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『白と黒』

 どこまでも、どこまでも白い平原に、白い嵐が吹きすさぶ。
 目に映るのは全て白――もっとも、目を開けていられる者など、この嵐の中では皆無だったが。
 ここはギィタリス大陸の北の果て、後の世に「北絶」と呼び習わされることとなる、今は名も無き、雪と氷と死の大地――だからこそ、不動の姿勢で屹立する大機神は、異質としか表現し得ない存在であった。
 淡く光る半透明の体躯を、精緻な細工の全身鎧に包み込むその姿は、あたかも麗しく貴き白磁の騎士。機神は腕を組み、前方の白い嵐を両の眼(まなこ)で睨(ね)めつける。否。機神が――「白き彼女」が見ているのは、嵐の彼方にいるであろう、「彼女」の不倶戴天なる怨敵であった。
 忌むべき「黒」が、そこにいる。
 「彼女」は組んでいた腕を解くと、淡い色の外套(マント)を暴風にたなびかせながら静かに歩み始めた。しかし、人の背丈の数十倍を誇るその威容である。一足踏みしめるたびに地は震え、巻き上げられた雪塊が吹雪に混ざりゆく。
 一歩、一歩、真っ直ぐに。白く黒い闇の中を、ただひたすらに前へ。無限に続くかのような、歩みの果てに。
 
 「黒」は、立っていた。

 「白き彼女」に対して、その機神は全身を黒色の鎧で覆っていた。高さは同程度だが、華麗さと重厚さが同居する「白」に対し、「黒」の機神は無骨そのもの。無骨な腕、無骨な胸、無骨な腰、無骨な拳、無骨な脚――難攻不落の大要害が、そのまま人の形をとったかのようだ。無骨な首の上に鎮座する、無骨な円筒状の頭部。その左右から生える角状の突起物は、「黒」の禍々しき本性を現しているかのごとくに捻じれ曲がっていた。顔の中央に備わった巨大な単眼が、脈打ち蠢くかのような拍動で、紅い輝きを放つ。
 「黒」の機神は先程までの「白」同様、静かに腕を組んで待っていた――獣の咆哮の如き風を全身に浴びながら、微動だにする気配も無いままに。 
 見る者全てを怯ませ、すくませ、恐れさせるその姿を、だが「白」はまるで意に介さぬように歩みを進め、二機の間合いを詰めていく。

「白」はやがて歩みを止める。
「黒」が組んでいた腕を解く。
「白」はおもむろに、何も無いはずの空間へ右手をまさぐり入れる。
「黒」は傍らの大地にそびえ立つ巨大な何かに、ゆるりと手をかける。 
「白」が空間より引きずり出したのは、白銀の刃を備えた一振りの片手剣。
「黒」が大地より引き抜いたのは、自らの丈をも超えるような漆黒の大剣。
「白」が構え、「黒」が構えた。

 剣闘が、幕を開けた。

 大地を叩き割らんが如き渾身の剣撃を紙一重の距離で避け、「白」は必殺の剣を「黒」に振るわんとする。だがその剣は「黒」には届かない。吹きすさぶ嵐に劣らぬ速度で振るわれる漆黒の大剣は、「白」にあと一歩の踏み込みを許さない。二度三度、四度五度、両者の剣は空を切り、或いは正面からぶつかり合い、燈色の火花を散らす。
 不意に「白」が間合いを離す。「黒」は逃すまいと追いかけようとし――こちらにぬっと突き出された「白」の左腕を目にした瞬間踏みとどまる。
 「白」の左手が、青い閃光に染まり――放たれた六連の光。それぞれが獲物を狙う蛇、はたまた巨木を割く雷撃の如くに、折れ、ねじれ、歪み、その全てが「黒」を射抜かんと迫る。「黒」は咄嗟に大剣を大地に挿し、その影に身を隠す。着弾。耳にする者無き轟音が、白き大地に響き渡る。
 六発、全て防ぎきったとみた「黒」が、反撃を試みる――だがその刻、「白」は忽然とその姿を消していた。一瞬の、だが致命的な戸惑い。「黒」は己の頭部に黒い影がかかるのを感じる。見上げた視線の先に映ったのは、空高く舞い上がった、「白」の姿と、振り下ろされる、剣先。
 判断は一瞬。「黒」はその全力を持って後方へ飛び退く。甲高い金属音。
 
