民主主義に使えるシステムは、全体主義にも使える。ので、用心しましょう。


 より


上記文抜粋
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ツイートまとめ テーマ:考察の集成 考察テーマ「全体主義を防ぐ条件とは」「先読みの意義について」「裏権力に於ける狂気と合理性」

【全体主義を防ぐ条件とは】

〇惑沈接種義務化に関連し、マクロンが「未接種者をぜひうんざりさせたい。とことんやり続ける。それが戦略だ」といじめ宣言。こんな全体主義者に大統領の座を許している時点で、仏蘭西は“民主主義国家”ではなくなった事を示している。いや、大東社国家の本領発揮と言うべきか。https://mainichi.jp/articles/20220105/k00/00m/030/057000c

〇厳密には、「全体主義者に大統領の座を許しているから民主主義国家ではない」かは微妙な所ではある。民主主義は選挙で独裁者を選ぶ事もあり得る(不正選挙が無ければ)。「全体主義VS民主主義」という枠組みでは、マクロンの如き傲慢な全体主義者を登場させる西洋近代文明の陥穽の謎は解けないだろう。

〇事実、これまで「民主主義国家」とされてきた欧米の国々程、急速に全体主義化している。偶然とは思えない。西洋近代文明の本質的な部分に全体主義の根があるのだと考察する。一握りの勢力が利益と権力を追求する手段を徹底して「合理化」すると、邪魔になると見なされた要素は容赦なく切り捨てられる。

〇全体主義は高度に組織化した近代的権力機構が無ければ、実行不可能である。大規模な戦争も近代的軍隊と近代兵器の産物。近代科学は気象などの自然現象や遺伝子すらコントロール出来るまでになった。民主主義国と称する欧米ほど全体主義化が急速に進むのは、近代文明の原理、否、陥穽に忠実ゆえと考察。

〇マクロンはジャック・アタリに見出された傀儡。「未接種者をぜひうんざりさせたい。とことんやり続ける。」とは随分とサイコパシーな発言である。裏権力の傀儡候補は“その手”の者を選りすぐっているとしか思えない。秘密結社など裏権力組織ではモラル欠如の者程上に行くシステムがあるのだと推測する。

〇大東社イズムの基本は進歩史観である。「テクノロジーの進化に逆らうのは愚かである」という物言いの根底には進歩史観がある。こういう物言いをする者は多いと思うが、どっぷりとフリーメイソン的思考に染まっている訳である。大東社的な進歩史観がテクノロジーによる全体主義を加速させる所以である。

〇マクロンはヘーゲルに執心し研究していたらしい。ヘーゲル弁証法を歴史に適用すると進歩史観になる。フランシス・フクヤマはヘーゲル哲学に基いて「歴史の終わり」を主張した。これがネオコンによる「民主主義」を掲げる軍事侵略を後押しした。「進歩」を掲げる暴力。今の惑沈全体主義にも通底する。

〇「最先端バイオテクノロジーの産物であるmRNA惑沈を懐疑するのは、技術の進歩を理解できない愚か者である」という決めつけの前提にあるのも進歩史観・進歩主義であろう。「技術の進歩を理解出来ない愚民共よ。つべこべ言わずに打て。」。これが進歩史観の傲慢な本性であると考える。実に暴力的である。

〇「技術の進歩を理解出来るのは、優れた理性を持つ知的選良である」という事で、進歩史観はエリート主義に結びつく。実際、一部の医者が異常に威張り腐っている。マクロンの傲慢極まりないサイコパシーな発言も、進歩主義的なエリート主義による所が大きいだろう。全体主義は大東社国家の本性と言える。

〇「全体主義」について考察する。全体主義は「全体の調和を重んじる」という事ではなく、「一握りの者が全体を支配する」という所に力点がある。「全体の調和」を名目として掲げる事はあるが、それはあくまで名目であって、寡頭支配がその本質。そういう意味でエリート主義や選民主義とは不可分である。

