのを見ている。

今日も僕らは、切り取られた世界をぼーっと眺めている。

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