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【エッセイ】おもしろい喫茶店 パート2

「昼はカツカレーでええけな?」
 Nさんがおもむろに聞く。助手席にいた私が「はい、大丈夫です」と言うと、Nさんは車を道脇に止め、電話をし始めた。

 仕事関係の会合がNさんとの最初の出会いだ。両親と同じくらいの年齢で、もう50年以上農業をやっている農家のプロだ。私の海外の話が面白かったのか、会合後「よかったらうちの畑見に来てくろ、案内するで」とお誘いを受けた。そして、ある週末にNさんのお宅を訪問したのだ。

 この地域はトマトとほうれん草の全国シェアが高い。Nさんも100を超えるハウスを持っており、農作業道具を積んだ定員2名の軽トラで山奥にあるハウスに向かった。並んでいるハウスを順番に追っていくと、種から1週目のハウス、2週目のハウスと、ほうれん草がどんどん成長していくのが分かる。この土地のほうれん草はエグみが少なく、生でサラダにできるくらいおいしいのだ。

 そんなNさんが連れて行ってくれたのは、道にぽつんとあるちょっとさびれた感じの喫茶店だった。以前に見かけたことはあったが、入るのは初めてだ。
 店の裏の広い駐車場に軽トラを置く。てっきり表の玄関に行くと思いきやNさんはそのまま裏へ。あれっと思うと、『入り口』と書いてある小さな看板があるではないか。しかし、どう見ても勝手口にしか見えない。慌ててNさんを追いかけて入ると、目の前が暗くなり、漫画がこれでもかというくらい並べられている棚に挟まれる。人が1人通れるくらいのスペースしかない。戸惑いながらも進むと、Nさんが先にあるドアを開ける。なんと、常連客用の入り口なのか!と思った瞬間、視界が広がる。ここまで約5秒。

 そこには昭和感溢れる光景があった。節電なのか演出なのか分からない薄暗い照明。テーブルは3席、カウンター席も多くない。
「真ん中の席で頼むさ」
 店のマダムが私たちに声をかけてくれた。言われた通りに座ると、すぐにマダムがやってくる。
「はい、お水」
 置かれたのはビールジョッキに入った水だった。思わず目を見張る。不思議そうな顔をする私を尻目に、Nさんまるでビールを飲むかのように喉をゴクゴク鳴らす。
「酒飲んどる気分になるろ」
 暑い日だったので私もジョッキに手を伸ばす。が、とにかく重い、ただでさえ重いジョッキに水が並々と注がれている。これは筋力つくなぁと思いながら両手で飲む。水は普通に水だった。

 しばらくすると、カツカレーがやってきた。顔よりもでかい皿にカレーライス、そしてカツがどんと乗っている。Nさんが予め私の分は少なめと注文してくれたので、ご飯は皿の3分の1程度で収まっていた。普通盛りでもかなりの量だ。
「いただきます」
 まずはカツから。スプーンを入れるが、なかなかの弾力で跳ね返される。負けじと力を入れて切る。歯ごたえは充分だ。ルーはいい感じに冷めているので、猫舌の人でもすぐ食べられるくらいだ。なんとなく、昔、母親が作ってくれた家のカレーを思い出す。懐かしい味だ。そんなノスタルジーに浸りながら食べていた雰囲気を、隣の席の注文が吹っ飛ばしてくれた。

「おばちゃん、注文ええけな」
 おばちゃんではなくマダムと呼べ、と心の中で叫ぶ。隣は男性3人のグループだった。
「カツ丼とナポリタンにカツ乗っけたやつ、あと、カツびょうきライス」
 どれだけカツ推しなんだと思いながら、最後のメニューに首を傾げる。カツびょうきライスとはなんぞや。
 私はスプーンを置き、重たいジョッキの水を一口飲むと、それまで見もしなかったメニュー表に手を伸ばした。単なる普通の田舎の喫茶店だと思っていたが、そうではないことに薄々気がつき始めていた。メニューをみると飲み物が列記されている。私は恐る恐るメニューを裏返す。そこには、『びょうきライス』『カツびょうきライス』とあった。一体、どんな食べ物なんだ。
「この『びょうきライス』ってなんですか」
 思わずNさんに聞く。Nさんは苦笑いしながら「とにかく、病気になるんやさ」と言うだけだ。益々気になる。水を入れに来てくれたマダムに勇気を出して聞いてみた。すると、
「これな、単なる●●●●やさ」
「な、なんで『びょうきライス』なんですか」
「ははは、大した意味ないんよ。ただ、こればっか食べとると病気になるで『びょうきライス』ってつけたんやさ」
 マダムのネーミングのセンスに脱帽だ。その話を聞いた私は密かに隣の席に来る『カツびょうきライス』を心待ちにしていた。

 「はい、おまちどうさま」
 運ばれてきたそれに、隣の3人組が一瞬息を飲むのが見てとれた。目の前のものに圧倒されている。決して見た目だけではなく、その量にたじろいでいた。確かにこれを毎日食べたら、間違いなく病気になるだろう。マダムの言ったことは正しかったのだ。すでに食べ終わった私は、しばらく隣のテーブルに目が釘付けだった。

 結局、『カツびょうきライス』は完食されなかった。私がずっと見ていたからではなく、単に量が多かったからだ。成人男性が降参するとは、恐るべしマダムの料理。けれど、ついつい頼みたくなる魔力がこの喫茶店にはあるのだ。ちなみにひっきりなしに客が訪れており、地元民のみならず多くの人から愛されているのもこの喫茶店の魅力なのだろう。

 私はお店を出る際に、次回はとりあえず『びょうきライス』を頼むことを密かに決めたのだった。

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