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師匠と弟子、そして世界の卵

「で! これはいったい! 何なんですか!?」
「君ねえ、追われている真っ最中にそんなこと聞くもんじゃあないよ?」
「追われている最中だから、せめてその原因が何なのか知りたいんです!」
 四脚蟹の魔導モーターが唸り、さらに言いつのろうとする弟子の言葉をかき消した。横向きの蟹がはじかれたように駆け出した瞬間、周囲に茫洋とした魔法陣が浮かび上がる。
「召喚陣!?」
「だねえ」
 青白い光から赤い塊が飛び出す。塊は六本足で大地に降り立つと、勢いよく蟹へ向かって駆け始める。夜の暗闇の中、蟹は四脚をせわしなく動かし走り続ける。その道筋に合わせ、数え切れぬほどの召喚陣が展開されていく。
「おお、魔導猟犬ゴーストドックの最新型じゃあないか。どれどれ」
「もう! 呑気に観察なんかしてないで、なんとかしてくださいよ師匠!」
「『観察なんか』とは、なんてことを言うんだい弟子くん。観察は我々魔技師エンジニアにとって最も大切な行為だということは、何度も何度も教えてきたはずなんだがねえ……。教主国魔技庁がその持てる技術の粋を集めて創り上げた最新鋭、そいつが稼働している姿を目の前にして分析のひとつもしないなんて、そいつはもう技術屋とは言えないのではないかね?」
「あたしも! 時と場合を! 考えてくださいって! 何度も何度も言ってきたはずですが! きゃあ!?」
 魔導猟犬が蟹へと追いすがり、鋭い牙を胴体へと突き立てはじめた。蟹の胴体が激しく揺れる。師匠の尻が座席から浮き上がり、弟子がそれを慌てて抑える。
「おっと助かるよ。しかしできれば、アタシよりもコイツが飛び出さないように気をつけてほしいねえ」
「なに言ってるんですか。その箱、この振動の中で微動だにしてないじゃないですか。いったいどういう術式機構しくみなんです?」
 足を組んで座る師匠の足元に放り出されているその箱から、ときおり唸り声のような低音が聞こえてきていた。六面全てに刻まれた仰々しい文様、すなわち魔術紋が立てる作動音だ。
「見たことのない紋様構成だし、魔術稼働音ハーモニーも、他の術式とはぜんぜん違う……一体どんな……」
「お? 良いところに目と耳をつけたねえ。では、本日の教材はそいつだ。レッスン開始といこう」
「時と! 場合!」
「学びの機会は、いつどこにあるかわからないものだよ弟子くん。学究の徒たるもの、向上の機会を逃さぬよう常に備えて置かなければ――」
「師匠!」
 目を閉じて滔々と語る師匠の頭部のすぐ後ろ、生物では不可能な大きさに口を開き、頭部を噛み砕こうと迫る魔導猟犬が、一、二、三体。鋼鉄の牙が陽の光に鈍く輝く。弟子は反射的に攻撃術式を展開しようと動き、そしてその瞬間、決して間に合わないタイミングであることを悟る。悟ってしまう。
「――ダメえ!!」
 魔導猟犬たちは、師匠の頭部に容赦なき致命の一撃を加えんとし、

