普通においしいのに。
今日は「読書のもやもやについて話す時間。」というのに参加しました。主催者側ではあるのですが、進行もそこそこに自分も話す側に回るので気持ちは参加者です!そこで考えたことをまとめておきます。
畑をやっているという方がいました。その人は売るためというより自分で食べるために作っているとのことです。自分で食べるために畑を耕して作物ができる過程を見てそして食べる。自分がやっていることの成果が目に見えて分かり、そして自分で食べて味を堪能できる。とても直接的な労働というか、物事との関わり方だと思いました。
その人にそんな返答をしつつ、「売るとなったら、マーケティングとかブランディングとか、いろいろな間接的で抽象的な思考や業務が発生するから大変ですよね」と言いました。そしたらその人は、「実は最近メルカリで売ってみたら売れて。そうすると、さつまいもを作っていたけど、送ることを考えたらにんにくとか生姜とか小さいのがいいかなと考えてしまう。」と笑っていました。
売ることを考えるといろいろ大変です。自分で食べるとか、近所の人にあげるというのであれば、食べたいものを作ればいい。でも売るとなると、物流のことも考えなければいけないですし、何より売れるものを作らないといけない。それは味だけで判断されるものではありません。
僕の実家は兼業のりんご農家です。兼業だから、他とは違うこだわりがあるとか金賞を受賞するとかそんな感じではないですが、普通においしい。だけど、ECとかで直販するには特徴が乏しく、たぶん売れません。だからというわけでもないのですが、農協に卸しています。
農協はしっかりと引き取ってくれてうちにはお金が入ってきます。なんともしっかりした仕組みです。だけど、肥料の価格とか、昨今の原価高を買い取り価格に転嫁してくれるわけではありません。そこは市場原理です。ではその原価高を販売価格に転嫁しようとするにはどうすればいいかというと、一つには直販というのがあると思います。そのためには特徴や売り方のデザインをしなければいけません。あるいは、農協でも糖度によって高く買い取ってくれるという方法もありますが、それはそれで手間暇をかける必要があります。
そこをしっかり頑張ればいいじゃんと思うかもしれません。でも、ここで僕が感じる違和感というのは、普通においしいのに、それ以外の・それ以上のことをやらなければいけないのかということだったりします。うちの農業をみていてもテレビで見る一次産業のことを見ていても、自分の仕事はしっかりとやっているのだと思います。おいしいものを育てたり獲ったりしている。だけど、それだけでは売れなくて、生活の糧として足りなかったり場合によっては借金を背負ったりしている。普通においしいのに。
今はグローバルで消費者も生産者もいろんなところとつながっているから、作っているだけではダメということだとは思います。でも、普通においしいのになぁ〜と思うのです。
(写真はうちに大量に積まれた普通においしいりんご)