小説『三分間』第二話
街へ降りると、すでに家々の明かりが点々としていた。サンバ隊が、サンバを踊っている。とても楽しそうだ。ブラジルではきっとこんな光景を毎日見られるのだろうなと思うのだが、現実はそんなに甘くはない。
僕の街では、サンバカーニバルが毎晩開かれてはいないのだ、という事実に気づくまで、二、三分かかった。なんとまあ愚かな人間がいたものだ。サンバを踊っていたのは、僕の空想の中だけであった。脳内では、いつもサンバカーニバルが開催されている。大変な日常ではあるが、そんなに悪くもない。サンバは、楽しいものだ。
家に帰ると、明かりはついていなかった。まさか、親は神隠しにでもあってしまったのかと思ったが、そうでもなかった。親は、外食をしに出ていったようだ。ひとり息子をほったらかして、呑気なものだ。食卓には、カップラーメンが置かれていた。勘違いしてほしくないのだが、親との関係は良好だ。良好だと思う。そう思いたい。僕はカップラーメンにお湯を注ぎ、三分間、異次元に飛ぶことにした。
異次元には、色々な生命体が存在している。僕のお気に入りは、喋る白ウサギ。赤い目をしていて、なにかといつも鼻を動かしているのだが、僕と目が合うと、いつも話しかけてくれる。
「おう、また来たのか坊主、今週何度目だ? 今週のジャンプはもう買って読んでいるんだろうな、さっさと内容を全部教えてくれ」
毎回伝えているのだが、僕はジャンプを購読していない。昔は家の近くのコンビニで立ち読みができたりしたのだが、今はビニールでしっかりと包装されていて、読めないのだ。
「なあウサギさん、異次元でのとうもろこしの収穫時期はいつだった?」
僕は尋ねた。
「馬鹿野郎、この世界にとうもろこしもへったくれもねえよ、てか、俺の世界じゃここは異次元じゃねえ。本次元だ。余所もんのお前からしたら異次元かもしれねえがな、俺から見たらここが本物の世界なんだよ。失礼なことを言いくさんな」
真っ当なことを言うウサギだな、と思った。確かにそうだ。ここは彼にとって、いや彼らにとっては本物の世界なのだ。慌てて訂正する。
「すまなかった。ウサギさん、この世界でのとうもろこしの生産量はどんなもんだったかな」
ウサギは、黙っていた。黙って、どこかを見つめている。あたたかい風が、そよいでいる。この世界には、僕とこのちっちゃくて白いウサギの、二人だけしかいないのではないか。そんな気がしていた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?