「ユノトミア」第1話

〈あらすじ〉
少女たちは未知なる危険に向かって歩を進める。荒廃した世界の中で、かすかに残る人間らしさを求めて。​​​​​​​​​​​​​​​​

旧時代の戦争により、地上から人類が消えて数世紀。ふたりの少女ユノとミアは、古代人類の遺産である《メカニム》を求めて、地上を埋め尽くす殺戮兵器《トラッカー》から逃れながら旅を続けていた。

ある日、ふたりは廃墟の中で古いスマートデバイスを見つける。そこへ差出人不明の着信がくることで、彼女たちの旅路に変化が訪れる。

蝶々から始まる暗号めいた指示、武装オートマトンが闊歩する無人の都市――その先で、人類の過去と未来が交錯する。

1.いにしえからの呼び声

 ふたつの吐息が雪原にこだましていた。

 ふたりの少女が雪の上を走っている。雪の上、というのは比喩ではない。まるで草原を駆けているかのように、彼女たちの両足は雪を深く踏み抜くことなく、厚く降り積もった雪の表面を蹴っては前へと進み続けていた。

 さらに言えば、彼女たちの走る速度も尋常では無かった。ふたりの両足には、複雑に入り組んだ機械のようなものが装着されており、通常の人間では決して到達することの出来ないほどの高速で、雪の上を平行に移動している。

「ユノ! このままだと崖にぶつかる!」ふたりの少女のうち、先行して走っていた方が声をあげて背後へと振り返った。金色の髪が乱暴に外へと広がるのを気にする様子も無く、赤色の瞳をもうひとりの少女へと向けた。

 ユノと呼ばれた少女は、自身の長い黒髪を右手で払い、やや上の方へと視線を向けた。ふたりの走る先に、巨大な崖が立ちはだかっていた。彼女は目をほんの少しだけ見開いたが、青色の瞳には鋭い光が宿っていた。
「この前拾ったやつを使おう」ユノは淡々とした口調で言った。この状況では、出来るだけ緊張感を与えたくなかった。
「なんだっけそれ!?」ユノの気遣いとは裏腹に、先行している少女は明らかに動揺した口調で言った。

「ほら、見つけた時、ちょうどふたつあったじゃん。丸くて小さいやつ」
 ユノはそう言いながら、背後を警戒するように振り返った。直後、ふたりの少女の背後の雪原から、黒く尖った物体が現れた。黒い物体は、雪をかき分けながら、彼女たちとほぼ同じ速度――かなりの高速だ――で移動し、ふたりの背後に迫っていた。その形状と追跡する様は、海中で獲物を狙うサメを連想させた。

「ミアが名前、つけてたでしょ」ユノは再び先行している少女の方へと視線を向け、右手をジャケットのポケットへと差し込んだ。「なんだっけ……なんとか昇降……」

「ああ、アレか! 小型携帯高速昇降マシン! うわ~、どこにしまったかな~!」
 ミアと呼ばれた少女は、自身のジャケットのあらゆるポケットへと手を突っ込み始めた。
「やばい! なくしたかも! ユノ、追穿機《トラッカー》来てる!?」

 ユノは再び背後を振り返ると、黒い物体は未だにふたりを追いかけてきていた。ふたりと黒い物体の距離は、先ほどより縮まっている。薄く降り続いている雪によって、ミアにはそれを認識することがまだ出来ていないようだった。

「や、来てないよ」ユノはそう言った。「背後の心配はいいから、なんたらマシンを早く」
 ユノは握っていた右手を開き、手のひらの上の小さな銀色の球体を見つめた。その球体の表面にはいくつかの切れ目があり、小さな突起がひとつ付いている。

「小さすぎるのも考えものだね。だいたい、ミアは普段から物を無くし過ぎ――」
 そこでユノの言葉は轟音によってかき消された。
 ユノは右手を握りしめながら、鋭い視線を背後に向けた。背後に迫っていた黒い物体――追穿機《トラッカー》が、雪の中から飛び出してきていた。雪上に見えていた黒く尖った部分は、その巨躯のほんの一部に過ぎず、剥き出しの黒い鉄骨が無作為に組み合わさったようなその姿は、自身の暴力性をわざと露出させ、追われる者を萎縮させる意図があるかのようだった。そのフォルムはもはや、サメと言うよりクジラに近い。

