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お金とは何か?

先日ある人が、「自分は今の経済の在り方に納得がいっていない、歪みというかバランスが悪すぎる、けど現状何も出来ていなくて、とても悔しい。」
と話してくれた。

けれどこの話しを聞いたのは、とてもこだわりの強いカフェの店内でのことだ。
そこかしこの駅ビルに入っているお店でも、何となく目に付いて偶然入ってしまうようなお店でもない。

行きたい、と思わなければ来れないカフェの店内での会話だ。

経済とはお金であり、誰がどれだけ持っているかの「静」よりは、どこからどこにどう動いているかの「動」の方が、より実体に近い気がしている。
で、その動きとは人の欲望であり、あなたの意志そのものだ。

あなたは魚屋さんを生業としているとしよう。
市場に顔が利き、新鮮で美味しい魚を安く仕入れることができるため、あなたの店はスーパーと同じ価格なのに、新鮮で美味しい魚を並べるお店と評判で、街の人達からの信頼も厚い。

街の人があなたのお店でお魚を買ってくれたおかげで、あなたは明日また美味しい魚を仕入れて、街の人達に販売することができる。
街の人達もあなたのお店で美味しい魚を買ったおかげで夕飯に美味しい食事が食べられて、かつ払ったお金を元手に明日また美味しいお魚が手軽に手に入る環境が整うのだ。

実際はここまで単純ではないにせよ、もうお分かりだろう。
循環しているのだ。

そこにあるヒト、モノ、コト、考え、姿勢、世界観に、お金によっていいねとしているようなものなのだ。
そしてこのいいねが、明日への原動力、継続の力になる。

だからこそ話しは戻るが、あなたが何をどう選び、何に支払うかの意志がとても大切なのだ。

お金を使う、払うとは、それに対してイエスと言うこと。

つまりお金とは賛成票である。

というのが僕のお金に対する認識で、カフェで話していた男性は、自分は何もできていないと話していたが、僕は決してそんなことはないと思っている。

彼は好きなカフェに自分の時間とお金を使って訪れて、心と身体でその空間を味わって幸せになって、明日への活力を得て、そのカフェに「イエス」と賛成票を投じているわけだ。

そのイエスでカフェは食材を仕入れ、スタッフのみんなの生活を守り、明日も営業できるのだ。
彼は意志表示をして自分の大切にしているカフェに賛成票を投じている。

自分が大切にしているものに賛成票を投じることこそが、今の経済の在り方を、社会を変える一番身近な方法なように思うのだ。

選挙以上に重要で、だが細かく小さい決断を実はお金を使うということで我々は日々繰り返している。

社会に在るものは我々が無意識に選んだものなのだ。

みんなが一人一人良いと思うものに賛成票を投じる。
お金を使う時にフッと頭の片隅で思うだけで、使うときの意識が変わるはずだ。

めんどくさいと感じると思うが、そんなことはない。
問うことは一つだ。

この人に、このお店に、この会社の在り方に、考え方に、目指している世界観に、賛成できるか?

イエスと言えるかどうか、それだけだ。

ここまで読んでくださって本当にありがとう。
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