【再投稿】呉範 三国志時代の占術の達人

このところ、ブログを書く時間がなく、過去にアメブロに投稿した記事を
ここに再掲します。
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2020年09月02日 「呉範 三国志時代の占術の達人」

少し前にツイッターでもつぶやいたけれども、
ちくま学芸文庫刊行「正史三国志8呉書Ⅲ」を購入した。

何かの拍子で三国志の三国の一角、
「孫呉」の国に関する事を調べていた時、
孫呉の時代、最もすぐれた技術を有した人物が八人おり、
その八人を「八絶」と称した、という事であった。

そして、その八人のうち実に五人が「オカルティック」な人物。

特に「呉範」(ごはん)「趙達」(ちょうたつ)。
この二人は占術に長けていたという。

調べると正史三国志の「呉書」第十八に
「呉範伝」「趙達伝」として残されている。

早速、AMAZONにて買い求めた次第。


ちなみに私は三国志にあっては「孫呉」のファンである。

中学生時代、友人宅のパソコンで遊んだ
シミュレーションゲームの三国志で初めて選んだのが「呉」で、
それ以来、なんとなく愛着が湧いてしまったのだ。

「三国志演義」で主人公「蜀」の劉備と五虎将や
諸葛亮なんてのは王道すぎて面白くない。
また「魏」の曹操軍団はこれはこれで全般的に優秀すぎて鼻につく。
よって荒くれ者の集団、「呉」がなんとなく好みであった(笑)



話しを戻してまず「呉範」

会稽の人で、暦数、風気の術(風占い)に長け、
孫権の下で災害などの現象を具体的な予言を上奏し、
たびたび効験があったので、広く人々の知られる所となった、という。


ざっとした占術に関するエピソード

・呉の国主、孫権が怨敵である劉表配下の黄祖を攻める際、
 呉範は「今年は駄目です。来年が良いでしょう」
 孫権はその言葉を聞かずに攻め込んで失敗。
 翌年改めて攻め込んで勝利を得る。


・「二年後に劉備が蜀を手に入れるでしょう」と占断。
 別な配下が劉備を調べた所、部下がまとまってないので危い、と
 孫権に報告。孫権が呉範に詰め寄ると、
「私が申したのは「天道」の事であり、
 彼が調べてきたのは「人事」だけにすぎません」
 果たして劉備が呉範の言う年に蜀に入る。


・蜀の関羽からの偽りの降伏を看破。
 関羽が降伏の申し出をして来たが、それはウソの降伏であり、
 こちらを油断させた隙に彼は必ず逃げる、と進言。
 そこで孫権は逃亡しそうなルートにあらかじめ兵を備えておくと、
 果たしてその通りになって無事に関羽を捕まえる事ができた。


こうして見ると、

呉範の占術はかなり孫権に貢献したと言える。
しかも重要な局面で孫権から占断を
求められていたというのは非常に興味深い。

しかしこの呉範は、かなり一本気で誇り高い人物であったらしい。

この呉範の占術に興味を持った孫権は、たびたび彼の元を訪れ、
その秘訣を授かろうとするが、呉範はその肝要な部分を惜しみ隠し、
国主である孫権にすら教えなかった、とある。

そして孫権はその事でひそかに彼を恨んだらしい。


のちにいろんな配下の論功行賞を行う際、呉範を高い身分にしよう、
という機運が高まり、孫権もそのつもりだった。

しかし、いざ公式の発表を行おうという直前、
呉範が自分に占術の全てを明かさなかった事を思い出して腹を立て、
その公式のリストから呉範の名前を消してしまった、という。


呉範も呉範で、

「今の身分があるのはこの占術のおかげである。
これが秘術でなくなれば(孫権に明かしてしまえば)
私は捨てられる事であろう」

と、このように考えて肝要な部分は話さなかったらしい。


やがて呉範は病を得て亡くなったが、
彼の長男は早世してしまっており、
その次の子はまだ幼く、その術は途絶えてしまった。


その術を受け継ぐ者がいなかったので、孫権は非常に残念がったと言う。


呉範が「秘術でなくなれば、私は捨てられる」
と言ったのは占断による判断なのかはわからない。

自分の性格、また、国主孫権の性格を見抜いたうえでの
考えだったのかも知れない。

このように、重要な局面で占術が役に立った事が
およそ1700前もの昔に記録されていた事はとても興味深い。
「正史」とはいえ、鵜呑みにするのも危険だけども、
そういった達人がいた、という話は
群像が好きな私は作り話だとしてもワクワクしてくる。


「風気の術」というくらいなので、おそらく
吹く風を観察して占断を立てるのだろうと推察できる。
もしかしたら、そこには個人的な資質、才能が多分に含まれ、
誰でも簡単に修得できる術ではなかったのかも知れない。


呉範はその優れた占断で自分の寿命を知り、
亡くなる日も知ると、 孫権にこう言った。

呉範「孫権さまはこれこれの日に軍師を失いましょう」

孫権「私は軍師など置いていない。元からいないので失う道理は無いが」

呉範「孫権さまは軍を動かす時、
私の言葉に従う事がたくさん御座いました。
とりもなおさず私は孫権さまの軍師なので御座います」


みごとな占断を披露した呉範の
一本気で誇り高き自負であった。

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