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ノリノリになるまで待つやさしい時間が好き

 この前推敲をしていて気がついた。文章には、ここパンチラインだぜという部分と、その滑走路みたいな部分があるって。
 本を読んでいても同じことを思う。滑走路のところは、こちらもさらりんと読む。で、重要なところは読む前から重要な山がやってきたなとなんとなくわかる。そこだけ黄金に光っている感じ。何度でも読み返して手元にとっておきたくなる、たからものみたいな文章のかたまり。そういうところが帯になって抜き出されたりもする。
 ダンスバトルを見たときのことを思い出しても同じことを思う。曲がかかり、内側で感じた振動のようなものを少しずつ、すこしずつ表に出していく。水の中で泳ぐように音の海を泳いで、水の感触を楽しむ。4×8がひとかたまりだとするなら、どこかのタイミングで、音に乗れている喜びが溢れ出しとってもノリノリになる段落がやってくる。自分を完全に信じているような段階。そうなると見ている人は、1×8に一回、いや4カウントに一回の勢いで沸くのだ。すばらしい。演劇もきっと同じ。
 でも、そこに辿りつくまでの、目はしっかりと相手に見張りながらも顔は嬉しくてニヤけてしまう、あの滑らかで穏やかで、なぜか涙がじんわり出てきてでもハートフルだから一生懸命に笑顔を保ってみんなで見守る、ぽかぽかする、美しい滑走路も大好きなんだ。
 滑走路を見ている時、こちらはまだかなと待ちくたびれたりしない。ただやさしく見ている。なんだか瞑想しているみたいに穏やかで、静かに期待を寄せながら。時に、周囲のものを整えたり隣の人とちょっぴり会話をしたりして自然を装いながら。予感に満ちて、注意をそらさない。自分もそういうときの感覚が好きだし、同じ感覚でただそこに居るだけの人を見ているのも幸せだ。待っている、というか、ただそこに居る、というかんじ。
 さてさて、今日は5時台に起きられた。これからバイト。最近は、夜の寝がけと朝の寝起きのあのいやーな感じを克服したら人類はもう一段階進歩できるんじゃないかと本気で思い、どうしたらいいか考えているところ。今日は、いやーな朝を克服するためだけに横須賀の自然食品店でこしらえた全粒粉のクッキーを起きる目的に据えたところ、とってもご機嫌に起きられた。明日はなににしようかな。外はちょっぴり生暖かい。

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