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コーヒー一杯粘りーまん

カフェに行くと、勉強とか作業とか、家にいるときも積極的に、やるかー、という気分になる。というのもあり、なるべくカフェには居座りたい。コーヒー一杯とはいえ、数百円するし、高いときにはその値段だけで一日分の食費くらいになる。だから、悪いな、とは思いつつも、コーヒー一杯で時間を忘れて作業し、4時間居座ったこともある。さすがにそれは居座りすぎなので、その一回きりだ。

居座る時には、なんとなく、コーヒーをカップに一口だけ残したまま作業をする。居座りたいという気持ちはバレバレであるだろうが、まだコーヒー飲んでいる途中ですよ、という表情をしていたいのだ。言い訳を残しているのである。そしてお冷だけが進む。

ほんの少し飲食店でバイトをした経験から考えれば、店員さんにしてみれば、そんな言い訳はいらないから早くカップを下げて洗わせてほしい、と思っているのだと察せられる。そうは思いつつも、コーヒーを飲み干してそれが下げられてしまったら、なぜ自分はここにいられるのか、という理由が失われてしまう。他人の家に居座って好き勝手しているような気分になる。コーヒー一杯を注文していようと、他人の家であまりにも長く居座っていることには変わりないのだが、それでも免罪符としてのコーヒー一口があると安心する。

そんな僕の心情はいいとして、カフェの側も、ここで読書なり勉強なりしてください、と門戸を開いているのは間違いないだろう。それを見越しての、コーヒーとか紅茶とかの値段でもあると思う。いわゆる場所代である。さらに、カウンター席にはご丁寧にも「ご自由にお使いください」と書かれたシールとともに、コンセントが設置されている。

そうは言ってもやはり居座ることにちょっとした罪悪感というか、悪いな、という気持ちはぬぐえないもので、何か追加注文しようかな、と悩んだりする。でも、ここで追加注文することは必ずしも褒められることではない。

もちろんお店としては追加で注文すれば売り上げが上がりありがたい。しかし、ここでまた僕のつたない飲食バイト経験が助言をしてくる。店員はあくまでも賃労働者であり、売り上げとはあまり関係ない。もしお店がつぶれてしまっても、ほとんどはバイトであるから、またすぐ他のバイト先を見つければいい。それよりも、バイトの仕事を増やしてしまうことが罪である。バイトは好き好んで客にメシを作ってやっているわけではない(もちろんカフェでの仕事が好きだという人はいるだろうが)。追加注文するくらいなら黙って居座ってくれていた方がましだ。

そんなことで、僕は、「罪悪感&お店の売り上げ」 vs 「お財布事情&店員さんの仕事」、という両派を脳内で戦わせたのち、戦わせながら作業をして、結局戦わせたままお店を去る。つまり、追加注文はしない。

このバトルは一見、引き分けのように見えるが、もちろんお気づきの通り後者、つまりお財布事情(ケチ)の思う壺で、後者の勝利である。

なんだかんだ言っているが、結局、自分の都合のいい解釈を垂れ流して自分を正当化しているだけだな、とは思う。利用させてもらっている立場であり、自慢げに店員さんをいたわっている気持ちを表に出すことはない。自分の中の罪悪感もしっかりその役割を果たし、帰る時には、魚の尾びれのように頭をぺこぺこさせながら、その推進力を使って退店する。

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