「――おすわり!」

 師匠の一喝を受けて、全機能を停止して道に転がった。

「……えええ!?」
「いやあ、しつけの良いワンちゃんで助かったねえ」
「し、師匠がやったんですか!? 一体、どうやって!?」
「どうやったと思うかね?」
「それは……」
 弟子は己の学識と経験をフル稼働させて思考し――「時と場合」は頭から完全に消え去ってしまっていた――やがてひとつの信じがたい結論に至る。
「……駆動系の術式を……即興リアルタイムで書き換えた……?」
「正解!」
 何気ないふうに答える師匠を、弟子は信じられないものを見る目つきで見た。たしかに駆動系の術式を書き換えれば、魔道猟犬たちを停止させるどころか、こちらの意のままに操ることさえできるだろう。
 ただしそれは、迫る猟犬の術式を観察だけで解析し、魔技庁お抱えの超一流魔技師エンジニアたちが施した防壁プロテクトを破りながら上書きする――などという、およそ常人には叶わぬ技巧の持ち主によってのみ為せるものである。
(さっすが師匠。さっきまでは蹴りの一つでもいれてやろうかと思ってたけど……この人の元にいれば、こんな絶体絶命の大ピンチも乗り切れるかもしれないわ!)
 弟子の心にかすかな希望の火が灯る。彼女は自らが頼るその人が、そもそもこの絶体絶命の状況を招いた張本人であることをすっかり忘れてしまっていた。

「弟子くん! ブレーキ!」
「え!?」

 駆け続ける四脚蟹の前方に、とつぜん巨大な鉄壁が生えた。弟子の操作により四脚を踏ん張って急減速した蟹は、壁に激突する寸前で停止する。
「た、助か――」
「――ってないねえ」
 静止する蟹の四方に、次々と鋼鉄の壁が出現する。壁は蟹の周囲を隙間なく囲み、堅牢な檻を組み上げていく。
「なんとまあ。先ほどの猟犬といい、老人と子ども相手に大げさなことをするもんだねえ」
「それはそうでしょう。なにせ相手は、ただの・・・老人ではありませんから」
 虚空から声がした。驚く弟子の眼前に、青碧色に光る魔法陣がいくつも展開されていく。
「そうでしょう? ”蛇喰らいの魔女”どの」
 耳障りな声とともに現れた男は、教主国魔技庁の記章をこれみよがしに胸につけ、後ろ手を組みながら立っていた――師匠と弟子を見下ろすはるか高所の空中にである。頭髪を後方になでつけ、顔を金属製の仮面で覆っていた。眼部にある三連レンズがせわしなく回転する様子は、捕食者が獲物との距離を測っているような緊張感を与えてくるものだった。弟子は思わずつばを飲み込む。
 転送陣から次々に人が現れる。男も女も同じローブに身を包み、同じ仮面――最初に現れた男のものよりは簡素なデザインであった――を身に着けていた。男の右に五人、左に五人。全員が空中に立っていた。
 男が足を踏み出す。二歩目は地面よりもわずかに低い、何も無いはずの空間を踏みしめる。次の一歩はさらに低く、それを繰り返し、まるで見えない階段を降るように歩を進める。
「おお。魔導義体マギボーグ! しかもほぼ全身換装済みと見える。これはなかなかお目にかかれないよ弟子くん。いい機会だから、じっくり観察させてもらうといい」
「そ、そ、そんなこと言ってる場合ですか! 魔技庁所属の全身換装済み魔導義体って言ったら、あ、あの」
「”魔人ダイモン”。魔技庁お抱えの始末屋トラブルバスターだねえ」
「通告は一度だけです、魔女どの」
 ”魔人”が呼びかける。仮面の奥から聞こえるその声は、魔術的に合成された、およそ一切の感情を廃したものであった。
「魔技庁より持ち出したその箱、返していただきます。さもなければ当方、荒々しい手段もやぶさかではありません。魔技庁からは『いかなる手段を用いても構わぬ』と仰せつかっておりますゆえ」
「いいよお」
「えー!? い、いいんですか!?」
「そりゃあそうだよ。だって用があるのは箱の中身であって、箱そのものではないんだもの」
 呑気な返答に一瞬つんのめると、弟子は師匠に詰め寄ろうとして、

