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隻腕剣士とステーキ


「……お前どうやって食うんだ、それ?」云って、ゼウドはグリンザールの眼前に置かれた一枚のステーキを顎で指し示す。そして苛立った顔でステーキを睨みつけるグリンザールの顔を一通り観察したのちに、ゼウドはフォークとナイフを鮮やかに操って、切り口から豊潤な肉汁がこぼれだす最高級のそれを丁寧に口に運んだ。

「うめえ」ゼウドの感想は単純で端的だった。表面を素早く焼かれた柔らかいその肉を噛みしめる度に口の中いっぱいに広がる旨味、なめらかな脂の舌触り、玉葱をベースにしたと思わしきソースの深い香り。それらを彼は大いに愉しみながら、フォークで肉を押さえつけ、ナイフで一口大に解体し、時折ワインを口に含んで平らげてゆく。

 しかしその一方、グリンザールのステーキには未だ一度も刃が立てられることは無く、運ばれた姿のまま彼の眼前にあった。

「なあ竜の仔。そのステーキ、俺が切ってやろうか? いや嗤ったりって訳じゃあねえ。割と真面目に云ってるんだぜ?」その様を見て、珍しく気まずそうに云ったゼウドにもグリンザールは反応を返さない。唯々、憎悪の籠った視線を憐れなステーキ肉に対して向け続けている。

 暫しの間、ステーキとグリンザールのそれほど剣呑でない睨み合いは続いた。それに居心地の悪い気まずさと僅かな呆れを抱いたゼウドは、不動の隻腕剣士が何かやらかしはしないかと云う疑念に襲われ、その一挙手一投足を見逃すまいと隻眼を煌めかせる。その時、机の脇に置いてあったグラスの中の氷が、からん、と音を立ててひび割れた。

 瞬間、グリンザールはフォークを逆手に持ったかと思えば決断的にステーキに向けてその先端を振り下ろす。そして勢いそのままフォークに串刺しにされた憐れなステーキを釣り上げ、まるで獣めいて喰らいつきに行った。

「グリンザール!」その様を見て、ゼウドは今まさにステーキにかぶり付かんとするグリンザールの右腕を咄嗟に押さえつける。そうして無理矢理に一口で食らうには些か無理の有りすぎる肉の塊の主導権を彼は奪い取り、見事皿の上に着地させることに成功した。

「何をする」「何をするじゃあねえよ! 本気か今の? いや正気かよ!? ああもうナイフ貸せよお前!」癇癪を起こしたかのように喚きつつ、自身の顔に飛び散ったソースを拭ってゼウドはグリンザールの皿を奪い取る。更にグリンザールのフォークとナイフも半ば引っ手繰るように手に取って、素晴らしい手際でステーキを一口大に切り分け始めた。

 不満そうなグリンザールの顔を一瞥してゼウドが溜息をつきながら云う。「ったくグリンジ、公衆の面前でよくもまああんな真似ができるもんだよ。少しは羞恥心てもんがねえのかよお前はなあ」

「他に方法があったか?」グリンザールは指摘される理由が心底分からぬといった風に返した。「強いて言うならば、この店の配慮という奴が足りなかったように思えるがな」

 ゼウドはグリンザールのその言葉を苦々しい顔で聞き流しながら、手早くステーキを切り終えた。余熱の残った皿に乗せて供されていたステーキは、グリンザールが四苦八苦している内に、既にほぼ芯まで火が通っている。ゼウドはその切り口を見て、此度の食事がエニアリスと対峙しての事でなかった事に心底安堵した。

「ほれ食えよ、あんな食い方されちまったんじゃあ俺だって迷惑だ。見てるこっちのメシが不味くなる」云ってゼウドはグリンザールへと向けてステーキとナイフとフォークの乗った皿を滑らせる。グリンザールは今だ憮然としながらもそれを受け取ると、礼の一つも言わずにフォークを使ってその肉を口へと運んだ。

「……どうだ? どうだよグリンザール? お前だって、偶には旨いモン食わねェとって思うよなあ?」「うむ…………」普段の粗雑な食生活を揶揄しつつ、一口目の感想をゼウドは求めた。その言葉を受け静かに肉を咀嚼するグリンザールを、ゼウドは爛々と輝く詩人の瞳で見定めながら、彼の言葉を待つ。

 それは長いようでいて、実際には数十秒にも満たなかったであろう。既に当初抱いていた気まずさが好奇心に取って代わられたゼウドの視線など素知らぬ顔をしたグリンザールは、思案するように、傍から見ればそのステーキの味を堪能するようにしながら、陰気な入れ墨の見え隠れする喉を鳴らしてその肉を飲みこんだ。

「……どうだ?」ゼウドは隻腕剣士の口から、この素晴らしい肉を賛美する如何なる突飛な表現や、狂気じみた幻想に基づいた言いまわしが飛びだすのかと、実に期待した面持ちで尋ねた。しかし当のグリンザールは、普段通りの仏頂面を崩さず、少し歯切れが悪そうに云った。

「……良く分からんな」「かあーっ!」それを聞いて、ゼウドは参った、と言わんばかりに天を仰ぐ。そして、自身のグラスのワインを一息に飲み干すと、半ば自棄になったように給仕へと次のワインを要求するのだった。




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