 「黒」の、左の角がくるくると宙を舞い、大地に突き刺さる。

 それを合図に、再び両機は打ち掛かる。

 「白」と「黒」、互角の剣風は二色の嵐と化し、吹雪の中でなお猛り狂う。撃ち、払い、突き、斬り下ろし、斬り上げ、虚の中に実を、実の中に虚を混ぜ、ありとあらゆる手練手管を弄してなお、両機は全くの互角。傍らで見ている者あれば、この争いが未来永劫に続くものだと錯覚したかも知れなかった。
 無論、そうではない。如何なるものにも等しく終わりは訪れるものだ。
 拮抗が崩れたのは、両機が千を超えて剣を交えた頃。一際甲高い音が戦場に響き渡ったときだ。
 間合いを離す両機。音の原因は一目瞭然であった。「白」の握る白銀の剣は――その刀身を根本から失ってしまっていた。
 「黒」が一歩踏み出す。「白」が一歩下がる。さらに一歩。両機の間合いは変わらぬまま、だが勝負の天秤は一方に傾きつつあった。

 「白」の、折れた刀身がくるくると宙を舞い、大地に突き刺さる。

 それを合図に、両機は駆け出す。「黒」は「白」に向かって、そして「白」は――やはり「黒」に向かって、折れた剣を放り捨てながら。
 捨て鉢の突撃など意に介さぬと言わんばかりに、「黒」は大剣を頭上高く振り上げ、真っ直ぐ向かってくる「白」目掛けて振り下ろした。渾身の一撃、無手でなど防げるものか、そう確信させる程の疾さと威力を込めた斬撃は――両断される寸前に急制動、無理やり踏みとどまった「白」の、顔から胸を浅く切り込むのみにとどまった。
 「白」が拳を振りかざす。「黒」は相手の狙いを瞬時に洞察し、それが叶わぬことを――両機の間合いは、剣ならば届くが拳では届かぬ距離だ――確信する。ならば。振り下ろした大剣を持つ手に力を込める。このまま、返す刃でこの、間合いも掴めぬ愚か者の胴体を両断して

 「黒」の視界が、青い光に染まった。続けて叩き込まれた衝撃が、「黒」の無骨な頭部を激しく揺さぶった。

 「白」の右手、拳を叩き込むかのように「黒」に向かって伸ばされた右手、その白磁の装甲が僅かに変形し――なにかの射出口のような物が形作られていた。そしてそこから伸びた青く光る「杭」が、「黒」の紅い単眼を撃ち貫いていたのだ。

 冥府魔槍『ストレイ=ヘル』。魔力で組み上げた「杭」を相手に撃ち込む、「白」の近接兵装である。

 「白」はゆっくりと「杭」を引き抜く。弾けるような音と、舞い散る火花。「黒」はたたらを踏むように後退し、腰から崩れ落ちた。千載一遇の機会に、「白」はそれ以上の追撃をせずに――否、できずにいた。「白」の胴体の半ばほどまで、「黒」の大剣が叩き込まれていたからだ。
 「白」の巨躯が、白き大地に膝をつく。衝撃に雪が舞い上がり、すぐさま吹雪と混じり合い、消えていった。
 両機はそのまま、微動だにしなくなった。

◇ ◇ ◇ ◇

 数日後。吹雪が止み、晴れ渡った空の下で、「白」と「黒」は全く同時に緩慢な動作で立ち上がった。信じられぬことに、両機ともにその身に受けた損傷のほとんどが消えて無くなっていた。彼らを形作るのは「生きた金属」とでも言える物質である。魔力の供給さえあれば、人の傷が癒えるがごとくに元の姿を取り戻すのだ。
 
「白」と「黒」は、しばらく視線を交わし合うと――両機ともに互いに背を向け、反対方向に歩みだした。此度の闘争はここまでと、両機ともに悟ったからである。

 なぜならば、傷を癒やすために費やした魔力、その供給源が命を落としていたからだ。あまりにも急激な魔力の供給は、供給者に多大なる苦痛と、その果ての死をもたらすものである。これ以上戦うためには、新たな供給源を求めねばならないだろう。そしてそれは奴も――「黒」も同じはず。「白」はそう判断し、朽木のように成り果てて死んだ供給源を自らの身から排出した。
 
 「白」は己に残された魔力を試算、次の供給源を見つけるまでの期限を算定する。さほど余裕は残されていない。急がねば。急ぎ次の供給源を見つけ、十分な魔力を蓄え――その上で奴に、「黒」に挑むのだ。次は、次こそは、必ず奴を打ち倒してみせる。

 そのときこそ、永劫の昔より続くこの因縁に。
 終止符を。

 「白」はそう決意し、歩みを早めた。

 


 以上、白磁の令嬢が”忌み野”に降り立つ、2000年程昔の物語である。

【『白磁のアイアンメイデン』外伝『白と黒』 完 本編へ続く】


★この作品は、以下のコンテストへの参加作品です★

また、連載作品『白磁のアイアンメイデン』のほんの少し、前の物語です。本編は以下より読めます。面白いですよ。


そんな…旦那悪いっすよアタシなんかに…え、「柄にもなく遠慮するな」ですって? エヘヘ、まあ、そうなんですがネェ…んじゃ、お言葉に甘えて遠慮なくっと…ヘヘ