メンヘラの生き残りのための兵法・漢籍・・・鄧禹


たが、鄧禹には不思議な才能があった。人を見抜く目である。
 二十八星宿の二位である呉漢、三位の賈復、五位の寇恂、十二位の銚期はみな鄧禹の推薦により劉秀に取り立てられたのである。呉漢は口下手で自らの売り込みが下手であったし、賈復はプライドが高く周囲とすぐにいざこざを起こした。寇恂は新参ものであった。何もなければ急に出世することが難しい人ばかりである。鄧禹は彼らを見いだすことにより、劉秀に進言した、天下の英雄を集めることを実践したわけである。

人の才能を見抜く天才鄧禹
 ここで不思議なのは、鄧禹の年齢である。鄧禹は数え年で二十四歳。満年齢なら二十二か二十三歳で、今なら大学を卒業したばかりという年齢なのだ。どうしてこんな若造がこれほど人を見抜くことができたのであろうか。
 普通に考えれば、人を知るということは経験の必要なことである。人をよく推薦することで知られた人物には、正史の『三国志』では荀彧、『晋書』では竹林の七賢で山公の啓示として知られる山濤らがいる。しかし、この場合も、推薦するのはほとんどが自分より年下の後進たちである。言うなれば、弟子的存在を見い出して育て推薦するわけである。
 ところが鄧禹は二十歳そこそこに過ぎない。彼より年下を推薦するなどほとんど不可能である。しかも彼が選んだ人物はいずれも旧知ではなく、知り合って間もない人物である。
 想像して欲しい。不況に苦しむ日本に、大学を卒業したばかりの若者が突如として総理大臣となり、さらに面識もなかった人物を大臣に次々と抜擢して、それがすべて適切な人材であったなどということが有り得るものかどうか。
 ここに鄧禹の異例さがある。
 寇恂伝を読んでみよう。
「肉や酒を奉じて飲み交わした(奉牛酒共交歓)。」とある。
 どうやら酒を飲ませ、語り合う中で人物を見たようである。呉漢も賈復も会話することにより、その言葉の中からその能力を読み取ったのである。
 言葉を交わすことで、その能力を読み取る、この能力はどこから来たのであろうか。
 そのヒントは、鄧禹は『詩経』をほとんど暗記していたということである。
 さて、いったい詩とは何か。
 『詩経』の大序にいう、
「詩とは人の心が表に出てきたものである。人の心にあるのが志で、これが言葉となって詩となるのである」
 すなわち、詩が言葉として現れるのは、抑え切れぬ慷慨があり、体の外にあふれ出すのである。詩を学ぶとは、心の奥底を言葉により知るということでもあるのだ。
 このことは『春秋左氏伝』を読めば実例を挙げることができる。大臣たちが詩を送りあったとき、その詩の内容により、その人物の行く末を予言することができたのである。だからこそ『詩経』は儒教の経典でもあるのだ。
 詩を知り心を知る鄧禹だからこそ、かくも人を見抜くことができたのであろう。

潤滑油のような人物
 かつて鄧禹が司徒に任命されたとき、彼は孔子の若き秀才顔回と比較された。その顔回もまた何がすごいのかはっきりしない人物である。
 子貢の弁舌や子路の武勇のようなエピソードはないし、そもそも発言そのものが多くない。しかし孔子が弟子であるにもかかわらず顔回を尊敬していたのははっきりしている。顔回は不思議な人物で、ただ彼がいるだけで弟子達は仲良くなったという。顔回と鄧禹には明確な共通点があると考えてよいだろう。
 このことは後の時代も広く知られていた。
 唐の太宗は部下の房玄齢についてこのように述べている。
「漢の光武帝は鄧禹を得て部下の結束が固くなった。今、私に玄齢がいるのは禹のようなものである」
 と。房玄齢は敵国を攻略するたびに、降服した人たちの中から有能な人材を抜擢して唐の太宗に推薦したとされる。顔回、鄧禹、房玄齢は同じような人間なのである。
 社会心理学の話をしよう。人をよく惹きつける魅力は、「聞き上手」にあると言われる。また、人の憎しみを買わないのは、望むものが他人と違い、決して争わないことにある。
 鄧禹は、軍が敗れたとき、司徒から右将軍へと官位が下がった。しかしそれを決して恨むことはなかった。世の人が望むような出世は、鄧禹の願望ではなかったのである。それを万人が知るからこそ、鄧禹は顔回のごとく親しまれたのであろう。
 そして、おそらく鄧禹は「聞き上手」であった。だからこそ会話の中でその人を知る言葉を引き出すことができたのである。


今の世の中、顔回のような人は評価されず、見過ごされがち。

でも、本当に物事がわかる人は、そういう人こそ大事にする。



劉秀は女性を男性のように優れていると考えて尊敬するのではなく、男性とは違った女性性の中に尊いものを見ていたようだ。
 もちろんこれは劉秀がフェミニズムのような思想を持っていたことを意味しない。劉秀は、理念から演繹する理想主義者ではなく、すべてを体験から帰納的に考える現実主義者である。劉秀はもともと世話好きで、人を支えることを何よりも楽しみとする人間であった。そのため家庭の中で男たちを支えた女性の行為を、人間の営みの中で真に重要なものと考えていたのである。劉秀は女性によるシャドウ・ワークをよく理解していたと言えるだろう。


助け合い・・・が実は人間の最大の武器だったりする、ように思う。




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