山口県アゲの一因か・・・少し被る安倍晋三謀殺事件と・・

【独占取材 in USA】大寧寺の変の新説を語るートーマス・コンラン教授

コメント欄

@user-kp1yj5vd9j
5 か月前
いや、凄いです。海外の一流の研究者の視点の素晴らしさもさることながら、互角に語り合えるすごさ。俄で申し訳ありませんが、朝廷・将軍家、当時は今以上に権威というものが染みついていたのでしょうね。この権威がいかに崩れていって、出自のいかがわしい豊臣家を経て徳川家での再構築がされたのか。信長にしろ道三にしろ守護なんてさっさと殺せばいいじゃんみたいに今の人は思うかもしれませんが、そうもいかない。どのように権威が死んでいったのか権威史みたいのがあれば、読んでみたいです。
家康が高家を残したのを血統マニアみたいな言い方もされますが、もしかしたら染みついた何かがあったのかもなどと思ってしまいます。
貴重な動画をありがとうございました。

@user-yakisoban
5 か月前
コンラン先生の説は非常に合理的で、日本特有の「感情のもつれ」による行動をほぼ排除しているから解り易い。この日本人特有の感情のもつれは当時室町後期の行動も、ちょっと前の研究者達の個人的な見解にも影響しているので非常に厄介です。
恒久的な遷都というより京が戦乱続きで困窮していたので幕府も頼りにならず臨時の処置という感じもしますが、快く思わない大内家臣団が暴走した。朝廷に強い権威が残っていたのは事実で、大義名分にはなるがその責任は負いかねるというのが大内家臣団の実情だったのではないかと
宣教師の史料に内藤家が陶家より出てくるのはそりゃ保護されてるからだとしか。ただ内藤がキリスト教徒だったというのは初耳で、なるほど"関白"秀吉が朝廷の権威を何とも思わないキリスト教勢力を快く思っていなかった・・とも考えられるかもしれん

@ku8687
5 か月前
とても興味深く面白い動画でした。応仁の乱ではまだ朝廷の庇護者はいましたがその後は朝廷を守れる存在が消えました
後土御門天皇、後柏原天皇、後奈良天皇ずっと困窮していたことを思えば朝臣から遷都計画もあるのかなと思いました
平安京に落ち着く前は各地に都を動かしたこと、南北朝時は動座したことを先例とするならば山口への遷都も説得をさせれる内容の一つかなと思いました
かねがね大内家は陶や内藤の当主一族を殺してきましたが、それを知る世代がその後も気持ちよく仕えられるかと言えば難しいと思います。かられもまた人間です。

@user-rz7oy1vn7z
5 か月前
初めて知りました。都の荒廃や治安上納得の行く説です。山口は辺地と思われがちでが、対明や対南蛮交易から見ると絶妙な地域です。皇室の行事は一般が考える以上に重要で、現代でも陛下皇族の方々は行事に忙殺されております。将軍家も滞在した山口は天皇家を迎え入れるポテンシャルは十分あったと思う。幕末も天皇を長州に迎えるという計画もあったし、中山忠光や七卿も長州に滞在している。山口は皇室とは因縁の地は間違いない。

@mamorutajima248
5 か月前
さすがに遷都までは考えづらいが、当時の京の政情不安を考えれば山口に行宮設置くらいはあり得そう(山名・赤松領を通らざるを得ない陸路は実現性が低そうなうえ、海路での行幸は斉明天皇以来前例がない(戦没の安徳天皇は除く)という難点はあるが)。
大内義隆は地方の戦国大名としては異例の従二位に昇ってるのは確かに不自然だと思っていたので、巷間思われているより大内家と朝廷の結びつきは深かったのかもしれない


大寧寺の変 諸説検証~通説から最新説まで 【豪族達と往く毛利元就の軌跡・補遺05】

@user-qz3go1ft3p
1 か月前
やはり遷都説というか行幸説は好きだな。当時の経済と支配体制について考えたら大内家がどれほど特別な存在であるかがわかる。何故徳川幕府は石高制と米の呪縛に拘り同時に
鎖国へ舵を切ったのか?経済発展を犠牲にしたから江戸の太平は実現したのでは?大局的な状況から唯一ありそうに思えるのは朝廷絡みの何かでは?と考えたい。銭本位制である貫高制に於る明との繋がり。大内義隆は大蔵大臣であり中央銀行総裁でありながら当時日本一の支配領域を持っていた。それが一番重要。

@TDKRyaju.ll45l4
1 か月前
こうした新説から見ていくと、幕府秩序から外れ日明貿易や石見銀山で莫大な財力を持ち、朝廷とマブダチで従二位に上り詰めるって大内義隆はバケモンかよ

@user-bp5nx6lb4t
1 か月前
投稿ありがとうございます、最新説の中では幕府黒幕説が信憑性はともかく面白い大河ドラマで次で大内氏出すなら採用されるかも。原因は一つではなく陶と相良の対立、吉見や益田の対立などが複合的に合わさって起きたのではないかとも思います。最後に起爆剤になったのが朝廷関係だったのか新しい資料が出ると良いですね。

@user-uz3fg4ux1x
3 週間前(編集済み)
山口遷都・行幸説に魅力を感じました。こういうのはトップシークレットなので真の目的は伏せられ、計画初期段階では限られた数人でしか議論しないので文書には残らないはず。他の説と決定的に違うのはスケールの大きさ。戦国時代の権力者は現代日本の政治家・資本家・公務員とは比較にならない。申し訳ないけど日本の学者の考えた説とは根本が違うと感じました。官人までも害することは朝廷との関係を破綻させ、計画をつぶすことにかなう。でも晴賢や興盛がこの計画をどう受け止めたかわからない点がネック。

@naoki080808
1 か月前
事後の対応からして、将軍にとって義隆は困る存在だったようですね。
遷都となると後奈良天皇や次代の正統性を脅かすように思えますが、この頃の京からいったん離れたいと考えるのはアリ寄りのアリかなーとw

@user-wb3qi2ew6l
1 か月前
コンラン教授の遷都(行幸)説が、とても興味深いと感じてた所に、将軍黒幕説がやけに説得力あるなぁって、思えて来そうだわ。
余談だけど、後奈良天皇というと宸筆の般若心経(本物を見たことある)を、各国の寺社に納められたりしてるが、大内氏の献金が役に立っていたのだろうかね。



大内義隆の時代に、山口に遷都する可能性があったのだ・・・

なら、・・・今の「山口県上げ・・・・・・」は、長州閥応援はわかるが、それだけでは世界レベルが動くのか・・てなると「日本の遷都もあり得る・・・・・・・」

そんなこともありかな・・

知らんけど・・

大寧寺の変の大内義隆と、安倍晋三氏と、被るところもある。。

毛利元就が「毛利家は中央で覇権を争わない」って言って家訓めいたことにしたのは、この大寧寺の変に関わったからだろう・・・。

アメリカに媚を売りつつ、中ロとも連絡を残し、殺人ワクチンを打たせつつ、イベルメクチンも使用しようとしていた安倍晋三。

なんか被るよね、大内義隆と・・



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