「来てるじゃん!?」このタイミングになって、ようやく背後の存在を認識したミアが、背後を振り返って叫んだ。「どうしようどうしようどうしよう!」
「叫んでる場合か」
 どうせミアは見つけられないだろうという予想が現実のものとなり、ユノは覚悟を決めることにした。彼女は右手の中の球体の突起を指で確認すると、それを親指で強く押し込んだ。球体のかすかな振動が腕に伝わる。前方の崖はすぐ目の前だった。今やらないと衝突する。ほかに考えられる策は無かった。ユノは走る速度を一時的に早め、ミアの前へと躍り出た。

「ミア!」そう叫ぶと同時に、ユノは両足を進行方向に対して垂直に踏ん張った。速度がそのまま身体への負荷へと変わるのに耐えながら、左手で背中に背負ったリュックのサイドポケット付近に付けていた鉄製のコップを掴み取ると、迷わずそれを力いっぱいミアの方へと投擲した。「目つぶってて!」

「は?」ミアが戸惑いの声をあげた直後、彼女の顔面に鉄製のコップが着弾した。「うおえっ!」
 突然の衝撃に、ミアは体勢を崩し背後にのけぞった。足の動きが止まり、身体が一瞬宙を浮いた。ユノはそれに合わせて自身の速度を調節し、身体をミアに寄せると、左腕をミアの腰付近に巻きつけ、右手で球体の突起部分を崖の切っ先へ向けて伸ばした。直後、球体はその切れ目から開かれていき、ユノの右手に取りついた。彼女の右手はさながら大きな銃砲のようになり、その銃口から青い光が放たれた。その光が崖の切っ先へと到達した瞬間、ユノの身体が上空へと持ち上げられた。
 眼下を見ると、追穿機《トラッカー》が崖下の壁面へと衝突するのが見えた。大きな爆発が起こり、炎がものすごい速度でこちらへと迫ってきていた。

「やば……」ユノがそう呟いた時、身体を引っ張る力が突如喪失し、身体全体が浮遊感に包まれた。かと思うと、身体が硬いものにぶつかる感覚がして、気付くと地面にうつ伏せになっていた。それから少しして、背後から炎が唸り声をあげる音が聞こえてきた。

 ユノは痛みをこらえながら両手を地面に付き、周囲を伺う。隣でミアが伸びているのが見えた。静かに立ち上がり、そっと自身の両手を見下ろしてから、前方へと目を凝らした。高い鉄塔があるのを確認すると、ほっと胸をなでおろした。追穿機《トラッカー》の索敵範囲外まで来たのだ。

「助かった……」
 安堵感とともに、足元から熱い蒸気が昇っていることに気付いた。下を見ると、ユノの足先から太もも付近までを覆っていた遺物機《メカニム》が起動限界を迎え、自発的にユノの脚から引きはがれて、元の小さなキューブ状へと変形していくところだった。遺物機《メカニム》によって、強制的に限界を超えた挙動をさせられていた両足は、一瞬だけ羽のように軽くなる感覚に包まれたあと、強い倦怠感に襲われた。

 足先から昇ってくる強い疲労感が、一気に頭頂部まで駆け抜けるのを感じるのと同時に、ユノはその場に倒れ込み、そのまま意識を失った。
 降り続いていた雪は、いつの間にか止んでいた。

 * * *

 ユノがゆっくりと深呼吸すると、白い息が空を舞った。

 肺を大きく膨らませると、強張っていた身体に生気が戻るような感覚がした。遺物機《メカニム》を使った後は、身体が急激に縮こまった感覚がするため、自分の身体を落ち着かせる意味合いも含めて、意識的に深呼吸するのがユノのルーティンだった。

 目の前には、かつて栄華を誇っていたであろう高層ビルの廃墟群が、辺り一面に広がっていた。風化した建物の一部は、廃墟となった後もしばらくは立っていたのだろう、瓦礫と植物が絡み合い、自然の力で創り出された美しい骨董品へと姿を変えていた。しかし、そんな建物の陰に積もった雪の間からは、人々の営みが破壊された痕跡が見え隠れしており、当時の悲惨を感じさせるその光景は、いつもユノの心に暗い渦を巻くのであった。

