中学時代の部活の顧問に会った話

先日仕事関係で中学時代の部活の顧問と会う機会があった。それはとある講習会(自分の部署が主催で私は受付要員で呼ばれた)でのことで、彼女がくることは会場につくまで把握していなかった。
中学で所属していた合唱部は全国大会にも行ったことのあるほど熱心なところで、10年近くたって振り返ればその実態はブラック部活そのものだったように思う。
名簿で名前を発見した後、受付でほかの参加者に書類を渡したり検温したりしながら待つも彼女はいくらたってもやってこず、ついに講習会開始の時間を過ぎてしまった。一緒に受付していた同僚は過去にも彼女と仕事で接したことがあったらしく、「あの人は意外とそういうところがあるけんね」といった。確かに変わった人で、部活の指導以外のところでは抜けているところもあったかもしれない。
10分くらい過ぎたころ、エントランスに彼女の姿が見えた。私は想定以上に緊張していた。中学生だったあのころ、先生の言うことは絶対、と部員たちは信じきっていて、周りからは宗教だ、洗脳だと揶揄されることもあった。当時の私はそんなに歌がうまいわけでもなかったし、先生からの期待が少なかった+関わりが少なかった分洗脳度合いも薄い、と思っていた。のだけど、いざ再会するとなると「当時の変なことを思い出さないでほしい」とか「変なやつになったと思われたくない」とか、とにかくこの人の前ではちゃんとしなくては、よく見られなくてはと考えてしまう。
「すみませーん時間勘違いしてました」という彼女になんと声をかければいいのか分からず(恩師との再会で向こうの醜態を見せられるパターン、私じゃなくてもムズいでしょ)、とりあえず知らないフリして検温すると、同僚が「この子あんたの教え子らしいけど覚えてる?」と話を振ってくれた。「11年前に合唱部にいた○○ですー」というと、「ああ!思い出した、覚えてるよ」と言ってくれた。影の薄い生徒だったし覚えられていないかもなと思ってたので、純粋に嬉しかった。
講習会の休憩時間、再び彼女に話しかけた。幾つになった?とか仕事は忙しい?とか、まあこういうシチュエーションではありきたりであろう会話を重ねる。あの頃あんなに威厳を感じていた先生は、大人になって話すとただただ優しくてどこにでも居そうな先生だった。私が成長したのか、彼女が丸くなったのかは分からないけど。
最後に「それにしてもなんでこんなとこいるんだろうと思ったよ。私の中ではあなたたちは永遠に中学生だからさ」と彼女は言った。私にとってもあなたは永遠に中学時代の厳しい先生であるはずで、自分の仕事で遅刻者として関わる人じゃなかったんですよ、と思った。もちろん口には出してないけど。
会話の中で「中学卒業してからどこかで会ってなかったっけ?」と言われた。その時は思い出せず適当に濁したが、彼女と別れたあとであることを思い出した。高校に入り、部員6人の弱小合唱部に入って県の合唱祭に出た時のことである。たまたま会場で彼女に会って話した知り合いが、「○○高校のアルトって(私)だよね?」と言っていたよと教えてくれたのだ。自分を覚えてくれた上に歌声で判別してくれるなんて思ってもいなくて、当時は本当に喜んだ。多分彼女はその時のことを言ってたのではないだろうか。
そこから中学時代や、それ以外でも合唱に関わる色んな記憶が蘇って、ノスタルジックな気分になった。ブラック部活だったと認識していても、恐かったはずの先生に威厳を感じなくなっても、それでもどの記憶も本当にキラキラしているように思えた。そして、高校時代自分を認識してくれたことが未だに嬉しくて、私は一生彼女に認められたいんだろうなあと思ったのだった。

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