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「子育て」と「人と環境の相互作用」

 昨日、私は自宅のトイレに車や電車の柄のシールを貼ろうよー、と息子を誘ってみた。現在2歳9か月。今まで、一瞬、ちょっとトイレに興味持ったかな?と思うことはあったけど、トイレに座っても結局遊んでばかりで一向に進まないトイレトレーニングに効果はあるのか?いろいろとトイトレについて調べた結果、”トイレを子どもがみて楽しい空間にするといい”という指南に出会い、やってみた。

 先月まで保育園に行っていたこともあって、無理には進めようとはしていなかったトイトレ。転職することになり、1か月半、自宅で息子と2人の生活になったので試行錯誤するのだけど、一向に進む気配なし。嫌がる理由が、はた、分からない。あれかな、これかな、思い当たる節を考えるけど、じゃあどうすればいいのか良いアイデアもない。色んな育児書や情報をみると、2歳9か月は体の準備はおそらくできていて、あとはタイミング。でも個人差があるから、息子にとっての、そのタイミングがいつなのかは今のところ?だ。

 人に比べると、そんなに子育てに肩ひじ張ってない方だと思う。仕事が忙しかったり、疲れたりで強弱はあるけれど、でもこれくらいの試行錯誤は日々している。それでも、こんな話をすると色んな言葉に出会うものだ。「でも、そろそろ(おむつ)はずれなきゃ。」「もっと早くすればよかったんじゃないの?」等。

 それはよく言う、ジェネレーションギャップのある親世代に限らず、色んな場面で、いろんな人から、発信される何気ない言葉なのだ。

 そんな言葉を耳にしたとき、私は”母親である自分が悪いと言われている”という風に瞬時には、捉えてしまう。相手は私を名指ししたわけではないかもしれない。でも、意図と悪意を持って言ってきたのかもしれない。

 いずれにしても、子育ての責任、子どもがどう育っているかについての原因=母親、という認識や発想が、私を含め、社会でのスタンダードになっている風潮がある。私自身は、そうではない、そうではありたくないと思っているのだけど、ふと、そう思われているんじゃないかとビクビクしてしまう瞬間があるということは、やっぱり捕らわれている部分があるのだ、哀しいかな。(子どもが0歳児の時に比べたらその思考回路とも相当解放されたと思う。)

 なぜ母親に原因が帰属されるのか?1つは男は仕事、女は家庭という性役割意識。私の世代(30代半ば)の母親は、最も専業主婦率の高い世代であり、その環境で生まれ育ったこと。現代のように女性の社会進出等によってどんどん変わる社会で、模範となる明確なロールモデルが少ないこと。女性自身が、「母親なのだから自分がやらなくては…」という思考回路に陥る1つの理由だと思う。

 もう一つが、人が、自分が安心するために”特定の何か”に原因を求めたいから、ではないだろうか。社会の中で資本主義化、核家族化、個別化が進み、”意識した上で”安心なコミュニティやつながりを持っている人が少なくなってしまっている。時代の流れもどんどん早くなり、いろんな「不安」や「生きづらさ」を誰もが抱えていて、変化に弱い。

 ”意識した上で”というのは、偶発的にたまたま安心できるコミュニティを持っている場合、例えば関係が上手くいっている家庭、学校の友達、部活などでは、それがある意味当たり前でそれほど特別に大切なものに感じない。けれど、人生長くなっていくと、紆余曲折あり、どんなにうまくいっている時も人は1人では生きていけないし、持ちつ持たれつ、協力してしんどい所を分かち合う必要がある、と”意識”するようになる。そうやって、傷つき体験をしながら、人に助けてもらったりする過程で、相手の立場を慮れるようになると思う。

 けれど、社会に出て、資本主義や会社の儲け、方向性、人徳のある人に恵まれない社会人生活をしていると、0か100かで考える癖、みたいなものがついてしまう気がする。色んなモノが豊富にあり、効率化が進み、我慢の耐性も下がり、何かストレスが発生したときに対応しきれず、つい攻撃する方向に向かう。子育てに限らず、仕事でもなんでも、起こってくるトラブルに対してついつい、短絡的に「原因」を突き止めようとしてしまう。

 もちろん、明確な原因があることもあるけれど、基本的には、どんなことでも、ある結果が起こるまでに、いろんなことが影響しているはず。

 たまたま見かけた桜が咲いているのは、今年の冬が暖冬だったからなのか、早く咲く品種の桜なのか、そもそも特別早くなくて、見渡せば周りも結構咲いているのか、いろんな要因や環境が影響する。

 子どもがトイレに行きたがらないのは、誘われたとき遊びに夢中になっているからか、特におしっこが出る感じもないのか、トイレが寒いからか、苦手意識があるのか、ママには甘えたいからイヤイヤ言うのか。

 どれも合ってるし、どれも違うかもしれない。

目には見えない作業だけど、ちょっとずつコミュニケーションとって、あれかな、これかな、と試してなんとなく分かっていく。

 そしてそれは、時にはちょっとしんどい作業だったりする。

 そうしたら、パパや友人、保育園の先生、親族などなど、近くにいる人たちで、その時のキーパーソンが一緒にTry&Errorして、お互いに「調整」できたら、とってもいいと思う。子育てに限らず、仕事や社会生活すべてが、人と環境の相互作用で成り立っているはず。何かに原因を求めすぎる人ほど、寂しくて、がんばっているのかもしれない。

 いろいろ便利になって、頑張っていて、「完璧」「便利」「早い」があたりにたくさんあるけど、弱さを認めたり許したりして、お互いを行き来できる。

 トイレトレーニングも、母親だけでなく、父親、保育園とこれから連携して試行錯誤していければいいと思う。あーでもない、こーでもない、とするうちに、ものすごく時間がかかったとしても、おそらく1~2年以内の話。共有して取り組めたら、おむつを卒業できた時の達成感もシェアできて、喜びも数倍かもしれない。でもきっと、なかなか共有できずに、せっかくトイトレが終了したのに共感してくれる人がおらず、嬉しさより孤独感の方が上回ってしまうママも大勢いるのではないだろうか?

 その孤独感も、「コミュニケーション不足」「協力者が少ない」等の人と環境の相互作用により生まれる感情だと思う。

ひとは曖昧で、不完全で、ゆらぎのあるもの。

みんなが”意識した上で”、持ちつ持たれつな人生を送れたら素敵だと思う。

 


 

 










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