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【エッセイ】三歳児、お金に目覚める

「ねぇお年玉、どうする?」
 あと数日で新年というある日、私は母に尋ねた。そろそろ実家にやってくるであろう九歳の姪っ子、八歳の甥っ子一号、そして三歳になったばかりの甥っ子二号へお年玉の準備をしなければならなかった。
「いつもと同じ、歳の数かける五百円にするわ」
 そう言って母は、棚のあるものを指差した。指の先を見ると、そこには存在感のある五百円玉貯金箱があった。両親は買い物などで五百円玉が出た時にはその中に入れている。毎年のお年玉のために五百円を貯めているのだ。

 姪っ子、甥っ子へのお年玉は、姪っ子が一歳の時から始まり、毎年、歳を一歳重ねるごとに五百円増えていく。これを聞いたときは、『賢いな』と感心したものだ。このルールに則っていけば、彼らが二十歳になっても一万円で済むし、計算もしやすく分かりやすい。ただ一つだけ難点を挙げるとすれば、すべて五百円玉だということだ。あと十一年後には、姪っ子は二十枚の五百円玉を祖母(私の母)からもらうことになる。姪っ子は、きっとかわいい顔で『マジありえないんだけど』とか言うに違いない。

 母親が渡す金額を聞いて、私も考えに考えた末、金額を決める。あとはお年玉袋に入れるだけだ。お財布からお札を出し、二人分は準備ができた。残りは甥っ子二号の千円だが、残念ながらお札がもうない。小銭入れを見ると、五百円玉が一枚と百円玉が五枚でちょうど千円になる。母が五百円玉ならば私も小銭にした方がバランスが取れていいかもしれないと思い、そのまま六枚の小銭をお年玉袋に入れた。これで準備万端だ。この時は、私も母もこの小銭が甥っ子二号を覚醒させてしまうとは想像もしていなかったのである。

「じいじ、ばあば、来たよぉ」
 玄関のドアが開けられ、声がしたかと思うとバタバタと姪っ子と甥っ子一号が入ってきた。年子の二人は祖父母が大好きだ。そして少しすると、甥っ子二号がもう一人の妹に抱っこされてやってきた(私には妹が二人おり、それぞれ家族がいるのだ)。彼は一人っ子であるため、少し歳の離れたいとこたちに会えるととても喜ぶ。静かだった実家が一気に賑やかになる。コロナ禍ということでこれまで会うのを控えていたこともあり、マスクは外せないもののみんな嬉しそうだ。

「はい、お年玉」
 みんなが揃ったところで母からお年玉が手渡された。その後、私からもそれぞれ渡す。姪っ子と甥っ子一号は中身を確認するとカバンに入れ、すぐに読みかけのマンガに目を向けた。小学生の反応はそんなものかなと思いながら甥っ子二号を見ると、彼はテーブルの上にもらったお年玉の小銭を出していた。何をするかとそのまま見ていると、もらった五百円玉四枚と百円玉五枚を小さな人差し指で押さえながら、同じ大きさごとに並べている。横には彼の父である妹の旦那もおり、甥っ子二号に「お金だよ」と教えている。
「おかね、おかね」
 そう言いながら彼は、きれいに並べた小銭を集め、小さな両手に持つ。九枚の小銭は三歳児にはさすがに多く、今にも横からこぼれてしまいそうだ。
「おかね、おかね」
 彼はそのままつぶやきながら、床に転がっていたおもちゃの近くに行く。それは小さなレジだった。小さいながらもバーコードリーダーが付いており、ボタンを押すと『チーン』と音を立ててレジの引き出しが出てくる。彼は床に座り、レジの引き出しを開けて、手に持っていた小銭をその中に入れたのだ。全部入れるとレジを閉め、ボタンを押しては開けるを繰り返した。
「おかね、はいっとるよ」
 嬉しそうに言う甥っ子二号を見ていた周りの大人たちは驚いたのは言うまでもない。妹たちは彼にまだ『お金』というものを教えていなかったにも関わらず、彼は『お金』という単語の響きと、買い物でレジからそれが出されるイメージを結び付けていたのだ。恐らく『お金』自体の意味はまだ不明瞭ながらも、『お金』というものを大人がやり取りしているという認識は彼の中であったのだろう。

 レジに飽きるとまたもや両手で小銭を持ち、今度は料理をしている母のところへ行く。
「これ、おかね」
「本当やね、いっぱい持っとるねぇ」
 母が手を止めて甥っ子二号の前に手を差し出すと、彼は持っていた小銭を母の手に入れる。そしてまた空っぽの手を出し、母から小銭をもらう。それを何回か繰り返すとまたレジの方へ行く。『お金』を持っているということを母に自慢したかったのだろうか。

 実家にいる間、食事の時間を除いて彼はもらった小銭をずっと持っていた。途中で落としかねないため、母が小さなポーチを渡しそれに入れるように言うと、今度はそのポーチに入れては出し、入れては出しを繰り返した。完全に小銭の虜になっている。もしかしたら新しいおもちゃという思いが強いのかもしれない。それでもこの日、彼の中では『お金』に対する何かが確実に芽生えたに違いない。母曰く、『お金』に目覚めてしまったのだ。それはお札ではできなかったかもしれない。九枚の小銭こそが彼を覚醒させるアイテムだったのだ。

「将来、守銭奴になったらどうしよう」
 妹たち家族が帰ったあと、母が呟いた。同じことを思っていたとは言えずに私は「まぁ、大丈夫なんじゃない」と適当に答え、今年の正月は終わったのだった。

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