〇西洋には、「個人」を実体視する「個人主義」と、「全体」を実体視する「全体主義」の両建があると見る。相反するように見えるが、実体論という点で共通する。実体論的な個人主義と社会進化論が合わさると、全体主義になる。「最も強力が個人が他者を淘汰して頂点に立ち、全体を支配する」という理屈。

〇大東社国家・仏蘭西は完全に全体主義化しているが、大東社の有名なメンバーの中にバクーニンというアナキストがいた。アナキズムは謂わば「個人」を実体視する思想。「個人」を実体視するアナキズム(無政府主義)と「全体」を実体視するトータリズム(全体主義)は、実体論という点では通底している。

〇個人主義を純粋なエゴイズムと解釈する方向性で突き詰めると、全体主義になる。「最も強い個体が全てを支配する」という理屈になるからである。「個人を尊重する」という道理を度外視し、利益と力を追求する主体としてのみ「個人」を捉えると、必然的にそうなる。ネオリベが全体主義に結び付く所以。

〇結局、全体主義を防ぐには「道理」が不可欠という事が分かる。しかも、その「道理」の中身が恣意的に解釈せられては、それこそ全体主義の道具になる。そこで、要請されるのが、議論・対話である。個人の恣意的な解釈ではなく公論の場にて「道理」を吟味する。その前提が独立的思考・批判的思考である。

〇公論の場にて議論・対話する前提は、「独立的思考・批判的思考=自分で考える事」である。突き詰めると、そこに来る。それが無ければ、「独立的思考が無い→議論・対話が成り立たない→「道理」が無視又は恣意的に解釈される→力の強い者が全体を支配する→全体主義に陥る」という負のプロセスを辿る。

〇「全体の調和」の為には、「全体」を実体視するのではなく、「個」を尊重する事が不可欠だと考える。「個」を踏みにじる「全体主義」は「全体」を歪にするからである。逆に、他との関係を無視して「個」を実体視すると、特定の「個」のエゴばかりが通り、他の「個」が踏みにじられる事になりかねない。

〇「独立的思考が無い→議論・対話が成り立たない→「道理」が無視又は恣意的に解釈される→力の強い者が全体を支配する→全体主義に陥る」は、まさに今の“コロナ禍”騒動下の状況。自分で考えずメディアなどを鵜呑みにする、議論・対話が成り立たず、「陰謀論」「デマ」というレッテル貼りに終始する等。

〇「➀全体主義を防ぐには道理が不可欠→②道理を特定の勢力に都合が良いように恣意的に解釈されない為には議論・対話が不可欠(言論の自由の保障)→➂議論・対話の為には独立的思考=自分で考える事が不可欠」という理路。異論や批判が封殺される最近の風潮は、世の中が全体主義に陥っている証である。

〇以上の考察から導き出される結論は、全体主義化を防ぐ条件は、➀個人に独立的思考がある事②社会に言論の自由がある事➂恣意的ではない真っ当な道理が通る事の3つである、という事だと考える。今の世界は、➀②➂の全てが吹き飛んでしまい、ディストピア化してしまっている。極めて危険な状態である。

〇「全体主義化を防ぐ条件」を、「➀個人に独立的思考がある事②社会に言論の自由がある事➂恣意的ではない真っ当な道理が通る事」と書いた。逆に言うと、➀~➂が破壊されると全体主義化する。➀の破壊=何かを盲信する信者思考の蔓延。②言論の封殺。➀と②の結果として道理が廃れる。まさに今の状況。

〇➀の破壊=何かを盲信する信者思考の蔓延。政府やメディアの盲信。メディアを盲信せずともネットの“インフルエンサー”の信者になる者多し。メディアとネットの両建。罠はそこかしこに。②SNS企業などが裏権力に不都合な発言を公共の言論空間から排除し、言論封殺を行っている。現代の異端審問が横行。

〇近代立憲主義では、憲法は「政府」を宛先とする。「言論の自由」を保証する義務があるのは公的機関だという前提がある。だが、私企業が巨大化した現代に於いては、言論の自由を破壊し得る実質的な力を持つ主体は政府に限らない。近代立憲主義の抜け穴を突いて、巨大私企業が「言論封殺」を行っている。

