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日常と陰翳

幻想旅行だったのかもしれない。
いや、寧ろ今までの自分が幻想旅行をしていたのかもしれない。

ただこの旅を通して明らかに解像度が増した気がする。


25日から29日まで東北に旅に出た。
目的は1つ明確にあったが実際は4日も要らない話で、それでもいつも通りというか、冗長的に4日間とっておいた。

最近自分は少し自分の生き方や価値観に疲れを感じ始めていた。
なにかと盲目的になっている事が多く、人と一緒にデザインを語り合ったり、自分を指摘してもらう事が減っていた。
それの寂しさとともに、また自分自身も人を信じられなくなってきていた。

そんな中で分野は違えど、この旅は沢山の人や日常に出会った。

凄くしっかり者でデザインも生活も全力で生きている者、
纏まらない自分の中の一種の表現と社会性との間を彷徨っている者、
人やモノに対してまっすぐ向き合っている者、
懐が深くどんな話でも聞いてくれる者

みんなそれぞれ悩みを抱えながらもちゃんと人間らしく時に泥臭く生きている人たちに出会った。

みんなと数日を過ごすなかで何か特別に向かい入れられる訳でもなくただの皆んなの日常を少しは過ごせた気がする。
店が閉まっていたり、車が壊れたり、ご飯作ったり、バトミントンしたり、喫茶店にいったり
そんなただの日常の中で生きる事を大切にしているみんなの姿が見えてきた。

会うまではその人たちの光の部分しか見えていなかったが、会ってその人の本当の光を見る事が出来たというか、その人の抱えている少し複雑な暗さの中にある光に出会った気がする。
それは寧ろ強烈な美しさを持っていて、その暗さや複雑さも含めて強さをもっていた。

陰翳の中で光を求める者。
凄くみんな美しく懸命だった。

今まで自分はその暗い部分を打ち消そうとしてきたのかもしれないな。
ピカピカにする事に必死だっただけかもしれない。俯瞰的に装って自分すらも騙そうとしていたのかもしれない。
誰なのか。


別に汚れていても良い気がした。
暗くても良い気がした。

今自分は少し薄暗い喫茶店でこれを書いている。
向こうで出会った日常に連続性を求めるように。

結局纏まらないさ、けどいいことにする。

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