今の日本の縮図。


より

上記文抜粋
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「ムラの掟をやぶった…」「住むにはムラの血が必要だ」放火の疑い・92歳老人が抱えてきた80年以上続く遺恨「氏神の祟りにあったと陰口を叩かれていた」《青森5人死亡火災》

「今回の事件は92歳のお爺さんによる暴走で、その原因は『土地のトラブル』と報じられていますが、それでは実際のところは何も伝わらない。背景には根深い『掟』とムラ(集落)特有の事情があるのです」

十文字家は近隣の村に本家があり、分家が集落に移り住んできた

事件とは青森県六戸町犬落瀬で13日未明、8人家族の十文字利彦さん(68)宅が全焼し、焼け跡から5人の遺体が見つかった火災のことだ。5人の遺体は連絡のつかない義母の和子さん(88)と妻の弘子さん(67)、次女の抄知さん(39)、孫の弥羽さん(9)の家族4人と、近くに住む和子さんの兄のAさん(92)とみられるが、損傷が激しく身元の確認に時間がかかっている。

一方で火勢の強さなどから可燃性液体を使った放火の可能性が高く、現場近くにポリタンクを積んだAさんの軽乗用車が停めてあったことから青森県警はこの車を家宅捜索するなど捜査を進めている。

両家には、Aさんの母親が十文字家に後妻として嫁いだ約80年前から続く「遺恨」があったことは♯1で報じた通りだが、今回は関係者からさらに踏み込んだ証言が得られた。

冒頭の言葉に続いて関係者は「ここにはムラの掟に関わることを外の人間に話してはいけないという掟もあり、それがムラの人に知れたら間違いなく痛い目にあいます。私はそのことも熟知したうえで、よそに住んでいますから」と丁寧に取材に答えてくれた。

「そもそも十文字家は近隣の村に本家があって、分家がこの集落に移り住んできたんです。昔のことなのでなぜ許可されたのかは分かりませんが、この集落の人間の血がないとここには住めないんです。なのでこの集落の血を残していくためにAさんの母親に後妻として嫁いでもらい、さらに妹の和子さんも十文字家の嫡男の先代(利彦さんの義父)と結婚することになったのです」

幼少期に母親と妹を一度に“奪った”十文字家に対し、Aさんは複雑な感情を抱いていた。だが、ある意味この「政略結婚」はムラの掟に従って為された合理性があった。関係者が続ける。

「ムラに住むにはムラの血が必要だから、血を分けてもらうために一緒になった。忸怩たる思いがありながら、そこまではAさんも理解していたと思います。ところが十文字さんの次女はこの掟を破って、外の男を連れてきて結婚して村に住んだ。

今時の若い人でもよそ者と結婚するなら、ちゃんと村を出て暮らすんですけど、抄知さんはこの掟を破った。さらに最近では祭りの運営まで関わるようになっていました。、Aさんから見たら『血を分けてやった一族のくせに掟まで破って、本家ヅラしている。これでは自分の本家にも顔が立たなくなる』と怒り心頭だったわけです」

食べてはいけない時期に四つ足の動物を食べた

そして、報じられている「財産分与で揉めていた」という話も誤解だらけだという。

「田んぼの相続を巡って揉めていたというのも、そんな単純な話じゃないですよ。92歳の後継ぎもいないお爺さんが土地を寄越さないなんて、それなりの理由があるに決まっているじゃないですか。そもそも今回の火事で燃えてしまった家はもともとA家のものだったんです。でも妹の和子さんの結婚に伴い、その家を十文字一家に明け渡すことになった。つまりAさんは追い出されるような形で今の家に移った。

一方の十文字家はよそ者なので、ムラに持っていたのはあの家だけで、4世帯も住めば家も狭くなりますよね。そこでAさんの田んぼを潰して十文字家の家を建てるって話まで出ていたんですよ。Aさんからしたら自分は家も追い出されているのに、なんで後から来た十文字家のいいようにされなきゃいけないんだ、絶対に許せないと感じたはずです」

