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人生わからんことだらけ

どうもカツオです
決断した事があるので書き留めておこうと思います。
長くなりそうです。あしからず。

僕は小学校の全校生徒が10人にも
満たないスーパー過疎地域集落で
牛飼いの親父と優しい母に育てられ
三人兄弟の末っ子として宮崎県で生を受けました。

今は、その通っていた小学校もなくなりました。

この時点でお分かりになると思いますが僕は田舎育ちです。

そんな僕は高校を卒業して福岡に出る事を決意します。

当時、牛飼いにも農業にも全くいいイメージを持っていませんでした。

その時は牛の相場もかなり安い時代で休みもなく、お金もなく、なぜそんな中で田舎で農業をやっているか本当に理解不能でした。

そこで高校を卒業し、福岡の専門学校に行くことにしました。

初めての都会で初めての友達、初めての地下鉄、初めてのスタバ

今までネットでしか見たことない景色は僕にとっては全てが新鮮な専門学校生活でした。

そこから紆余曲折あり、畜産ICT企業に就職しました。

僕はその当時、キングコング西野さんにどハマりしてました。

ビジネスって面白そう!!と思い、当時働いていたトレーニングジムからイケイケベンチャー企業に転職を考えていました。

だが現実は甘くなく、実績も、学歴もない僕を雇ってくれる会社はなく当時21歳だった僕は畜産ICTベンチャーに目を付けました。

ここなら牛飼いの息子だし、生まれが特殊だからワンチャンあるかも、、

と思い受けたら奇跡が起きて受かりました。
あの時の採用の方には本当に感謝です。

ここで良くも悪くも人生が変わりました。

まずは福岡から牛のいる現場、鹿児島へと引っ越し。

畜産業界に入ってみると和牛は空前のバブル

信じられないくらいの人とお金が関わっている業態でした。

そんな中で本当に自分がこの仕事をしたいのか
悶々と2年間悩みまくりました。

その2年で書ききれない出会いがあり
僕の人生を変えてくれた先輩に出会いました。

その人は畜産業界の厳しさ、面白さを
現場を通して教えてくれました。

畜産の仕事に携わるなら自分で牛飼いしたいが
まだ都会で遊びたい。
だから業界を離れて都会で働いてみよう。

こんな不純な動機で僕は仕事をやめ
また都会に出てきました。

しかし、ここで僕は自分の変化に気づきます。

専門の時、あんなに面白かったのに
あんまり面白くないぞ????

と、なってしまいました。

頑張ってサラリーマンで働いてみても
全然ワクワクしなくなり、
都会のネオンより田舎の星空が恋しくなったり

ビルだらけの空より、山と海しかないだだっ広い空を見たくなったり。

人生は不思議なもので
あれだけ嫌だった牛飼いの仕事を
やりたいとなってる自分に気がつきました。

ほんとに謎です。

あの時転職し、先輩に出会えて
たくさんの人に会わせて頂き
畜産の楽しさを教えて頂いたから
この考えに至ってます。

最近はこれ以外にしたいことが見つかりません。

だから僕は色んな可能性を諦め、
1つの可能性にかけることにしました。

畜産県出身で親も牛飼い。
こんな条件はなかなか揃いません。

あとはシンプル。
時間をかけて牛さんと向き合い勉強させて貰います。

僕は器用じゃないので逆に頭の中がスッキリするかもです。

まず2.3年は基礎知識から修行します。

24歳の始まりと同時に
また新しい人生が始まります。

来年、見返した時に成長してると良いなーなんて思ったりしてます。

まずは継続、コツコツと。

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