書評「愛のアルゴリズム」ケン・リュウ【SF PROTO 01】

2021年の日本SF界は劉慈欣に話題をかっさらわれたが、その『三体』を英訳したのがケン・リュウだった。彼は翻訳者として中国SFを欧米に紹介するかたわら、自身も優れた作家として活躍している。テッド・チャンとともに華僑SF(?)の第一人者であることは間違いない。

弁護士の肩書をあわせ持つケン・リュウだが、大学ではコンピューター・サイエンスを学び、卒業後はMS社でソフトウェア開発に従事している。短編集『紙の動物園』に収録された「愛のアルゴリズム」は、そんなプログラマーとしての経歴が多分に反映された作品だ。

主人公の女性エンジニアは、玩具メーカーを経営する夫と新製品の開発にいそしんでいる。豊富な語彙を持ち、意味論的コード化と統語論的コード化の機能を搭載した「人工児童」。当初は女児向けの玩具として販売されたものの、モデルを経るごとにAIは進化を遂げ、ついにはチューリングテストを合格するに至ってしまう。

製品の売れ行きは好調。優れた発明者として、二人は世間から喝采を浴びる。だが、彼女は生後間もない実子を亡くしたことで、重度の抑うつ状態に陥っていた。

眼前にたたずむ人工児童には、彼女が組んだ規定のプログラムが走っている。「いい天気だね――」「愛している――」。もちろん、AIが「天気」や「愛」の本質を理解しているわけではない。だが、設計者であるところの「私」はどうなのか?

メランコリックに陥った人間の多くがそうであるように、彼女の思考は堂々巡りをし始める。FORとWHILEのループが延々と続く、私のアルゴリズム――。

作品の主題としては、AI時代における自由意志の議論を扱ったもの。歴史的にはアシモフ「われはロボット」などの系譜に置かれるが、ケン・リュウの描く世界は一味違う。AI時代に問われるのはロボットではなく、私自身の存在論にほかならない。 作中では「中国語の部屋」の有名な議論が引用されるが、ケン・リュウが書くそれは別の意味をはらんでいる。幼くして渡米した作者の、言語をめぐるコンフリクト。


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