「ユノ、あの建物とかどう? 探索してみない?」ミアが手招きしながら言ったが、ユノは「どうせ何もないよ」とそっけなく返した。

「もしかしたら遺物機《メカニム》があるかもしれないじゃん? あればあるだけ便利だしさあ。この前もそれで命拾いしたし!」
「あのとき助かったのは、たまたま進んだ先に高い崖があったからだよ」ユノは溜息を吐きながら言った。「運良くミアを抱えて崖の上に登ることが出来て、そこに運良く追穿機《トラッカー》が突っ込んでくれただけで……何度も出来ることじゃない」
「いやあ~さすがだね! さすがユノ! 何度も出来ないことを本番でやっちゃうなんて、勘が鋭い!」ミアはユノの肩を両手で強く叩いた。「というわけで、私の勘があっちに何かありそうって言ってるから、見てくる!」

「まあいいけど……気をつけてね。この辺は放射能汚染があるとこもあるっぽいから」
 ユノがそう言った頃にはもう、ミアは目的の建物の中へと入り始めていた。そんなミアの背中を少しだけ眺めて、ユノも気だるそうにそのあとを歩いていく。
「それにしても」ユノは小さく呟いた。「あんなに長時間使ったのは初めてだ……」

 遺物機《メカニム》は旧時代――人類が地上で生活し、産業や科学技術が高度に発展していた頃に作られたものだ。それ自体は、これまでの生活でもたびたび使ってきた。短時間であれば、それは人知を超えた力を与えてくれる魔法の道具だ。
 しかし、先ほどのような、自身の身体に装着するタイプのものは、使用後かなりの負荷が掛かる。ましてや長時間の使用となると、命の危険さえあるのではないか。
 昨日、追穿機《トラッカー》に追いかけられ、やむを得ず移動力を劇的に高める遺物機《メカニム》を脚に取りつけて起動した。今回の使用時間は1時間から2時間くらいだったと思うが、そう何度も連続で使えるものでは無いということが、今回の一件で明らかになった。
「うーん」ユノは腕を組んで空を仰いだ。「最近、追穿機《トラッカー》の性能が、また上がってる気がするなあ」

 追穿機《トラッカー》は、設計から製造、改良の全てを自動生成AIが担う、巨大な武装機械だ。
 世界全体を巻き込んだ大きな戦争が勃発した旧時代――気の遠くなるほど大昔のことだが――に、追穿機《トラッカー》は発明されたと言われている。それは国と呼ばれる組織と組織の境界線上に設置され、境界を超えようとする人々や、自国の繁栄のために他国へ攻め込もうと試みた敵を抹殺するために使われたようだ。
 だが、あまりにも地上に追穿機《トラッカー》が配置されすぎたために、人類は殆ど身動きができなくなってしまった。その問題を解決するためのツールとして、遺物機《メカニム》が生まれた。卓越した運動能力の付与や、長距離飛躍を可能にする機構など、様々な機能を提供してくれる。

 しかしながら、戦力のインフレーションが最後に引き起こすものは、破滅的な選択である。最後に世界は核でバラバラになった。地球上のほとんどは放射能に汚染され、地上は死の灰に覆われた。

 生き残った人類は地下へ潜るしか無かった。その末裔である現代の地下住民のほとんども、今なお地下で一生を終える。そのせいで、人類の技術進歩は長きにわたり停滞してきたが、自動生成AIは荒廃した無人の世界の中においても進歩することを止めなかった。

 追穿機《トラッカー》はユノたち――あるいは他にも居るかもしれない地上の誰か――と戦闘を行う度に、そのログをデータベースへと送信し、より効率の良い殺戮アルゴリズムを目指し、設計の段階から最適化される。

 だから、ユノもミアも、追穿機《トラッカー》との戦いでは、毎回新たなフォルムとなったそれと対峙することになる。ただでさえ複雑に組み合わされた鉄骨の殺戮パズルが、より複雑に、より鋭利なものになっていくのを見るにつれ、ユノは限界を感じつつあった。

「なんだか不安だ……」寒さとは違うところから生じた身震いに、ユノは両手で腕をさすった。「どうして私はこんな旅を続けてるんだろ……」

 遺物機《メカニム》の収集――それが彼女たちの共通目的であったのだが、ユノの場合、最初の旅の動機は純粋な経済的理由からだった。

 ユノが物心付いた頃には既に、彼女はひとりぼっちだった。とはいえそれは、彼女の住んでいた地下区画では珍しいことでは無かった。そこは"アルファ42"と呼ばれる場所で、全地下区画において最も貧困な区画のうちのひとつだった。
 だが幸いなことに、ほかの貧困区画と唯一異なる特徴がアルファ42にはあった。その区画ではたびたび、遺物機《メカニム》が出土するのだ。
 掘り出されたそれはたいてい、特権的な地位や富を持つ人々が居住する区画へと即座に運ばれ、目がくらむほどの金銭が報酬として支払われた。遺物機《メカニム》がひとつでも出土した年は、ユノを含めた区画住民全員が食うに困ることは無く、一年を通して宴や祭りが盛んに行われた。食料もある程度は公平に分配されたので、孤児の多くはひとりでも生き抜くことが出来た。

