西平鋭子(83) 聞き取り記録 その3


「はいはい、忙しいねえ。こんな雨降りに。濡れたねえ? だあ、拭くものはあるねえ? 大丈夫? とー、座って。」

「今日は何からしますか?」

「学校の話?」

「うちは学校は戦争終わってからだからねえ。お父さん(西平守温氏、夫、記録者注)は、あれ、戦前にはもう学校上がっているから。」

「うーん、うちは小さかったらねえ。戦争のことはあまり覚えていないですねえ。また、島は兵隊もいなかったはず、小さいし、田舎だから。でも、後から姉さん達が話していたけど、消防団かねえ、制服着ている人が兵隊と間違われてアメリカーに撃たれて亡くなったとは言っていましたですねえ。」

「これもうちは覚えてないけど、うちなんかはやーにんじゅ(一家全員、ほどの意)でガマに隠れていたらしい。そしたらアメリカーが来て、<デテコイ、デテコイ>しよったみたい。みんな黙って隠れているけれど、あれなんか(アメリカ兵ら、記録者注)は分かってるみたいであるわけ。それでアメリカーが穴から手-伸ばしてチョコレートか何か出してきよったって。そしてから、うちは食べ物かねえーと思って、ひょこひょここれを掴もうとしよったって。それで、もうあれなんかにはバレてあるから、もう出よう、ってなって、捕虜とられたみたい。」

「うちは学校は成績よかったですよ。島で一番。学校行っている間は畑も何もしないでいいから良かったです。でも、学校の何かで親が行かないといけないときは、うちの母は目が悪いから手を引いていかんといけんかった。」

「だから、高校も行きたいと思ったけど、お母さんはこんなーだし、おやじからは金がないからと言われるし、もう、どうにもならない。」

「貧乏だったから。でももう、どうしようもない。上の兄貴や姉さんたちは自分の家庭持っているし、すぐ上の姉さんや兄さん達も那覇に出て働いているし。」

「私は、おじい(鋭子さんの祖父、記録者注)のきょうだいのおうちに行きました。この人は、真和志の地主の嫁であったんだけれど、この旦那が道楽してね、畑から何から売って歩くわけ。」

「ハイカラーな人でしたよ。いつも白いカッターシャツ。着物も上等着ていたし。下駄も桐の上等の。して、これ履いてあっちこっち遊んで歩く。帰ってきたらね、下駄に足袋の跡がつくわけ。これが嫌といって、毎回帰ってきたらサンドペーパーで磨くわけ。あの時、桐の下駄は高いのに、あんなしてから、財産みんな使ってある。」

「三線も上手。幸地亀千代といって、三線の名人がいるでしょ?」

「ああそうね。して、この幸地亀千代から習っていたよ、歌三線は。だから月謝も大変だったはずよ。幸地亀千代っていったらあの時は一流だのに。」

「次々畑売って、もう家しか残らん。だから、この人(鋭子さんの大叔母、祖父の妹)はとってもお金に厳しかった。また、自分でも<うがみさー>(拝みをする人、の意。依頼を受けて、家内安全など屋敷神に願う祈願や、祖先崇拝に係る助言や指導などを行う。霊的能力を使って先祖の伝言を代弁するユタとは厳密には異なる。ユタがうがみさーを兼ねることはありうる。記録者注)して、毎日、信者みたいな人がおうちきよったからね。自分のお金はあったはず。」

「近いきょうだいはみんな世話にはなっています。しばらくはすぐ上の姉と私は一緒に住んでいたし、2番目の兄貴なんかは子どもも預けていたし。」

「子どもがいなかったからね。あの人は。子どもには優しかったはず。うちも結婚してからはたまに子どもを連れれていきよった。子どもが熱出したら、あのころは預けるところもないし、(仕事に行くために大叔母に、記録者注)預けるわけ。したら、ハムとか、向かいの肉屋から買ってきて焼いて食べさせてくれていたから、子どもは好きだったはず。」

「旧盆なんかは、みーくゎんちゃー(姪たち、ここでは鋭子さんの兄弟らを指す。記録者注)がみんな集まりよった。話(祖先崇拝に関わるしきたりなどについての講話、記録者注)聞きに来る人がたくさんお中元もってくるから、これみんなで分けなさいっていって呼ぶわけ。女たちはみんな台所で料理作って、父ちゃんたちは酒ぐゎー飲んで、子どもたちは子どもたちで遊んで、あの人は仏壇の前に座って接待しているわけ。」

「楽しいではあったよ。女たちは料理終わったら風呂も入って、みんなで鏡台のところで顔剃ったりゆんたく(おしゃべり、記録者注)したりして、子どもたちは遊んでから帰る前に、あの人が言ったら、山みたいにあるお中元の包装紙破いて、好きなもの、カルピスとかね、もらっていきよったから。」

「うん、でも私が島から出てきてすぐの時はこんなではない。いびるわけではないけど、もう那覇に出てきて長いからこっちの人であるわけ。<島うれーからー、ひんすーそーるむんぬ>(島にいたら、貧乏しているはずなのに
、の意。ニュアンスとして、那覇の大叔母の家にいるから、生活が成り立っているくせに、という含意がある。記録者注)ってしょっちゅう言うから、恩着せられているようで面白くないし。また、この時は見習いみたいなものだし、中学出たばっかりだからお金たくさん入れられるほど稼げもしなかったし、また、(家事手伝いに鋭子さんを、記録者注)使いよったのよ。だから、私はしばらくしてから、先に一人暮らししていた姉さんのところにいったさー」

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