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「生存本能と死ぬべき世界について」-2021/2/11の日記

終わることについて考えている。

それは「死」という私自身のおわりだったり、恋の死に絶える、まあいわゆる「失恋」とか言うおわりだったり、また、何かしら失敗をしでかしたときに発生する事象としての、おわり、についてだったり。始まりばかりで疲れていたこともあるけれど、それを何とか、ある程度持ちこたえられるようになってからは、終わることがとんでもなく絶望を孕んでいる、恐ろしい産物だと思ったのだ。
例え、それがはじまりを産むものだと知っていても。

死ぬことが怖い。散々死にて~とか何とか云々のたまっていたが、何よりも死ぬことは怖い。だって、死ぬんだぞ。私自身が消えるんだぞ!!!!!!!この思考回路や自我を持った私は、もう存在しなくなるんだぞ!!!!!どこに行くのか、どんな気持ちになるのか、全く分からないんだぞ!!!!!!未知のものに対する恐怖、それは最終的には死に結びついていて、生存本能として植え付けられているのではないかと思う。そうでもしないと人間は繁栄していないだろうしなー。群れないとやっていけないし。そういうことなんだろう。

恋の終わりって、ほとんどが消えてなくなるだけだと思うのだけど。その消えかけの埋み火がいつまでもいつまでも、身体の奥を焚き付けてきて、じわじわと燻されているみたいな気持ちだ。いっその事消火剤でもぶちまけてくれたら良いのにな。煙すら起こさせないくらいのやつ。

それが終わるとき、私は一体どのような感情を抱いて、そして、一体どんな風にその後の生活を送っていくのだろうか。単純な興味とともに、その恋の終わりきったときの私は、本当にひとつの区切りがついて「おわる」んだろうな、とか考えたりするのだ。

めっちゃ喜ぶのでよろしくお願します。すればするほど、図に乗ってきっといい文を書きます。未来への投資だと思って、何卒……!!