「――通告はしましたよ」

 聞くものの心臓を鷲掴みにするような”魔人”の声に、身動き一つ取れなくなってしまった。

「無論、我々が返していただきたいのは中身の方です。箱は魔女どのにお渡しいたしますよ」
「それはどうも……この箱の中身、まだ・・君みたいなのが血相変えて取り返しに来るような、そんな大層なものじゃあないはずなんだがねえ」
「大層なものですよ、疑いなく」
「君たち魔技庁にとっては、かい?」
この大地に生きる全ての者にとって・・・・・・・・・・・・・・・・、です」
 ”魔人”は組んでいた両手を解き、左右に広げた。その指先が精妙に変形し、十門の魔術砲を形成する。
「通告はしました。これ以上の問答は必要ありません。承諾か、死か」
 右手を師匠に、左手を弟子に向け、”魔人”は抑揚のない声で告げた。
「し、師匠……!」
 恐怖に震える声でそう語りかけてくる弟子を一瞥すると、師匠は優しげな笑みを浮かべた。
「やれやれ」
 師匠は床に置かれた箱――あれだけの急制動のさなかでも、箱はわずかなりとも位置を変えていなかった――を、つま先で数度蹴った。
 その瞬間、箱の表面に記されていた紋様が目まぐるしく形を変え始めた。その様子は、恐ろしい呪いに侵された者が身を捩りながら必死の抵抗をしている、そのように弟子の眼には写った。
 術式の上書きリライト
「それがあなたのお答えですね。では」
 ”魔人”の指先から、十条の閃光が奔った。躊躇なき射撃。稲妻のような、複雑な軌跡を描きながら師匠へと襲いかかる。
「師匠、危ない!」
 弟子が叫ぶ。同時に気づく。今の自分が動けないのは恐怖のせいなどではない。”魔人”の声色に隠された麻痺術式パラライズの効果だ。
 だったら。
 弟子は意識を、己の体に食らいついているはずの術式へと向ける。観察、分析、そして――上書きリライト
 薄いガラスが砕けるような音がして、弟子の体が自由を取り戻す。そのまま師匠と”魔人”の間に立ち、両手をかざす。
 陽の光かと錯覚するような輝きが、一瞬満ちた。
「……馬鹿な」
 ”魔人”は、抑揚のない声でそうつぶやいた。
「”蛇喰らいの魔女”にならともかく、あんな十にも満たなそうな小娘に我が術式を破られ、あまつさえ魔術砲を食い止められるなど」
「なーにを言ってるんだい始末屋くん! 彼女はねえ、他でもないこのアタシの、君たちが”魔女”だのなんだの、好き放題言って勝手に恐れているこのアタシの直弟子なんだよ? いくら見た目がちんちくりんに見えたって、そうあなどっちゃあいけないと思うがねえ!」
「……だ、だれがちんちくりんですか! あーもう、師匠なんか助けなきゃよかったです!」
「まあまあ。それはともかく、だ。ごらん。箱が開くよ」
 師匠の言葉に応えるかのように、箱の六辺に光が走る。そこから、蕾が開くような優雅さで箱が開いていく。
「……え? こ、これって……」
 中身を目にした弟子が、信じられないようなものを見る口調でつぶやいた。
「うんうん間違いない。彼女・・から聞いていたとおりだ」
「師匠、これって、これってもしかして」
「うん?」
「……卵じゃないですか!?」
「卵だねえ」
 弟子は口をあんぐりと開けて、卵と師匠を交互に見た。卵は人の頭くらいの大きさで、きれいな球形をしていた。殻の色は灰白色で、なんら奇妙なところはなかった。
「な、なんでこんな、これ、一体何の卵なんですか?」
「これはねえ、弟子くん」
 師匠は口角を上げた。
「世界の、卵なんだよ」

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(久しぶりにまとまった量のフィクションを書いて、創作筋肉の衰えをひしひしと感じさせられました。ジャンルは「マジカルパンク」)
(いろいろと落ち着いたので、またぼちぼち書き溜めていこうと思います)


そんな…旦那悪いっすよアタシなんかに…え、「柄にもなく遠慮するな」ですって? エヘヘ、まあ、そうなんですがネェ…んじゃ、お言葉に甘えて遠慮なくっと…ヘヘ