 しかし、ユノが14歳になる頃には、アルファ42から遺物機《メカニム》が出土することは殆ど無くなっていた。当然の帰結として、多くの人々が故郷の区画を捨て、別の区画への移住を試みた。それぞれが自分自身のことで精一杯で、ユノを助けようとする人間は居なかった。もとよりユノ自身にさえ、どうにか生き延びたいという気持ちが希薄だった。生まれた時から不要な存在とみなされたことに負い目を感じ、14年の歳月をかけて、彼女の心は固く閉ざされていった。これまでの人生も、たまたま労せず食べ物が与えられる環境にいたおかげに過ぎず、ただ漫然と生きていた。

 去っていく人々の背中をただ見つめるだけの日々を送っていたある日、ユノは半減期という言葉と、汚染された地上についてのある噂を耳にしたのだった。曰く、人類がかつて繁栄していた地上には、あまたの遺物機《メカニム》が眠るという――もし自分がそれを手に入れたなら、誰からも必要とされなくたって、大丈夫なのではないか。

「ユノー! ちょっと来てー!」
 ミアの声でユノは我に返った。故郷に居た頃の幼い記憶が、一瞬フラッシュバックした。まとわりつくそれらを振り払うように、ユノは頭をぶるぶると振った。

「この建物の中に入るのも、なんか不安だなあ」
 ユノは今にも崩れ落ちそうな天井の骨組みを見つめながら、慎重に建物へと踏み入った。やがて大きなホールのような場所に出ると、かがみこんでいるミアの姿を見つけた。

「何か見つけた?」ユノはミアの背中に声を掛けた。
「うん、古い携帯電話があった!」ミアが笑顔でユノを振り返ると、ユノに見えるよう丁寧にその物体を手のひらにのせて持ち上げた。「はいこれ見てくださいこれは間違いなくクロステック社が製造したスマートデバイスですよこの流線的なフォルムは同社の特徴的なデザインであり芸術をこよなく愛する私の感情をここまで震わせるその手腕にはお見事と言わざるを得なく――」
「それ、前に同じやつ見つけてなかった?」ユノは真顔のまま言った。
「この前廃墟で見つけたやつより、まだ使えそうなんだよね。というのもなんと、まだバッテリーが少し残ってるみたい!」とミアは右手に握りしめた携帯電話を大きく上に掲げた。

「古い携帯電話って、なんかの役に立つの?」ユノは呆れたように言った。
「この携帯電話で助けてくれる人を呼び出してみるとか?」ミアは携帯電話を耳に当てる仕草をした。「あ、でも充電器は見つからなかったんだよなあ」
「充電器がないんじゃね」ユノも笑った。「そもそも充電できたとしても、人がいないから意味ないけど」
「いやいや、この世界ではもう、新しい携帯なんて作れないんだから、存在自体が貴重なんよ。それに、何か使える部品が取れれば御の字だし、携帯電話の中にはゲームが内臓されてたりするから、最悪暇つぶしにはなるよ」

 ミアは様々な電子機器の中から有用な部品を取り出し、自分たちの持ち物――時には壊れた遺物機《メカニム》すら――を修理したり、新しい装備を作ったりすることができる。ミアの技術がなければ、ここまで生き延びることはできなかったかもしれないと時々思うほどだ。

 地下暮らしでもじゅうぶん楽しく暮らしていけそうなミアが何故、ユノと共に旅をする決意をしたのか。そのことについて、ユノはまだミアにはっきりと問いただしたことは無かった。ただ、ユノが旅をする当日に、ミアがついていくと言い出したのが始まりだった。

 ミアと出会ったのは、故郷を捨てて、当てもなくよその地下区画をさまっていた頃だ。偶然入った労働者向けの安いステイカプセル施設で話をしたのが最初だった筈だが、どんなきっかけで話すことになったのかさえ、今となっては思い出せなかった。きっとくだらない理由だったのだろう。