〇近代立憲主義の前提だと一個人のネットユーザーも巨大な影響力を持つ私企業も私人として対等な関係と見なされる。それ故、言論封殺されても「嫌なら別の所で発言すればよい」という理屈になる。だが、少数のSNS企業が公論のプラットフォームを独占する状況は、そうした理屈を増々非現実的にしている。

〇「パンデミックは今年中に終わる」という宣伝と「第六波が来る(来ている?)」という宣伝が同時に行われている。矛盾する情報(「第六波の後にパンデミックが終わる」という設定なら矛盾でもないが)を同時に刷り込まれると、「ダブルバインド(二重拘束)」の状態に置かれる。それも狙いの一つやも。

〇普通の風邪でもPCR検査を近年程の規模で実施すれば、今と同様のパニックをいつでも起こせたと思われる。“コロナ禍”騒動とは世界各国の全体主義化を正当化し、人々に惑沈を打たせる為の茶番劇としか考えられない。そう捉える事で全ての辻褄が合う。世界各国が全体主義化し、それを繋げるとNWOになる。

〇勿論その事込みでこのように書きました。一つの脅威演出の「終わり」は即新たな脅威演出の「始まり」を意味します。ゲイツは「コロナより恐ろしい大災害が来る」と述べました。“コロナ禍”は半永久的に継続可能なので、「端から止める気はない」という可能性も否定出来ません。
「まず

『パンデミックは今年中に終わる』が隠語の圧力可能性も考えてほしい
(彼らは比較的毎回そうでは?)

これくらい賢いなら」
※カッコ内は他の人のコメント。

〇「“パンデミック”は今年中に終わる」という仄めかしに対し、「“パンデミック”が終わって平和になる」と捉える程おめでたい頭はしていない。一つの脅威演出を終えると即次の脅威演出を開始するのが、裏権力の思考・行動パターンだと分析する。NWO化の企みを完全に打ち破らない限り、安心など出来ない。

〇“コロナ禍”で分かった事は、「ウイルスへの抵抗力の弱さ」ではなく「全体主義への抵抗力の弱さ」であろう。多くの人々は命の脅しによって生存欲を刺激され恐怖にとらわれると、簡単に自由を手放し全体主義を受け入れる。狂気が世の中を覆い、以前なら信じ難い事が日常化し、世界がディストピア化した。

〇欧米の政治体制の特徴は、大衆向けには「民主主義」の看板を掲げつつ、裏では少数の権力者が物事を決定する寡頭専制支配体制だと分析する。最近の欧米を中心とする全体主義化は、「民主主義」の看板をかなぐり捨て、露骨に本性を現したものと捉える。不可視な専制支配が可視的になってきたとも言える。

〇裏で少数の権力者が物事を決定する枠組みとしては、RIIA・CFR・CSIS・ビルダーバーグ会議・ダボス会議などがある。「シンクタンク」「国際会議」の形式を取っている場合が多い。「グレート・リセット」はダボス会議が唱える標語。岸田政権が掲げる「新しい資本主義」は、これを受けたものと見ている。

〇「今まで民主主義が健全に機能してきたのに、“コロナ禍”のせいで急に全体主義化してしまった」と捉えるのは正確ではない。裏のシステムとしてあったものが公然化してきたのが、今の事態と見るべきだろう。前なら「NWO計画などあり得ない」と決めつけたであろう者が、今やNWO的状況を平然と受け入れる。


【先読みの意義について】

〇「裏権力はこういう意図・狙いなのでは?」と推測して、それが当たっても陰謀追及的にはあまり意味がある事とは思えない。裏権力の意図を先読みする意義とは、あの連中が計画を実行し難く・出来なくする事にあると考える。ここが「当たった」と言って自慢して金儲けの種にする「予言」との違いである。

