三略 上


主たる将のやり方というのは、まずガッチリ部下の心を掴み、功績を賞し、自らの志を皆に浸透させることです。
ですから皆と好みを同じくすれば、成し遂げられないことは無いし、皆とにくしみを同じくすれば、心を傾けてくれないことなどありません。
国を治めることも家を安定させることも、まずは人の心を得ればこそ為せるものです。国も家も亡くしてしまう要因は、つまりは人の心を失うことにあるのです。

人類は皆、自分たちの思いを実現したいと願っているのです。


そもそも「戦い」の前に、まずは「人々の心を得る」のが一番大事。

人心を失えば、戦争や商売どころか、国家・社会が成り立つのも危うくなるよね。

《軍讖》にこうあります「柔よく剛を制し、弱よく強を制す」と。
柔に身を置けば美徳を得ますが、剛に身を置けば賊として憎まれます。弱に身を置けば人の助けがありますが、強に身を置けば怨まれて攻められます。
ですが、柔はものごとに対応して備えることができ、剛は動いて与えることができ、弱は無茶をせずに人を用いることができ、強は及ぼすことができます。
この柔・剛・弱・強の四者には、ここであげたような使い所がありますので、うまい具合に制御して使うことです。


「弱さ」すら、「使いよう」があるのですよね。

なら普通の市井の人々なら、もっと凄い効能があるのが、明白だよ。

事象という手がかりがなければ知る由がありません。
天地のはたらきは神妙で、物事とともに推移するものです。常にとどまることなく変動し、敵に対応して転化します。はやまった行動はせずに動くということは、つまり敵に対応して変化するということです。
ですから上手く姿形を見せずに勝利を企図し、天下に威をしめすことを成し遂げられるのです。八方の領土を平定し、辺境部族を鎮められるのです。
このように動くことができる者は、帝王の器にふさわしいと言えます。

弱さ・柔らかさ・とかを目を背けずに見ていると、当然に、周囲も良く見えてくるよね。

ですからこう言われます「強を追求せずにいられないものは、上手く微妙なるものを守ることが少ない」と。もし微妙なるものを守れば、すなわち生を全うすることができます。
それをわきまえた聖人は、それを守って物事に対応します。
それを伸ばせば四海(天下)に届き、それを巻けば懐に収まるので、それを収納する倉庫もいらないし、それを守るのに城も必要としません。これを胸に収めておけば、敵国を屈服させることができるのです。

《軍讖》にこうあります「上手に柔と剛をつかいこなせば、その国に光(栄光)が広がる。上手に弱と強をつかいこなせば、その国の威が明らかとなる。愚鈍に柔と弱にこだわれば、その国はかならず衰退し、愚鈍に剛と強にこだわれば、その国は必ず滅ぶ」と。

弱さを蔑ろにするものは、結局は、何も守れない。

前の戦争の日本やナチスなどその典型。

また「新自由主義」とかで競争ばかりさせて、強者しか要らん・とした経済政策の挙句に、30年を失ったのが、フール天皇ジャパン

「弱」こそが、強さの大きな要なのですよね。

そもそも国を治める道というのは、賢智ある者と下々の民衆に頼るものです。賢智ある者を信頼すること腹心の如く、民衆を使うこと手足の如くできれば、すなわち政策を不足なく実行できるのです。
つまりそれは、手足と体がよく連動し、骨と関節がよく連動するようなもので、それは天の道としても自然であり、その巧みな行いに付入る隙きはありません。
軍と国の要は、民衆の心を察し、そして責務を実施することです。

冒頭の繰り返しのようになりますが、それだけ「人々の思い・心を得る」ことが、如何に肝心か。

「弱さ」が強さの要である以上、名もなき人たちを蔑ろにするのは、組織・社会・国家の致命傷になるのでしょうね。


今はこれで。

今後もできたら、また三略 から書いていきたいです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?