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コムギのいた生活14 -再び-

散歩道の金木犀の香りが濃くなってくると日差しもすっかり秋めいてきて大通りの街路樹も少しづつ黄色みを帯びてくる。
日中は網戸越しに暖かい日差しを浴びて微睡むコムギだが、日が暮れるとコタツに篭ってしまいその可愛らしい顔を拝む機会がめっきり減ってしまう。
8月から9月にかけて2度目の放射線治療を受けさせていた。
昨年の根治治療での放射線照射は3週間に渡り平日に毎日照射をしたが、今回の緩和治療では同じく3週間の期間でも平日に1日おきの週3回と照射の数は少ない。
仕事を辞めていて日中に手が空いていた彼女が大学病院まで連れて行っていた。
入院をさせる必要がないため根治治療時ほどの精神的負担が無いようで朝早く散歩にでも行くかのようにカートを押して出かけて行く。
根治治療時の往路は辛かった。
毎回病院に置いていくコムギの姿に後髪を引かれながら、未来に縋るような心持ちで通っていた。
コムギを預けた夜はひとり寂しそうに過ごしている姿ばかりを想像してしまう。
もう入院はさせない。2度の根治治療は身体への負担が強いために出来ないという現実があるものの、そう決めていた。
緩和治療を終えたコムギに以前のような元気の無さや毛が抜けたり歯茎を痒がったりといった副反応は見られなかった。
負担が少ないことに対する安堵はあるものの、効果が弱いのではという不安もあった。
抗癌剤による副反応は変わらずだった。
週に1回はご飯が食べられなくなり下痢をしてしまう。
腫瘍科のM先生に抗癌剤の変更について相談はしてみたものの今使用しているものよりも効果が期待できるものは無いとのことで同じものを服用していた。
ただ照射前のように鼻血が滲むと言ったことは無くなっていた。
2度目の照射の効果が出てるいるはずだと信じながら日々を過ごしていた。





10月に入ると、度重なるコロナによる緊急事態宣言の影響を受けて疲弊していた飲食業界の救済措置として「Go To Eatキャンペーン」が開催された。
かつては毎週末コムギを連れて外出していた僕たちであったが、コムギの腫瘍発覚はコロナ禍なこともあり殆どを家で過ごしていた。
2度目の放射線治療から時間も経ち容態も安定していたため、キャンペーンを利用してコムギを連れて久しぶりの外食をしてみることにした。
池袋にあるペット連れ込み可の店を予約した。
久しぶりの外出に僕たちは高揚しながら出かける準備をした。
通院以外の目的でカートを使用することが久しぶりだった。
我が家からは歩いて行ける距離でコムギがまだ若く体力が有り余っていた頃は散歩していて気づいたら池袋まで来ていたなんてことがよくあった。
彼女がコムギを連れる後を僕がカートを押すいつもの構図。
知った道を思い出すかのように時折匂いを嗅ぎながらゆっくりと歩くコムギ。
コムギとの外出は楽しい思い出でいっぱいだった。
またそんな日々に戻れればと思うと、たちまち行き所の無いやるせない感情に包まれる。
池袋の繁華街が近づくと人も車も増えてきて賑やかになった。
「人が多いね。」
「お店混んでるかな。」
交差する人々を目で追いながら話をしていると不意にコムギがくしゃみをした。
久しぶりのくしゃみだった。
振り返るとコムギの鼻からは血が滴っていた。



僕たちはしばらく何も出来ずに呆然としてしまった。
2度目の放射線治療を終えたばかりなのに。
コムギのくしゃみはしばらく止まらなかった。



-続く-

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