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1つ1つは小さいけれど

最初はもったいない精神だった。

初めてメルカリに出品した時のことを思い出す。そもそも使い方がわからず、売れるためのテクニックなんてもちろん知らない。

大事にしまい込んで居るうちに我が家の生活様式が変わってしまったため、もうきっと使うことは無いだろう。今の生活に合った新しいものを買うことにしたし、もう捨てよう。

でも、新品同様のこいつを捨てるのもったいないな。活躍の機会もなくゴミにしてまうのもなんだか悲しい気がする。

そういえば、個人で売買できるサービスがあったな……と調べ、メルカリにたどり着いた。

映えそうな写真を撮り、値段の設定はなんとなくで設定して出品した。なんとものの10分で売れた。

買ってくれた人からのメッセージが届き、緊張しつつもテンプレート通りに返信する。

慌てて100円ショップに梱包材を買いに走り、配送方法を調べる。早く、早く。こいつを待っている人がいる。早く送り届けなければ。

今まで家に眠っていた物は、売れた瞬間「お客様の商品」に変身した。今までぞんざいに扱っていたのに、今ではそうっと梱包材で包むなどしている。

なんとか配送の手配を済ませて、ドキドキしながら逐一配送状況をチェックしていると買ってくれた人からお礼の連絡が来た。

今思えばテンプレート通りのお礼文なのだが、その時は本当に嬉しかった。我が家で眠っていた物を喜んでくれる人がいるのだ、と。

それから、家で眠っているものたちをどんどん社会に放出していった。最初よりは知恵をつけ、インターネットで原価を確認してからそれを超えないように、かつ安すぎないように値段をつけるようになった。

儲かる事を快感に感じたのでは無い。もう一度他の人のもとで必要とされる、ということが嬉しかったのだ。

ものが溢れるこの時代を憂えている訳ではないし、解決したいと思うことがある訳でもない。

でも、欲しいものが出てきた時はまずメルカリをなどのフリマアプリをチェックするようになった。誰かの家で活躍の機会を待っている子がいるかもしれないから。


そういう小さなことを積み重ねていけば、自然と大きな循環が生まれる。そんな気がするのだ。





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