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都会で聖者になるのはたいへんだ


1章 「聖者」のメンタリティ

お世話になっております、平井です。
普段は東京大学 理学部 地球惑星物理学科 というところで惑星科学の勉強をしています。本稿では、「聖者」とは何か、そして都会生活の中で「聖者」になるための自分なりの考察を述べたいと思います。

今年の3月から人生で初めて一人暮らしを始めたわけですが、今までは困ったことがあれば両親に相談すればある程度なんとかなったところから、急に1人で大都会 東京に投げ出され、たくさん色々聞いていただいた・言っていただいた同世代の仲間や年長者の方を親代わりにしていた9ヶ月だったと思います。

精神面だけでなく、経済的な面・技能的な面でも今年の3月のアメリカ東海岸遠征、5月からの奨学金、8月の国立天文台インターン、11月からのクラウドファンディング等で今までほとんど親交のなかった方々にたくさんお世話になり、

白状すると「自分の利益になりそうなことだけすればいい」と思っていた僕からすると、みなさまのメンタリティが衝撃で(今思えば幼稚ですね)、
翻って僕は、まともに他者の気持ちに向き合ってこなかったわけで、ここでようやく自分が他者に寄り添うためにどうすれば良いか考えるようになりました。

・アメリカ東海岸遠征では、急に連絡してきた+5日間しか日程がなかった僕らの予定に合わせていただき、現地の方々に研究室見学等の時間を作っていただきました。
・国立天文台インターンでは、僕1人に教官の先生が1人ついていただき、お盆返上で指導していただきました。
・クラウドファンディングでは、僕がプロジェクトサイエンティストとして関わっている火星ローバーチーム「KARURA」の目標100万円の調達に対し、同世代の仲間、年上の方々がたくさん協力してくれました。(継続中 : よろしくお願いします)

この記事はLabcafeアドベントカレンダー2023の6人目の回として(拙稿にて僭越ながら)寄稿しています。
ちょうど時期もクリスマスで街に聖者がやってくるということで、「聖者」とは何か、「聖者」になるのはどうすればいいか考えたいと思ったのが本稿の原点です。

2章 「都会で聖者になるのはたいへんだ」

「It’s Hard to Be a Saint in the City」。これは米国ロック界のスーパースター、ブルース・スプリングスティーンの爆発的なヒットのきっかけとなったアルバム「明日なき暴走」の最後の曲です。

当時スプリングスティーンはまだヒット前で、大望を掲げて故郷を出てニューヨークで暮らしながら、満足な収入が得られずにバンドの今後を案じる不安と、自らの音楽を恃む野望の中で生まれた曲です。

この曲の中でスプリングスティーンは、ダウンタウンでの日雇いの労働者、ギャンブラー、物乞いをする人らの姿を描き、人が溢れる都市部の生活の厳しさ、裏社会への誘惑、そしてそれに耐えて「聖者」あることの難しさを表現しています。

3章 スプリングスティーンに学ぶ「聖者」

彼は「聖者」とは、
悩みや弱さを持つ他者に寄り添いながらも、他者に染まらず、
自らの目標や理想的な価値観や原則に忠実にいられる者
であると歌います。

それに対して、
他者に一切目をくれずに、ただ前をまっすぐ見つめる者として「賢人」を曲に登場させます。

「自分のことは自分でやる」という思考が強い日本。それに対して貧富の格差が激しいアメリカで「救済」を掲げて後半生を生きた彼らしい表現と感じます。

他者の悩みや弱さを聞いたときに、話を聞いてあげるだけになってしまったり、自分も同じような悩みに落ち込んでしまったりすることも多いと思います。
聖者は寄り添うだけでなく、ともに夢を叶える。克服する。
そんなことを考えもしなかった僕としては、若干24の年でそれを説いたスプリングスティーンの曲から「聖者のメンタリティ」を学びました。

スプリングスティーン 
後半生は慈善活動に注力した。

4章 「聖者」に囲まれて - 本郷に移住した話

2023年の3月、僕は人生で初めて親元を離れて一人暮らしを始めました。

比較的思ったことを(悩みも含めて)すぐに口に出してしまうので、それを聞いてくれる親がいなくなって、代わりに僕はLab-cafeという学生コワーキングスペースに住みつきました。(ほんとうに住んでるわけではない。)

