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しごとって、仲間と手を繋ぐための片手であって

しごとって、仲間と手を繋ぐための片手であって、一番繋ぎやすい形をしている。

じわじわと変化は起こっていると知っていたことが、ぱきっと「あ、もう変わったあとになった」と体感できる時がある。目が覚めるような出来事を誰かが恵んでくれた時である。誰かにとってそんな機会になることを願って企画を立てる方々は本当にすごい。
あたらしい自分に変わった後、現実の条件は何も変わっていないのに昨日までが既に懐かしく思う。
答えは勝手に脳裏に書かれている。やるべきこと、やらなくてもよいことは考えなくても知っていて、答えが出ている。それは葛藤して導き出すとかもすっ飛ばして、感情をともなわない形でどこかからどーんとやって来る。とても冷静に、冴え渡り、後から気持ちが追いついてやってくるのかな、と予測するほど余裕があって清々しい。抗うことは逆にむずかしい。この胸に残る感覚と、そのやろうとしていたことを勝手に心が照らし合わせているのだから一目瞭然なのである。
やらなくても大丈夫なことはスッとやめた。
それは我儘でもなんでもなく、ほかの人と手を繋ぐ「手」になるのだ。
一緒にいるけれど手を繋いでいない状態よりも、どこにいたってがっつりと手を繋ぎ合っている関係性のほうが、好きだ。
その手のかたちを自覚することは、自己実現とか夢を叶えるレベルではない、きっと全体にとって不可欠でとても大切なことなんだと思う。

それが、自分しかできない持って生まれた魂職、しごとのことなのかと思う。

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