「どうせ見つけるなら、ストーブとかが良かったなあ」
 ユノがそんなことを呟いた直後だった。

 突如として轟音が鳴り響いた。地響きが起こり、天井の骨組みが大きく軋む。ユノとミアは目を見合わせた。
「爆発……?」ミアはユノの腕にしがみつき、不安そうな声で言った。
「こんな近くで? いったい何が……」
 ふたりは慎重に周りを見回した。そのとき、ふとミアが腕を伸ばした。
「ユノ、あれ……!」

 ミアが指さした先には、山脈のふもとにそびえ立つ、巨大な聖堂らしき建物があった。その聖堂を中心に、崩落した建築物が放射状に伸びている。山岳民族のひとつがかつて栄えていた場所だったのだろう、山脈の中腹にあるにもかかわらず、都市の規模はかなり大きい。その都市の東側にある建物から、黒い煙が昇っているのが見えた。おそらく先ほどの爆発はあれだろう。

「あの聖堂を目指そうよ。なんか、見るからに何かありそうな感じじゃん!」先ほどの不安はどこへ消えたのか、ミアは居ても立っても居られない様子で言った。
「うーん……」ユノはどう答えるべきか迷った。ここから辿り着くには、数日は掛かりそうな距離に思えたからだ。「私としては、不安しかないけど……」

 ユノは周囲を見渡した。鉄塔の範囲内には、ほかに人里らしきものは見えない。別の鉄塔が遥か遠くに見えたものの、再び追穿機《トラッカー》の索敵範囲内を突っ切るだけの気力も湧きそうになかった。
「まあ、確かに、もし今後も大きな爆発が起きるようだったら、避難する場所も必要か……」
「よし! けってーい!」ミアはそう言うなり駆け出した。
「ちょ、偵察だからね、あくまでも……!」
 ミアの姿を見失わないよう、ユノも慌てて追いかけた。

 * * *

 数日後、ふたりは山脈のふもとまでたどり着いた。

 都市部から少し離れた場所に雨風を凌げそうな廃屋を見つけ、そこでひと晩過ごして朝を待つことにしたふたりは、部屋の中央に身を寄せて、大きな毛布にふたりでくるまりながら眠りについていた。

 何かの振動が身体を揺らしている。そのことに先に気づいたのはミアだった。彼女は立ち上がると携帯電話を自身のリュックから取り出した。やがてユノも彼女の様子に気付き、身を起こす。

 振動は、やはり携帯電話によるものだった。ユノが不思議そうに携帯電話のを見ると、小さなディスプレイ部分に「未登録の送信者」と表示されていた。

「すごい! 着信が来てる!」ミアは興奮した様子でユノの方を見てから、不安そうな表情で携帯電話を見た。「でも……誰から?」

 得体の知れない者からの着信。ユノは言いようのない不安に包まれた。
「その着信、出ない方がいいんじゃない……?」ユノがそう言った時にはすでに、ミアは携帯電話の通話ボタンを押していた。
「おーい、聞こえますかー?」ミアが不安半分、興味半分といった様子で声を掛けた。

 最初は小さなノイズ音だけが断続的に流れていた。しかし、時間が進むにつれ、ノイズの奥から女性の声が聞こえてきた。

「……から、南に2歩、東に7歩、そこに……の未来が……」

「ミア、なんて?」ミアの横で聞き耳を立てていたユノが説明を求めた。ミアなら全て聞き取れていると思ったからだ。
「うーん」ミアはなおも携帯電話に耳を当てつつ、気落ちしたトーンで唸った。「どうやら、通話の相手は人間じゃないっぽい」

「じゃあ誰からの通話なの?」とユノ。
「多分だけど、どこかから送信されている音声データみたいだねえ」ミアは静かに窓の横へと歩くと、そっと窓から都市部の方へと視線を向けた。「指定した領域内……まあ普通に考えると、あの都市の中だと思うけど、その内部に携帯電話とかの通信機器が入ってきたら、自動で着信させて、決まったメッセージを繰り返し伝える仕組みになってるみたい」
 ミアはあからさまに肩を落とした。
「はあ、なんか面白いことが起きると思ってたのになぁ。人生こんなもんかあ」