新生活に加えて、他にも新しいことに挑戦したことで苦悩に押しつぶされそうになることも多く、
なんだかんだ3年目の付き合いになったMくん、師匠のOさん(もはや隠せてない)、なんでも言ってくる餃子、いつもいるSさん(複数)、その他やさしくコーヒーをくれる人たち…とたくさんの方とお話しさせてもらい、中高時代にあまり人間社会に馴染めなかった僕としては、人間のつながりの大事さ、1人では到底生きていけないことを改めて実感した1年でした。
Lab-cafeにいる皆さんは、それぞれ目標も価値観のものさしも異なっていて、それが大きくて揺るぎにくいものだといつも感じています。

また、課外活動として火星ローバーの世界大会を目指す国際チーム「KARURA」でマネジメント職を務め、自分の下で活動してくれるメンバーや他のリーダーとどうやり取りすればいいか、思案と反省の日々でした。
チームメンバーは忙しくて時間が中々取れない人や、まだ高校生のメンバーもいます。しかし、世界大会の壁は厚く、達成に躍起になるあまりにメンバーに厳しい言葉をかけたり、無理させてしまうこともあったように思います。
リーダーとして、ただ事情に寄り添ったり、跳ねのけたりするだけでなく、受け容れた上で大きな目標を達成するにはどうすべきか、もっとよく考えないといけないと感じました。
(ニューヨーク以上に人が溢れたこの東京で僕が聖者を目指す道のりは長い。)

@Lab-cafe いつの間にかここにいる

最終章 聖者が街にやってくる - 「クリスマス」

聖者が街にやってくるクリスマスの季節になりました。
今までは「聖者」になることについて書いてきましたが、
最後は内容を変えて「聖者」に囲まれて思ったことを書きたいと思います。

はっきり言って、僕は良くも悪くも自分の力を過信できる人間なので
何か困難に直面した時、大事な勝負の時、自らを信じて力を恃んで生きてきました。今までは自分を信じられるくらいまでひたすら努力することが大事だと思ってきた、スプリングスティーンが「賢人」と皮肉った人間でした。

それが全く間違っているとは思いませんが、向かい合った困難・勝負事が大きい時に自分の力を信じるのは難しい。そんな時こそ「これだけ多くの人に支えてきてもらったから大丈夫だろう」と思えたら素敵だと最近は思うようになりました。

東大入試の日の数学で、領域図示を間違えて頭が真っ白になった次の瞬間に思い浮かんだのが恩師の顔だった気がします。
一番最後の最後に信じられるのは自分ではないんですね。

僕にとって、クリスマスイブの12月24日は中学2年の時に亡くなった友人の命日でもあります。

思い返せば、彼はまさしく「聖者」のような友人でした。
いつも和を取り持っていて、人の悪いことを一切言わず、道で会ったら子犬のように走って追いかけてくるようなかわいいやつでした。
彼の分まで精一杯生きようと思いながらも、何か苦しいことがあると彼を思い浮かべて「助けてくれ!」と念じてしまう。きっと同じことを同級生60人がしていたら、彼には60人分の苦悩が集まっていることでしょう。

ですが、彼ならそんな僕らの悩みも、弱い部分も空で笑って受け容れてくれるような気がします。そして僕も彼に支えながら、それでいて甘えすぎることなく、今まで沢山の(僕にとっては)困難を乗り越えてこれました。

2024年もその後も、大変失礼ながらできるだけ多くの「聖者」の力を借りて生きていきたいと思います。そして一歩づつ、自分も「聖者」になれるように生きていきたいと宣言して、最後としたいと思います。

他の方の興味深く、教育的なnoteと違って中々まとまりがなく、他者に読んでいただく文書ではなかったと思いますが、ここまで読んでくださった方がいたら嬉しいです。

今年の一枚 : 今年は系外惑星や惑星システムなどの新しい分野に触れて、
惑星科学の中でも自分の関心が細分化された1年でした!

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