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ライブとは『見世物小屋』

さて、4年半ぶりのCDを発表したことで
流石にそろそろ世間様の目に触れていきたいと
少し動き出している、そんななかのたいきです!

最初の1週間ほどで無事に元は取れたので
ここからはボーナスタイムですね。

残った在庫を吐けば吐くほど利益になる。
アーティストとしてもう一歩成長できる。

そのために、ライブ配信やラジオ出演に
今年は再度チャレンジしています!

生演奏、ライブ活動に関しても
これから嬉しい告知があると思います^_^

ところで、これまで私は2年にかけて
編曲と演奏技術に力を注いできましたが
それによる弊害?みたいなものを感じています。

それは「一般リスナーとの価値観のズレ」

音楽が素晴らしければ、演奏が素晴らしければ
私はその方のライブを観たいと思うのですが

どうやら「一般の」方々は少し違うみたい。

音楽の技術や内容以上に、キャラクターを
楽しみに来ている傾向が強いと思います。

歌が上手くて、人柄が面白いというのが
ライブに来る前提なのかも知れません。
(あと、実際問題として「異性かどうか」も重要)

こう考えると、私はある言葉を思い出しました。

 「金を払ってでも観たいくらい変な奴
 じゃないと、金を払う価値がないだろ?」

私が好きなバンド the band apart のベーシスト
原昌和さんが言っていた言葉です。

そして、私はもう一つの言葉を思い出しました。
『見世物小屋』というものです。

見世物小屋(みせものごや)は、珍奇さや禍々しさ、猥雑さを売りにして、日常では見られない品や芸、獣や人間を見せる小屋掛けの興行である。

Wikipediaより引用

かつて日本にも見世物小屋というものがあって

それは身体的に障害を持つ方々を見せ物にしたり
あるときは性行為の様子を見せ物にしたりと

今では考えられないほど差別的かつ
欲求が剥き出しの文化でした。

さて、ライブ活動の話に戻りますが…

タイトルにつけた「ライブとは見世物小屋」は
かなり過激なタイトルであることが分かります。

しかし今回は敢えてこのようなタイトルに
チャレンジしてみたかったのです。

昔の見世物小屋ほど、剥き出しのエンタメは
コンプライアンスなどの都合もあり
今ではなかなか見られませんよね。

しかし本当に人間が欲しているものなど
50年から100年で変わるとは思えません。

つまり、あくまでルールが厳しくなっただけで
ライブを通してお客様に提供するものは

かつての見世物小屋と変わらないのではないか
という考え方を示したかったのです。

現に日本のアーティストはその芸術性よりも
キャラクターで売れている傾向が強いです。

ここで思い出されるのは、もちろん、YMOの細野晴臣が言っていた「キャラクターで売れてくる国」という話です。解散時点での小山田圭吾と小沢健二は、ほとんどアイドルと呼んでもいいような存在になっていました。二人が音楽性とは別の次元で魅力的な「キャラクター」を持っていなかったら、おそらくあれほど売れることはなかっただろうし、渋谷系と呼ばれることになるジャンルも、生まれていなかっただろうと思えるのです。

佐々木敦『ニッポンの音楽』より引用

また、これは私の感覚的な話になりますが

アーティストは自分自身が「見せ物である」
という意識を持つほどカッコよくなります!

なぜなら、意識が変わると服装やヘアスタイル
ライブ以外の表情や言動まで変化するからです。

そのアーティストがカッコいい
考え方が面白いというのも
ファンになる立派な間口のひとつなのです。

もしあなたが音楽に詳しい人から
あまり音楽に詳しくない人にまで
自分の音楽を楽しんで貰いたいのであれば

良い演奏、良いルックス、良いキャラクター

この3つを実現して、世に放っていく
即ち、究極の「見せ物」を目指すべきです。

というわけで、今年はたくさん喋って
たくさん歌いたいと思います!よろしくね^_^

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