〇陰謀追及者の先読みは計画の阻止を目的とするのに対し、陰謀宣伝者の「予言」は計画の「援護」を目的とするのが本質的な違いだと考える。後者は「計画の実現は不可避である」と人々に刷り込んで抵抗意志を挫き、裏権力の計画遂行を円滑ならしめる。陰謀追及者の「予測」と陰謀宣伝者の「予言」の違い。

〇「読み」が当たっても、裏権力の計画がそのまま実行されたら意味がない。(人工)災害の予測は、先読み暴露して被害が防げてこそ意味があるのであって、災害が起きて多大な犠牲が出てしまったら意味がない。「地震を予言した」「当たった」と言って商売にするのは、人として如何なものかと思っている。

〇「先読み」の意義について「企みを阻止する事」という趣旨の事を書いたが、これについてやや理論的な考察を試みる。人間の認識の構造は「世界(対象)を認識する→態度決定(肯定・否定)を行う→反応する→世界が変容する→変容した世界への態度決定を行う→反応する..」というサイクルだと分析する。

〇まとめると「世界を認識し、世界に対して態度決定をし、世界に対して反応する」というサイクルの繰り返しである。換言すると、個人の判断・行動と全体状況との相互作用・フィードバックである。この機制からすると、一個人が発言しただけでも、(如何に微力だとしても)その分世界は変容すると言える。

〇裏権力とて前述のサイクルの中で行動している(はず)。「陰謀」も世界に対する反応・働きかけの一つ。裏権力も世界の全体状況を見て判断・行動を行うはず。一個人の「先読み」に基く発言が世界の全体状況に影響を与えると、その状況を認識した裏権力の反応を変化せしめる事も不可能ではないと考える。

〇ジョージ・ソロスは、全体状況と個々人の行動との相互作用・フィードバックを「再帰性理論」という理論にまとめている。表向きは投資の理論だが、裏権力の思考パターンを読む上でも重要なヒントになると見ている。彼らは投資に限らず、様々な企みに於いて上記の機制を踏まえて行動すると分析している。

〇「個々人の判断・行動と全体状況の相互作用で常に両者が変容しつつある」というのが、ソロスの「再帰性」理論の基本的な見方だと思われる。これが裏権力が計画を立案・実行するに際しての、基本的な認識枠組みだと捉える事が出来る。「先読み」とは、このような相互作用のサイクルに楔を打ち込む事。

〇ソロスの再帰性理論は、確実な未来予測の可能性を否定している。個々人の判断と行動が常に全体状況を変容させつつある以上、複雑なフィードバック作用の全てを考慮して未来を確実に予測・予言する事の不可能性を示している。だからこそ、裏権力は全体状況に影響を与える為に「予言」をするとも言える。

〇つまり、「予言」を行う事によって人々の心理に微妙な影響を与え、それで以て全体状況を意図する方向に誘導しようとするのである。故に、裏権力及びその走狗が行う「予言」「預言」の類は、個と全体の相互作用・フィードバックの機制の中で全体状況を操作する為に為される心理操作だと結論付けられる。

〇全体状況を見て如何に行動するかを決める。追及者が先読みし発言する事で全体状況が微妙に変化すれば、それを認識した裏権力側の行動も変化する可能性がある。例えば「ここまでバレているなら中止だ」「今のタイミングでは実行を控えよう」などと判断する可能性もある。それが「阻止する」という事。

〇裏権力がソロスの再帰性理論的な思考パターンを持っているなら、「予言」など成り立たない事を知った上で全体状況を操作する為に「予言」という形式を頻用する確信犯だと言える。宗教詐欺師が信者を騙す為に様々な心理学的技術を駆使しつつ、宗教詐欺師自身は自らの教義を信じてはいないのと似ている。


【裏権力に於ける狂気と合理性】

〇ロシアは戦前の日本と同じ立場に追い込まれる局面だが、石油や天然ガスというエネルギー資源がある以上そこまで追い込めるとも思えない。核武装国同士の本格的戦争は自殺行為。裏権力のフランキスト的な狂気を考えると、「やらない」とは断言出来ないが。サイバー空間や知覚領域を主戦場に選ぶ可能性。

