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不孝の手紙

〖孝〗 コウ(カウ) キョウ(ケウ)
《名・造》
 よく父母に仕える。父母を大切にする。
「孝は百行の本(もと)」
「孝悌は仁を為すの本(もと)」

「孝」の字形は、老人の「老」の下に「子」を配したもので、子が老いた親を支えて孝養を尽くすことを表している。
 親を大切にし、言いつけをよく守り、子としての道を尽くすこと、親の追善供養や喪に服すことも意味する。 

 中国儒教において「孝悌忠信」の四つの徳目は、真心を尽くし、誠意をもって、父母や兄など、年長者に敬意を表し、従順に仕えること、兄弟や長幼の間の情誼がこまやかであること等を説く道徳的概念として重視された。

 中国には「不孝有三、無後為大」という言葉があり、親の意向におもねって親を悪事に引き入れること、貧しいまま親が老年になっても官途につかないこと、結婚しないで子供もなく家系を断絶すること、この三つをもって具体的な不孝として示され、なかでも己かぎりで血筋の絶えることは、自己にとって最大の不幸であるのみならず、父・祖霊に対しても最大の不孝であるとされている。

 日本においても江戸時代の儒学者・貝原益軒による女子用の教訓書『女大学』には、「嫁して三年子なきは去る」などの教示があり、封建的女性教育について、大いに影響を及ぼしたと考えられる。




敬白

 不幸なのは、どちらなのでせう。
 孝行、されなかつた親とできなかつた子。
 悪かつたのは、やはり私でせうか。
 生まれてきて、ごめんなさい。


 「それなら、お母さんもこの家を出て、実家に戻るしかありません。」と、言った母の表情こそもう忘れてしまいましたが、思春期盛りにかなり重かったのか、ずっと背中に磔にされてきた声でした。
 その時に深い思慮など特にありません。ただ何となく窮屈で不快な身の上を、直感的に察知していたのでしょう。長男だった私は、わりと幼いうちから家を継ぐということが嫌でした。嫌で嫌で仕方ないことを母に告げた日、私が家を継がなければ、この家には母の居場所がないという事実を知りました。
 つまり、母はこの家に私を産む為に嫁いで、そこへ私が生まれたのですから、生まれた私はこの家を継ぐ為の生命を授かったということになります。
 私は、自身の生命の定義に眩暈すら覚えましたが、我が母の存在の儚さに対する畏れの方がダメージが大きかったように記憶しています。それ以来、自ずとこの問題には深く踏み込まぬまま育つことを選択してしまいました。

 父には近づき難かったのです。悪さをしたり言いつけを守らないと、怒られるからではありません。確かに怒鳴られるのは怖かったですが、それ以上に、父の方が私のことを畏れて、一定の距離をとっているのが恐かったのです。母の宣言と相まって、腫れ物のような扱い難い代物である自覚から、自らも父とは一定の距離をとっていないと安心できなくなりました。

 結果、何にしても上手く運ばぬ人生でした。出生の影響ではありません。無論、親のせいでもない。全て自分で撒いた種と思います。すべきことをすべきタイミングで為さなかったこと、また、すべきでないことをすべきでないタイミングで為してきたこと、考えてみれば、それらを選んで、そう決めたのは、他ならぬ私であります。
 家柄や育ちも、そして親や家族にも、むしろ比較的恵まれていた方であったと思っています。そうすると尚更ですが、自責の念に苛まれるのです。
 親に暴力を奮われたり、家庭が貧困で食べるものにも困ったり、そのように解りやすい境遇であったなら、もしかするとまだ立つ瀬くらいはあったのやもしれませんね。

なんぼう考へても 
 おんなじことの落葉ふみあるく


どうしようもない私が歩いてゐる

山頭火

 随分と永い時間、この不孝をどうしたものかと悩んでおりましたが、その解は意外過ぎる程に安易なもので、それ故に愚かな私はかえって遠廻りをしてしまいました。
 しかし、後悔はありません。不思議なことに納得とは、どうもそういうものらしいのです。むしろ、極めて自然な有り難さを感じます。

  タマゴが先かニワトリが先か、
 抑、ここに問われる「先」とは、  
 どの時点を観測したものなのでせう?


 親子とは、視点によっては主体が親であり、客体が子であるように観ることも、またその逆に観てとることもでき得ます。真理が一如だとするのなら、本来半分。半分がタマゴで、もう半分はニワトリ。若しくはそのどちらでもないのですよ。

 何れにせよ、各々に自由意思があり、それが一方の見たくない世界であれば、もう一方の目の前から消えていきます。
 たとえ一方が意思を決めたとしても、対象となるもう一方の決め得る意思によって、結果は変わるのです。
 つまり、観測することによって現象は変わりますが、対象を観測すると決めても、観測される側の同意がなければ観測はされず、そこにはタマゴもニワトリもない。
 ということは、親と子が共振した結果、その親子は親子と成り得たということです。

 そうすると、孝行されなかった親と、できなかった子が、共にそれを観測し同意したところにのみ、不幸が成立するのであって、それは親の問題を自己の問題とする子と、それを解決できぬ子の苦悩を自己の苦悩とする親の姿に他なりません。

  なんと言うことでせう。この不孝に、
 解決などないし、初めから苦悩など、
 しようもなかつたのです。


 タマゴにニワトリの代わりはできないし、ニワトリにタマゴは勤まらない。問題を抱えた親の子の代わりはその親にはできないし、それを苦悩とする子どもを持つ親をその子が務めることもできません。

 親は親自身に、子は子自身に、各々が各々を大切にし、よく支え、各々の道を歩むこと、各々に孝を尽くすよりないのです。鯔の詰り、

  タマゴもニワトリも、
  この私もまた、悪くはなかつたのです。
  生んでくれて、ありがたうお母さん。


 恐惶謹言


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