この集落にあって、Aさんの家は江戸時代から続く名門で、他にも主要な一族が血を受け継いで存続してきたという。関係者が続ける。

「仮にAさんが火をつけたのだとすれば、『これ以上、よそ者の十文字の血をムラに広めるわけにはいかない』という動機しか考えられない」

家とムラの伝統を守ることに必死だったAさんだが、その思いとは逆に村八分にされていたことがあったという。

「Aさんの奥さんが亡くなったり、孫が自殺したり娘が病気になったりと不幸が重なったときに、村の女性やAさんの分家たちは励ますどころか『Aがよくないことしたからこんな事が起こったんだ』と噂を広めたんですよ。掟のことを外部に話したんじゃないかとか、食べてはいけない時期に四つ足の動物を食べたせいで氏神の祟りが起こったとか。

5年前くらいにAさんの家が火事になったのも氏神の祟りだとみんな思ってますよ。そういう筋違いの恨みを買っていることもあって、Aさんは酒が入ると怒りっぽくなって『殺してけらあ!』とか激昂していたみたいです。自分はこんなに不幸で惨めなのに、なんで十文字家は栄えるんだという思いはあったでしょうね。ムラの女性たちが自分に理不尽な“祟り”の疑いをかけているのと同じように、Aさんにとっては十文字家が好き放題してきた祟りが自分に降りかかっていると思い込んだのかもしれません」

掟や祟りと聞くと、今は何世紀だと一笑に付すなかれ。今なお世界中で止まない戦争や紛争の原因は、信仰の違いではなかったか。だが、どのような事情であれ幼子含む4名の命が奪われる理由にはならない

※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。

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抜粋終わり

これって、日本の縮図的事件かもね・・・

Aさんは「岩盤保守層」ともいえるし、日本の通俗道徳で弾かれた近代初期の人ともいえる。

Aさんの奥さんが亡くなったり、孫が自殺したり娘が病気になったりと不幸が重なったときに、村の女性やAさんの分家たちは励ますどころか『Aがよくないことしたからこんな事が起こったんだ』と噂を広めたんですよ。掟のことを外部に話したんじゃないかとか、食べてはいけない時期に四つ足の動物を食べたせいで氏神の祟りが起こったとか。

不遇の人に冷たい。てのは、通俗道徳~天皇カルトの典型だしね。

「ムラに住むにはムラの血が必要だから、血を分けてもらうために一緒になった。忸怩たる思いがありながら、そこまではAさんも理解していたと思います。

今時の若い人でもよそ者と結婚するなら、ちゃんと村を出て暮らすんですけど、抄知さんはこの掟を破った。さらに最近では祭りの運営まで関わるようになっていました。、Aさんから見たら『血を分けてやった一族のくせに掟まで破って、本家ヅラしている。これでは自分の本家にも顔が立たなくなる』と怒り心頭だったわけです」

100年前くらいなら、意味があったかもしれない。

でもこの数十年は、むしろその共同体の足かせになることだし。

「ムラの掟」に墨守するなど、西門豹がぶち込んだ、巫女や三老を信じる人たちのよう。


西門豹はまず地元の農民たちを集め、どんな苦難があるか聞いた。当時鄴では地元に伝わる迷信で、毎年河に住む神(河伯)に差し出すため、若い女性と多大な財産を巫女や三老と言われる長老や儀式を管理していた役人に差し出し、それらを河に沈めるという人身御供の儀式がしきたりとなっていた。これにより集められた金銭は膨大なもので、民衆の生活が困窮するほどであったが、儀式に使われるのは1割も無いほどで、残りのほとんど全部は巫女たちが山分けしていた。また年頃の娘がいる家は逃げ出し、その田畑は荒れ放題となっていた

掟や法の意味が分からないと、それを執行できないし、大事モノでも継続などできない。


より

上記文抜粋
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晏子魯に使いし、事ありて己る、仲尼以て礼を知るとなす【第二十一】