〇裏権力のフランキスト的な狂気とは。18世紀ポーランドの猶太系思想家ヤコブ・フランクの教義は、悪が蔓延る程「終末→救済」が早まるというもの。世の混乱を深めれば深める程「終末→救済」が早まるというカルト教義を盲信する者なら、合理的計算を無視して核戦争を引き起こそうとしても不思議はない。

〇以前近代合理主義について考察したが、裏権力の思考パターンを分析するのに「合理主義」だけでは片手落ちになる。「狂気」という観点も加味しておかないと、盲点を作る恐れあり。そもそもNWO構想自体が狂気。根底に狂気があり、狂気を実行する手段として合理性を追求していると見るべきかもしれない。

〇裏権力の思想・思考パターンの根底に狂気がある以上、合理的な計算性のみで彼らの思考・行動を予測するのは危険だと思う。簡単に言うと「何をするか分からない」連中の思考・行動を読むには、反証が無い限りはあらゆる可能性を排除しない事が肝心。狂気に対抗するには、柔軟な正気の思考が求められる。

〇裏権力の「狂気」と「合理性」の関係は、狂った計画を実行しようとする犯罪者が周到に準備するのに似ている。根底は狂っているが、ある目的を達成する為の手段に於いて“合理性”を追求している訳である。陰謀否定論者は「そんな事して何のメリットが?」とよく言うが、根底にある狂気を見落としている。

〇ある「目的」にメリットを感じるか否かは主観である。我々一般人が「何のメリットが?」と感じる事に、裏権力は大きなメリットを感じているかもしれない。「世界支配の為に世界最終戦争を引き起こす」など常識良識を無視する狂気の沙汰である。だが、それをやろうとする狂気の輩がいないとは限らない。

〇陰謀否定論者は、例えば「気象操作して何のメリットがあるんだよ」と言うが、それは気象操作を行う連中に聞くしかない。我々が考えるメリットが、そのまま裏権力及びその走狗に当てはまるとは限らない。そういう発想が重要であると思う。狂気を批判するには「狂気はあり得る」という事実認識が不可欠。

〇廣松哲学の本で「幼児が車を“ブーブー”と呼ぶ」事態(喩えは別の物だったかも)を「幼児」ならざる「私」が理解出来るのは、私が「私としての私」を一旦離れて「幼児としての私」として考えるからだ、という趣旨の指摘を見た記憶がある。これを「扮技(扮する、演じる)」という言葉で表現されていた。

〇前述の「扮技」という表現自体は廣松哲学独特の表現であるが、一旦自分の立場を離れて相手の立場に身を置いて思考してみる事は、物事の分析に於いてとても重要な事である。「自分ならなやらない」が、「裏権力ならば?」と考えてみると、自分の物差しで「何のメリットがあるんだよ」とはならないはず。

〇「扮技」は「ふんぎ」と読む。思考上で観念的に誰かの立場に扮してみる事。こういった考え方の前提として、認識主観が「〇〇としての私」(私+〇〇=能知+能識)という二重構造になっているという見方がある。「私としての私」という自分目線に固執すると、物事を柔軟に分析出来なくなるのは確か。

〇「相手の立場で考える」という事は善意の人同士の「思いやり」の基礎だが、悪意ある者に立ち向かう上でも大事な心得である。悪意ある者の奸謀を見破るには、相手の思考パターンを分析し、「相手ならどう考えるか?」を考える事が不可欠。推理小説でいう「犯人の立場で考える」推理法も「扮技」の一種。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/1479979438141952001


(了)

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抜粋終わり


民主主義に用いるシステム・思想は、結構全体主義に転用できるのだよね。

だいたい、ヒトラーのナチスは、当時世界で一番民主的なワイマール憲法制で生まれた。

今のアメリカが、全体主義寸前なのも、民主主義のシステム・思想を巧みに悪用した結果。

フランスも同様。

日本も同じ。


その辺の用心が無い「リベラル派人士」は、バカか工作員だろうね。

て、保守の連中は、それ以前だけどな。





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