伝統を軽視せず、伝統に淫せず。


 

そもそも『教練のやり方はでたらめ』というのは、訓練するときに、古人のすぐれた兵法にならわないことを言います。


「教練のやり方がきちんとしていれば、兵士たちはとてもよく役立つようになります。しかし、教練のやり方がまずければ、どんなにしかりつけたとしても、まったく役に立ちません。わたくしが、むかしのすぐれた制度を念入りに研究し、それをまとめて図解したのは、兵士たちを教練し、きちんとした軍隊をつくろうと考えたからです」


伝統や、昔からの伝わってくることには、なんらかの意味がある。

ので蔑ろにすると、足元をすくわれ、大きな過ちを犯しやすい。

なんせ「兵法書」ていう、究極の実用書で能力主義の思想で、そう言われているのだ。
浅はかな「浅薄なリベラル」や我流で、伝統や慣習を放棄するのは、やめておくべきである。


でも・・・伝統や慣習は、変化し続けているものだよね。


 太宗が言いました。
「むかし、帝王は、出兵を決め、将軍を任命するにあたり、三日間にわたって身を清め、将軍の任命式をとりおこなった。任命式では、まず将軍にまさかりを授与して、『これより天に至るまで、将軍がとりしきる』と言い、士気を高めるべきことを示した。それからおのを授与して、『これより地に至るまで、将軍がとりしきる』と言い、あわれみの気持ちをもつべきことを示した。そして最後に戦車の車軸に手をそえて、『進むも、退くも、時によって決めよ』と言い、現場にいる将軍の判断で臨機応変に行動すべきことを示した。こうして軍隊が出発してからは、君主の命令よりも将軍の命令が優先された。こういった将軍を任命する儀式は今やまったくすたれてしまったが、わしはそのほうとはかって、あらためて将軍を派遣する儀式を制定したい。そのほうは、どう思うか?」

 李靖が答えました。
「聖人の定めた礼法をみてみますに、①宗廟で身を清めるのは、縁起をかつぐためですし、②おのやまさかりを授けたり、戦車の車軸に手をそえたりするのは、思うままに軍隊を動かす権限を委任するためです。今、陛下は、①開戦なさるときにはいつも大臣たちとその是非を議論し、そのあと宗廟に祈ってから軍隊を出動させていますが、ここですでにきちんと縁起をかついでいます。②また、将軍を任命なさるときにはいつも臨機応変に行動するように命じられたおられますが、ここですでに思うままに軍隊を動かす権限を委任しておられます。こうしてみてきますと、現在のやり方は、むかしの帝王のやっていた儀礼と実質的には同じです。あらためて儀礼を制定する必要はないと思います」

 太宗が言いました。
「そのほうの言うとおりだ。さっそく側近たちに命じて、以上の二つを文書にまとめさせ、それを今後の正式なやり方としよう」

ここでの李靖の言うことは、晏子のこの主張と一致するものがあると思う。


孔子は
「礼にかくかくしかじかとあります。夫子がこれに反したのは、はたして礼にかなうのでしょうか」
と言った。

晏子は
「嬰はこう聞いています。両楹の間(堂上)には君臣の相会する位置は決まっており、君が一歩を行く間に臣は二歩行くと。
魯君は礼法を無視して足早に来られました。
そこで歴階して登り、堂上に走り、ようやく会見の場に追いついたのです。
また君が玉を低い位置で授けられましたので、跪いて受けたのです。

またこうも聞いています。大いなる礼式は法度をこえてはならず、小礼は臨機の処置をしてもよいと」
と言った。

伝統を形だけ継承しようとすると、それが人を殺し挙句伝統そのものを殺すことになる。

それの内実・理由を、ある程度知らないと、「伝統」など、実質続くことなど至難なのでしょう。


その認識がなければ・・・

伝統を打ち捨てて、衰亡してしまうか・・・

伝統にしがみ付いて、死んでしまうか・・・


でしょう。

あるいは、その伝統を守るにふさわしい器量・見識がなければ、「形」だけ受け継いでも、それは「受けついだツモリ」でしかないのでしょうね。




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