晏子は魯に使いした。孔子は門弟子に命じて見に行かせた。
子貢は帰って報告して
「誰が晏子は礼に精通していると言うのですか。礼に『階段を登るときは、一段ごとに片足をかけて登らず、 堂上では走らず、玉を授かるときに両膝を地につけない』とあります。いま晏子はみなこれに反していました。誰が晏子は礼に精通していると言うのですか」と言った。

晏子は魯君への用事を終えて退出して孔子と会った。孔子は「礼にかくかくしかじかとあります。夫子がこれに反したのは、はたして礼にかなうのでしょうか」と言った。

晏子は「嬰はこう聞いています。両楹の間(堂上)には君臣の相会する位置は決まっており、君が一歩を行く間に臣は二歩行くと。魯君は礼法を無視して足早に来られました。 そこで歴階して登り、堂上に走り、ようやく会見の場に追いついたのです。
また君が玉を低い位置で授けられましたので、跪いて受けたのです。
またこうも聞いています。大いなる礼式は法度をこえてはならず、小礼は臨機の処置をしてもよいと」と言った。

晏子は退出した。

孔子はこれを見送るのに賓客の礼をもってし、帰って門弟子に命じて「礼法をこえた礼法は、ただ晏子のみがこれを行うことができる」と言った。

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抜粋終わり


より

上記文抜粋
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(10)
 太宗が言いました。

「むかし、帝王は、出兵を決め、将軍を任命するにあたり、三日間にわたって身を清め、将軍の任命式をとりおこなった。任命式では、まず将軍にまさかりを授与して、『これより天に至るまで、将軍がとりしきる』と言い、士気を高めるべきことを示した。それからおのを授与して、『これより地に至るまで、将軍がとりしきる』と言い、あわれみの気持ちをもつべきことを示した。そして最後に戦車の車軸に手をそえて、『進むも、退くも、時によって決めよ』と言い、現場にいる将軍の判断で臨機応変に行動すべきことを示した。こうして軍隊が出発してからは、君主の命令よりも将軍の命令が優先された。こういった将軍を任命する儀式は今やまったくすたれてしまったが、わしはそのほうとはかって、あらためて将軍を派遣する儀式を制定したい。そのほうは、どう思うか?」

 李靖が答えました。

「聖人の定めた礼法をみてみますに、
①宗廟で身を清めるのは、縁起をかつぐためですし、
②おのやまさかりを授けたり、戦車の車軸に手をそえたりするのは、思うままに軍隊を動かす権限を委任するためです。

今、陛下は、
①開戦なさるときにはいつも大臣たちとその是非を議論し、そのあと宗廟に祈ってから軍隊を出動させていますが、ここですでにきちんと縁起をかついでいます。
②また、将軍を任命なさるときにはいつも臨機応変に行動するように命じられたおられますが、ここですでに思うままに軍隊を動かす権限を委任しておられます。

こうしてみてきますと、現在のやり方は、むかしの帝王のやっていた儀礼と実質的には同じです。あらためて儀礼を制定する必要はないと思います

 太宗が言いました。

「そのほうの言うとおりだ。さっそく側近たちに命じて、以上の二つを文書にまとめさせ、それを今後の正式なやり方としよう」

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抜粋終わり

大いなる礼式は法度をこえてはならず、小礼は臨機の処置をしてもよいと

てのには、ため息がつくし。

現在のやり方は、むかしの帝王のやっていた儀礼と実質的には同じです。

こういうことは、バカにはわからない。

難しいものだが、極めて重要なことです。

でも臨機の処置など、岩盤保守や天皇信者などは、同胞の切り捨てしかないからな・・・

ムラを守り繁栄させる「掟」が、形だけになり、ムラを食い殺した。

まあ「何のための掟でどんな意味があり、どのような効能があるのか」を真剣に考えない日本人によくある過ち。
「天皇」そのものですは・・・

まさに守株・・まさに岩盤保守って人間が死んで岩盤になったてか・・・・・・

なんとういうか・・・

日本の縮図的事件。

ご冥福お祈りします。


阿弥陀如来 神戸 太山寺

天皇の無い 蒼い空を取り戻す

慈悲と憐みに富む社会になりますように

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