資本主義との関わり方について
資本主義に蝕まれる個人の思想
会社で働き始めると、個人の思想は後回しになる
個人の正義より会社の利益が追求される
会社は個人が持っている小さな理想など捨ててしまえ。と言う
労働の中には踏み絵が至る所にある。
確かに20代前半が持っている思想のほとんどはたんなるどうでも良いこだわり、我儘としか思えないものがほとんどかもしれない
それを理由に、労働をサボる者もいる
だがしかし、そうではない本物の思想までも排除し尽くしてくる
個人のノンビジョン化。無思想化だ。
ノンビジョン化は不幸を生む。
なぜなら人生に対しての主体性が損なわれるからだ。
人生の意味は資本主義が与えてくれる数値目標。売上や個人成績。その対価である収入。
そうなってくるとかなり人生は厳しい。
その数値が本来的には人生を意味づけることはできない。
社会をこうしたいとか、自分の人生をこういうふうにしたいとか
そういった意思を持って生きている人はどれだけいるだろうか。
それがある人もいる。
だがしかし、人生の目標が「金持ちになる」とか「世界一位の企業を作る」みたいに
人生の目標が資本主義の中に内包されているケースも多々あるように思う。
資本主義は、あくまで世の中を良くするための1ルールにしかすぎないと僕は理解している
資本主義それ自体に何か意味があるのではなく、それはただ通過点でありミディアムであったはずだ。。。
さらに残酷なのは、労働時間外にも資本主義の害悪が及んでいることだ。
生き甲斐は酒とSNSのいいね。会社にいる時間をなんとかやり過ごし、あとはYouTubeとSNSの往復。たまにNetflixで1時間くらいのドラマを見る。
一度魔始めると止まらないから夜更かししてしまう。次の日の朝は会社でだるい。なんとか会社をやり過ごす。あとはYouTubeとSNSの往復。たまにNetflixでドラマを見る。ついつい夜更かし。
そんな人が増えている気がする。
怖いのはそれが不幸とは思っておらず、ある程度ハッピーで満足していることだ。
地獄に落ちていることに気づかずにいる。
死んでから落ち始めるのではない、
生きている段階でも落ち始めている。
生の無駄遣い。
それを強化させているのが資本主義の構造かもしれない。
資本主義はエンタメやコミュニケーションの円滑化と言った正義の仮面をつけて襲ってくる。
資本主義を全否定することはできない。何故ならそのおかげで世の中は大きく進歩したからだ。Googleが生まれなかったら、アップルが生まれなかったらどうなるのか。
だから批判しづらい。
だがしかし資本主義の世界の方向性は人々の時間をいかに奪うかでしか考えてない。
そのために使うのはドーパミンを発生させるドラッグ機能。いいねであり、レコメンドであり、、、
企業は建前上は人をパッピーにさせるためにやっていると言う。そこで働いている人は気付いている。それにどんどんハマればハマるほど不幸になる人がいる。
人生は時間を奪われる人と奪う側の人。
サービサーと消費者。
YouTube投稿者と閲覧者。
SNS投稿者と閲覧者。
消費者として資本主義と接するときも、要注意なのだ。
個人として資本主義とどう向き合うべきか
個人として大切だと思うことは、自分のビジョンや思想、精神的なものが資本主義を筆頭とした特定の社会ルールに内包されないことだ。
世の中を良くしたいのであれば、資本主義の中で1位を目指すことがゴールではなく世の中を良くすること自体がゴールであるべきだ。
そういうビジョンがないのであれば、僕は個人の思想や精神的なものを深めることを推奨したい。
その1ツールとして仏教があるかもしれない。
仏教は自分の内面性、精神に訴えかける、ストイックな宗教だ。
信仰すれば救われるわけでもなく、修行すれば必ず報われるわけでもない。
ここでは詳細を説明することは省くが、仏教が目指しているのは、涅槃に入ること、すなわち個人が持つ精神世界の最大化なのだと思う。
別に仏教信者になれということでは全くない。
しかし、「精神的なものをみる」ことの重要性は、資本主義が社会を蝕んでいる世の中でより強まっている気がする。
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