「メッセージの全文はわかったの?」
 ユノの言葉に、ミアはしばらく答えないまま携帯電話を耳に当てていたが、やがて首を横に振った。
「残念だけど、音声データ自体もかなり古いものだからさ、オリジナルのデータも結構破損してるっぽいんだよね」
 ミアは深いため息を吐きながらユノの近くへと戻ると、その場に座り込み、携帯電話を地面に置いた。
「わかったのは、"蝶々"から南に2歩、東に7歩進むと、そこに人類の未来に関する何かがあるっぽいこと」

「蝶々?」ユノは拍子抜けした。「蝶々なんて、地上なら結構そこらで良く見かけるけど……」
「なんかの暗号なのかもねえ」ミアはもはや興味を失っているようで、気だるげにそう言った。「あるいはどこかに記されたマーク、とかかな。でもさあ、そのメッセージの場所を特定したところで……」
 そこでミアは言葉を切ると、ユノの口調を真似て言った。「どうせ何もないよ」
「そのモノマネ、以後禁止ね」
「ええっ! 私のマネは良くするくせに!」
 ミアの言葉をユノはあえて無視し、ふいと顔を彼女からそむけた。すると、視界の中に地面に置かれた携帯電話が入ってきた。
「……人類の未来とは、大きく出たなあ」
 ユノは携帯電話をぼんやり見つめながら、地上文明が崩壊する瞬間に立ち会った人々に思いを馳せた。

――これは、いつか誰かが助けに来てくれることを信じて、旧時代の人々が避難するさなかに遺したメッセージなのだろうか。

 ユノの意識はしばらくの間、空想の中にたゆたっていたが、突然の爆発音によって現実へと引き戻されることとなった。気付いた時には、廃屋が大きく揺れていた。

「今度は何――っ!?」振動でバランスを崩したミアが、ユノの方に倒れ掛かる。ユノはそれを右手で抑えながら、左手で携帯電話を取った。

 どこか遠くの方から、硬質な材質で形成された何かが地面を蹴る音が聞こえてきた。その音は明らかに、こちらに向かって進んできている。
「うわあ! 武装オートマトン!」ミアが両手で頭を抱えた。「本当にどこにでも現れるな! あいつらは!」

 武装オートマトンは自律思考型の小型戦闘兵器だ。戦時中、兵隊が出払ってしまい、戦える人間が減少した都市の治安維持強化のため使われていたらしい。戦争が終わった今でも、放置されたまま稼働し続けているようで、今日に至るまで、ふたりも何度となく彼らに遭遇してきた。彼ら、という表現をするのは、武装オートマトンが人型に近い形状をしているからだ。

「どれどれ……」ミアはおもむろにその場で横になると、床に耳を当てた。
「うーん! うん、うん! はいはい、わかりました。わかりましたよ。こりゃARM-3000で間違いないですね。低く重いモーター音にも関わらず足取りの軽いこのシリーズ特有の洗練されたバランス感は聞き間違いようがなくその優れた設計思想には流石の私も太鼓判を押さずには居られ――」
「もしかして、さっきの爆発もあいつらかな」ユノの質問にミアはすっと立ち上がると、静かに頷いた。
「そうだね、武装オートマトン自身による破壊行為っぽいな……あの携帯電話に送られてきた信号に刺激されて、思考バグが起きたのかも」
 長らくメンテナンスされていない機械の多くは、壊れる運命にある。特に自立思考型には思考バグという欠陥があり、それによって意味の無いコマンドが誘発される。

「だとしたら移動した方がいいかも。信号の着信先の座標に向かってるのかもしれないし」
 ユノはそう言うと、焚き火跡の近くに置いておいた自身のリュックを背負った。
「あそこに一体いる……!」ミアが小声でそう言って、ユノの腕を引っ張り部屋の隅へと引き込んだ。直後、窓の外から青い光線が家屋内へと照射された。遠くの音に集中し過ぎて、近くの音に気付かなかったらしい。

「まずは移動しよう」ユノの言葉にミアは無言でうなづいた。
 ミアもしっかりリュックを背負っているのを確認すると、ユノは携帯電話をミアに手渡し、低い姿勢で廃墟への出口へと向かった。一歩外へ出た途端、張りつめた空気が頬を叩いた。

 そろそろ夜が明ける頃合いだった。ユノは空を見上げた。吹雪になることを願っていたが、空には雲ひとつ無かった。今日は良く晴れそうだ。

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#創作大賞2024 #漫画原作部門 #青年マンガ


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