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悲愴卑属 浅学非才

仏の教えを説く者を
釈迦牟尼如来は僧と呼んだ
仏の弟子としての自覚ある者
仏の教えを伝える使命もつ者
聖徳太子は篤く敬えと言った
憲法に宝とまで定めた

今日
僧はそういない
一応
僧がそう言うの
だから間違いなさそう

概ね
葬式や法事をする者を
世間は僧と呼んでいる
これでも
僧がそう思うの
だから間違いなさそう

手次の寺の住職
先祖代々の墓の番人
不幸の時だけ用がある
僧と寺
葬儀屋と葬儀会館
死んだ時だけ用がある

本来
手を次いで浄土までお連れする
と自覚し使命に燃える者が
世俗の欲得と手を繋ぐ
僧をそうたらしめたのは
煩悩?損得?それだけか?
望み叶え手にした者は
僧だけか? 否

僕はそうは思いません

仏に成る気もないのに
仏教徒のフリをして
お浄土行きの列に並ぶ
お釈迦さまでもわかるまい
と舌を出してる自覚もなく
面の皮厚く
金や地位や名誉を三宝と仰ぐ

そんなヤツにもキレたら負け
知るかと投げても負け
仏弟子としての敗北
流され僧

それでも…なんて
メタボが過ぎんか?




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