書評『ニムロッド』上田岳弘【SF PROTO 02】

芥川賞作家の上田岳弘は、IT企業の役員を努めるかたわら小説の執筆を行っている。今どき二足のわらじを履く作家は珍しくないが、こと純文学において彼は特異な存在だ。「超越派」とも称されるその作品には、テクノロジーの現在と未来が細やかな粒度で落とし込まれている。

『ニムロッド』は、そんな上田岳弘の代表作。文学史に類を見ない「仮想通貨」小説として、2019年の芥川賞に輝いた。

主人公の中本哲史(偶然にもサトシ・ナカモトと一致する)は、法人向けサーバーを提供する会社で働いている。合理的な性格のように見えるが、人当たりは悪くない。適度な距離感の恋人がおり、関西に住む友人と定期的に連絡を取っている。

ある日、酒の席で中本は社長から命を受ける。企業に貸し出していないサーバーを利用し、仮想通貨のマイニングを行うというものだ。こうして「採掘課」なる新部署の課長となった中本は、手探りでビットコインに対する理解を深めていく。

退職した友人、ニムロッドこと荷室は小説家を志しており、中本に奇妙なSF小説を書いてよこす。この世界の終局に、個を喪失した人類が高い塔を建てる物語だ。恋人との関係が揺らぐなかで、中本はニムロッドの物語に思いを馳せていく。

上田の過去作品がそうであるように、『ニムロッド』は閉塞感と哀愁に満ちた小説だ。無機質な涙を流す主人公。中絶と離婚を経験した恋人。鬱病を患った友人。ビデオ通話を介して三者が顔を合わせるとき、ささやかな関係は終わりを告げる。

本作を流れるエートスは、村上春樹の代表作『ノルウェイの森』を彷彿とさせるものだ。村上は80年代の大衆消費社会に表出した「虚しさ」を描き出した。それに対して、『ニムロッド』で上田が示したのは情報化社会に顕現した「虚しさ」である。

ブロックチェーン技術が切り開く未来への展望など、そこには微塵もない。仮想通貨とは新たなシステムへの移行ではなく、システムの臨界点、資本主義の行き止まりを示すものなのかもしれない。


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